第1話後編 勇者、ひょっとして私より魔王に向いていませんか?


 僕が姫の部屋を出ると、城の兵士たちは弓矢を手に僕を追ってきた。

 勇者を相手に白兵戦は難しいと踏んだのだろう。

 廊下では射線を遮るものが少ないため、さすがに身のこなしだけで避け続けるのは難しい。

 咄嗟に窓を破って外に飛び出す。


 見つかればその度に矢が雨のごとく飛んでくる。

 しかし、僕とてそう簡単にやられるつもりはない。

 旅の中で遺跡や敵兵や魔王城などの至る所で弓矢には晒されてきた。

 矢の軌道も飛ぶ射線も限られていることはよく知っている。


 王国兵は野盗とも違い、毒矢を撃ってきたりもしないから、多少のかすり傷は負ったものの、なんとかかわし続けた。

 けど、ふと思った。

 あえて矢を受けてしまった方が、この先の面倒事も避けられるんじゃないだろうか。

 

「ねえ、魔王。僕の声って聞こえていますか?」


「聞こえていますよ。見えてもいます。魔力が底をつきそうなのでお聞き苦しい声で申し訳ありません。ですがさすがは勇者ですね。飛んでくる数百、数千の矢がまったく当たらないとは! あの弓の名手だった屈辱のドルバッキオの弓矢が通用しないわけです!」


 魔王の声の響きから禍々しさのようなものが削がれ、くぐもったようなものに変わっていた。

 まるで近くでささやかれているようなそんな調子だが、確かに言葉としてははっきりと認識できる。

 不思議な声だ。


「魔王なのに勇者である僕を褒めるのですね。ひとつ聞いてもいいですか?」


「質問によりますが、何でしょうか?」


「この弓矢が心臓に当たったら、僕は死にますか?」


「ええ、死にますよ。残念ながら、私には今すぐもう一度君を蘇生させられるほど、力が残っていませんから」


「そうですか。じゃあ、僕は立ち止まって来る矢を心臓で受ければ、楽に死ねますかね」


「き、君は何を言っているんですか!? せっかく私が自分の体の組成を差し置いて、残る力のほとんどをつぎ込み君を生き返らせたのに、どうして死のうとするんです!?」


「だって、もういいかなって……一応僕に課せられたお役目の魔王討伐は終わったわけですし、王国からはもう用済みってことなんですよね。孤児である僕に身寄りもありませんし、心の支えだった姫にも裏切られ、あんなことになってしまった……このまま追われる身になるくらいなら、これ以上は生きていてもしょうがないのかなって……」


「ダメです! 私はまだ生きてますから、だから君の役目はまだ終わってないんです!」


「この国にとってはあなたは死んだことになってますし、あなたからは誰かを害するような意思は今のところ感じられません。あなたの力も弱まっているようですし、大人しく余生を過ごすなら、僕が討伐する必要もありませんよね?」


「それでも、君がここで死ぬのはダメなんです! 君にはまだ生きてもらわないと!」


「どうしてですか? 僕にとってはもう、こんな世界がどうなったっていい。仮に今すぐあなたが復活して皆殺しにしようと、僕の知ったことではなくなったと思っていますよ?」


「ダメなんです……! 君には、勇者としてじゃなくて……‪‬心優しいルイスとして、普通に生きてほしいんです……あ」


「どうして魔王がその名前を……魔王城では名乗っていないですよ?」


「死のうとする人には教えたくありません」


「わかりました。もう少しだけ、あなたに付き合ってあげるつもりになりました。一先ずここは逃げ切りましょうか」


 僕は追手を引き連れたまま森の中へ踏み入った。

 森の中へはさすがに馬では追えまい。

 視界も悪いので人手も必要になる。

 もうじき日も完全に落ちて、夜が僕を包み隠してくれる。


 ――


 城から追われて夜の森に身を潜める。

 街道らしいところは避けて、やぶを突っ切って人目につかないところまで来た。

 視界ももうほぼ暗闇で、今日はこれ以上進むのは無理そうだ。

 寒空の下、僕は朝が来るまで眠ることにした。


 日が登り、視界が確保できるまで明るくなった。

 太陽の位置をもとに進んでいると、不意に魔王が昨日のことを尋ねてきた。


「君は姫への報復が、あんなもので良かったのですか? 殺された相手をたった指一本で許せるなんて、帰り道の道中でも何度もお人好しと言われ続けた君でも、流石に気が晴れないのではないですか?」


