第7話 血の契約

 裏界の隅々まで轟響いたであろう狐面の断末魔は、やがて静寂へと呑み込まれた。


 崩れ落ちた仮面の残骸は黒い砂塵と化し、風もない空間でふわりと舞い散って消えていく。


 悠真はその場で崩れるように膝をついた。


 全身から力が一気に抜け、肩で呼吸をするほど息が荒い。そして心臓は狂ったように荒々しく脈打っていた。


 恐怖のせいか、それとも――隣にいる怜司の存在が胸を支配しているからか。


 怜司は血に濡れた剣を収め、悠真の肩に手を置いた。


「……大丈夫か」


「……ああ。大丈夫……何とか」

 声は震えていた。強がりでしかない。


 怜司の手のひらが温かさが心地良い。


 その体温に触れた途端、悠真の胸の奥から張り詰めていた糸が切れそうになった。




 二人は裏界から戻ると、夜の校舎の屋上に出た。


 風が頬を撫でるように吹き抜け、視線の先の遠くに街の灯が揺れている。


 だが悠真の耳には、まだ狐面の囁きが残響のようにこびりついていた。


《互いを守り合うほどに、互いを傷つける》


 その言葉を振り払おうとしても呪詛の様に絡みつき振り払えない。


 怜司を見るたびに、自分が彼を危険へ巻き込んでいるのではないか――そんな思いが頭をかすめる。


「悠真」


 怜司の低い声が風の音を裂いた。


「さっきの言葉、気にしてるな」


 図星だった。悠真は視線を逸らす。


「……だって、本当にそうかもしれないだろ。俺のせいでお前まで……」


「違う」


 怜司は一歩近づき、引き寄せる様に力強く悠真の腕を掴んだ。


 どこまでも曇りない真剣な眼差しが夜の闇を貫く。


「お前は俺を弱くしてなんかいない。むしろ、強くしている。今日、あの狐面に勝てたのは――お前が隣にいたからだ」


 その言葉で心臓が、また跳ねた。


 夜風よりも鋭く、彼の言葉が胸を突き刺してくる。


「でも……俺、怖いんだ。お前が傷つくのを見るのが」


「同じだ」


 怜司は迷いなく言い切った。


「だからこそ、俺たちは共に戦う。互いの血を流すことになったとしても、背中を預け合うために」


 そう言って、怜司は悠真の手を包むように優しく取った。


 指先に残る血のぬくもりが混じり合う。


「……契約を、強めよう」


「契約……?」


 怜司は短剣を取り出し、素早く自らの掌を斬った。鮮血が夜風に晒され、ぽたぽたと滴り落ちる。


「互いの血を交わす。それが本当の“契約”だ。形だけじゃない、魂で繋がるための」


 突然のことに悠真の胸に強烈な衝撃が走った。


 恐怖と同時に、どうしようもない渇望が込み上げる。


 怜司と繋がりたい――失いたくない――その思いが全身を支配していた。


「……俺もやる」


 悠真は弓の矢じりで自分の掌をジリジリとゆっくりと想いを込めて斬り裂いた。


 痛みよりも熱が先に広がる。


 そして、二人は手を重ね合わせた。


 互いの血と血が混ざり合い、夜の風に小さな光の粒が散った。


 その瞬間、悠真の胸に怜司の鼓動が流れ込んでくるような感覚があった。


「これで……俺たちは一つだ」


 怜司の声は囁きのようでいて、決して揺るがなかった。


 悠真は言葉を失いながらも、その瞳をまっすぐ見返した。


 熱いものが込み上げ、頬を伝う。


 それは涙か、それとも――


 二人の間に、言葉では言い尽くせない絆が芽生えたのを、悠真は確かに感じていた。

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