第5話 再構築

水を受け取ろうとした瞬間、ジョンとロアの視線が重なる。

包帯の隙間から覗く、再生した左腕。

肌はまだ青白く、血の通いが浅い。だが確かに動いていた。


ロアもそれに気づき、息を呑む。


「ま、待て……その腕……昨日、なかったよな?」


ジョンは言葉もなく、静かに指を開き、握る。

筋肉が動く。神経が反応する。痛みも、熱も感じる。


「……夢じゃないな」


ロアは焚き火越しに一歩後ずさる。


「再生なんて、ありえない……治癒院の白金等級レベルじゃないか!……それを腕ごと、何の詠唱もなく……!」


ジョンは腕を見下ろしたまま、低く呟いた。


「…暴走の兆候はない。ナノマシンの制御も安定してる……」


「ナノ……何?」


「気にするな。俺の世界の“魔術”みたいなもんだ」


ロアは困惑を隠せず、目を細める。


「……冗談にしては、怖いね」


ジョンは薄く笑い、左手を開いたまま呟いた。


「怖いのは、これが制御できなくなった時だ」


焚き火がパチ、と鳴る。沈黙が降りる。


ジョンは少し考え込むように目を細めた。

(この世界に来て、ナノマシンの反応が変わった……?リジェネ液の方か?それともーー“軸転移装置”の副作用か…)


「何を考えてるの?」と、ロアの声。

ジョンは立ち上がり、右足の包帯を解いた。


「確認したい。……足の方も、な」


「まさか――」


ジョンは目を閉じ、意識を集中させた。

次の瞬間、血流の奥で微細な振動が走る。

皮膚の下で光が波打ち、肉が、骨が、音もなく形を取り戻していく。


「……っ、うそ……!」


ロアの声が震えた。


「足まで……再生してる……!」


ジョンは無言で足を動かし、踏みしめる。

柔らかい地面を確かに感じた。


「反応も正常。感覚もある……だが、なぜだ」


そう呟くと、ジョンはゆっくりとタクティカルナイフを抜いた。

刃が焚き火の赤を反射し、鈍く光る。


「ちょっ……何してるの!?」


ロアの声が一気に張り詰める。

だがジョンは何のためらいもなく、自分の左腕に刃を滑らせた。


「やめっ……やめろ! おかしい、そんなことしたら――!」


刃先が皮膚を裂き、血が弾けた。

ロアは思わず駆け寄りかけ、足を止める。


ジョンの顔には痛みの色が走っていた。

だが、苦悶ではない。

その表情は、観察している者のそれだった。


「痛覚あり。……神経反応も正常。血流、問題なし」


冷たい声で淡々と呟く。

滴った血が、焚き火の光を受けて暗い紅に光る。


「頭おかしいの!? 何で自分を!!」


ロアの声が震える。

ジョンは答えず、ただ切り口をじっと見つめていた。


そしてーー。

灰色の“繊維のようなもの”が盛り上がり、編まれるように傷口を覆っていく。一瞬だけ金属の質感を見せたそれが、やがて彼の肌の色に変わり、完全に同化した。


ロアの口から、言葉が零れる。


「……嘘………」


目を見開き、息を呑む。

信じられない。目の前で起こっているのは、明らかに“常識”じゃない光景。ジョンはナイフを軽く拭い、鞘に戻した。その動作も、まるで何事もなかったかのように。


「確認が必要だっただけだ」


「だ、だけって……! 自分の腕を切って!?」


ロアの声は上ずり、怒りと恐怖が入り混じっている。


ジョンは短く息を吐き、静かに言った。


「別にこれくらいでは死にはしないよ。……それに、こうでもしないと確かめられない」


ロアは後ずさる。その目には、理解を超えた恐怖とーーかすかな興味が宿っていた。


「……やっぱり、あんた……人間じゃない」


ジョンは一瞬だけロアを見る。

その瞳に浮かぶのは、冷静でも、哀しみでもなく諦めにも似た静けさが宿っていた。


「かもな」


彼の腕には、もう傷は残っていなかった。


ジョンは新しい右足を動かしながら、低く呟く。


「ナノマシンの反応が変質してる。自己修復じゃない。まるで……外からの命令に従って再構築されてるような動きだ」


「外から? どういう意味?」


「この環境が“適応”を促している。もしかすると、この世界そのものが――俺の体を作り替えてるのかもしれない」


「……そんなの、魔術の領域を超えてる」


ジョンは肩を竦めた。

「なら、“奇跡”かもな。お前の言葉で言う、魔法ってやつだ」


「……魔法は、伝説の中にしか…存在しない」


「伝説が現実に追いつく日もあるさ」


焚き火の光が、再生した皮膚を淡く照らした。ロアはその光景から目を離せない。目の前の男が、もはや同じ人間とは思えなかった。それでも、なぜか心の奥がざわめく。恐怖だけではない。

――興味と、何かもっと原始的な感情が、静かに芽吹いていた。


ジョンは右足を踏みしめ、静かに息を吐いた。


「……悪くない。動ける」


「本当に……あんた、何者なの」


ジョンは笑って肩を回す。


「さあな。でも――どうやら、“壊れたまま”じゃいられないらしい」


「……だが、まだ“全部”じゃない」


「…?」


ロアが怪訝そうに眉をひそめる。そんな彼女を他所にジョンは真面目な顔で呟いた。


「男としての機能、だ」


「……は?」


一瞬、世界が止まる。ロアがそんな反応をするのも当然だ。だが、ジョンはいたって真剣に言っていた。ジョンは腕と足を見下ろす。左腕、右足は再生された。ならば以前は無かったモノはどうだろう。そう、彼には性器ーー"ナニ"がないのだ。


以前までは無かったモノ。

これに比べたら左腕や右足など、取るに足りない。


(待って。今、この人、何て言った? “機能”? 男の……!?)

ロアの顔がみるみる赤く染まっていく。

「ちょ、何言って――」


「確認してみる」


「確認すんな!!」


ロアは頭を抱えた。

(ちょっと待って、何この人……腕を切ってたかと思えば今度は下半身!? 怖い、いや怖いけど恥ずかしいし意味わかんない!)


焚き火の火花が舞う。夜が静かに深まっていく。その体の内で、確かに何かが目覚め始めていた。


「やる価値はあるな…」


(やめてやめてやめてっ!……そんな真顔で言わないでよ……! しかもなんで僕はちょっと格好いい感じに聞こえちゃってるのさ!)


褐色の耳まで真っ赤にしたロアは、思わず後ずさった。


(ほんとに人間なの?それともただの変態?いや、でも腕も足も再生したし……何これどういう状況!?)


「…ッ!」


ジョン思わず息を呑んだ。

皮膚の下を走る微かな脈動ーー。

それは、生物としてーー漢としての尊厳が戻った証だった。


「……そうか。こんなことまで出来るのか」


熱が走る。

構成、成形、神経接続――すべてが滑らかに進んでいく。ジョンは呼吸を整え、眉一つ動かさずに観察を続ける。


「形状、感覚、血流、反応速度……すべて正常ーー完璧だ」


「まっ!…真面目に言うことじゃない!」


ロアが悲鳴のように叫ぶ。


ジョンは静かに息を吐き、わずかな安堵が滲む。

欠けていたものがすべて繋がり、ひとつの生命として“完成”したのだ。


「俺の尊厳が戻った。生物として、いや……男としての機能が、完全に再構築された」


静かに目を細めるジョン。

その横顔は、祈るように神妙で――しかし、明確に下心に満ちていた。


「……これで、抱ける」


「……ッ、は!? な、なに言って――!」


(ちょっ、今さらっと何言った!?)


ロアの頬がさらに赤く染まる。ジョンは一切動じず、まるで戦術会議でもしているかのように続けた。


「腕がなければ銃は握れない。足がなければ戦えない。そして、これがなければ……女を抱く資格がない」


(資格ってなに資格って!!)


ジョンはニヤリと下衆の笑みを浮かべ、焚き火を見つめた。火の粉が夜空へ舞い上がる。その光を見上げながら、ジョンは無言で拳を握った。この時をどれほど待ち望んだか。自分に唯一欠けていたモノを遂に、遂に手に入れたのだ。


ーーすべては、ここから始まるのだ。

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