「魔王、もしかして帰り道の会話、全部聞いていたのですか?」


「すみません。君が殺されそうになるまでは潜んでいようと思っていたので……でも盗み聞きして申し訳ないとは思っています。ごめんなさい」


「そうですか……反省してくれてるなら、まあ、いいでしょう。実体が見当たらないあなたに仕返しする手立てもありませんからね。それから、姫の件もあれでいいんです。左手の薬指は特別で、王家の婚儀の際に受け継がれし指輪を嵌める場所。嵌める指そのものが無いのでは、エルセナ姫は他国の王子やそこらの男からも余程のことがない限り相手にされないでしょう。もう彼女は幸せな結婚など出来ないのです。さて、まともな方法では結婚もできない傷ものの王族の女性なんて、国民からどう思われると思います?」


「そうですか。君はそれを狙って? はぁ……それを聞くと、ずいぶんと陰湿な仕返しをしたものですね」


「ええ、そうです。相応の仕返しはしたと思っています。国が支えてきた未来の礎だと思っていた姫が、そのお役目を果たすことが出来ないのだから、当然国民は怒りますよね? 王家や姫に対して風当たりが強くなることは想像にかたくない。この国の未来をこの薬指一本で荒らせたと思えば、僕の死も少しは浮かばれます」


「なるほど。たしかにそうですね。君、ひょっとして私より魔王に向いていませんか?」


「元勇者に向かって魔王に向いているだなんて、一応褒め言葉だと思っておきますね」


「褒めてないんですけれど……ところで、その薬指はどうするつもりですか? いらないと言うのなら、私にくれたりしませんか? そのままでは腐ってしまうでしょうし……」


「うん。別にこんなものはいらないし、腐る前に燃やしてしまおうかと思っていたところでした。こんなもの、欲しいんですか? どうぞ。というか、どうやって渡せばいいんですか?」


「いいんですか!? ありがたいです。では、少し強引な手段にはなりますが、1度それを食べてください。そうしたら私が分離します」


「気持ち悪いことを言いますね。でもまあ、いいですよ。面白そうですから。じゃあ、あぐ、お゙え」


 魔王に言われた通り、僕はエルセナ姫の薬指を食べた。

 他人の指を食べるのは、本当に気持ちが悪い。

 咀嚼せずに無理に喉奥に押し込んで、喉にぶら下がる口蓋垂こうがいすいに指の骨が当たって嘔吐感が増したが、そのまま飲み込むことになんとか成功した。


「ゔうえぇぇ……本当に分離、してくださいよ? ……んっなん? なにかが上がって、げええr」


 飲み込んだそばからすぐに吐き出された薬指は、地面に指先を上に向けて立ち、器用に回転したり、指を折ったりしている。

 つまり、まるで生き物のように動きだした。


「ありがとうございます。これで私も少しは自由に動けるようになりました」


「けほっうえっ酸っぱいんだけど……吐き出さなきゃいけないなんて聞いてないですよ?」


「すみません。私に体があればもっと上手くできたのですが、あいにくと、その体は目の前の……いえ、の君に、跡形もなくされたものですから。灰と塵となった私の元の体では君にまとわりつくことくらいしかできなかったのです。ちなみに君が纏ったり少し吸い込んでいた私自身の灰や塵でこれまで見聞きして話しかけたりしていました」


「そうなんだ……なんか、ごめん? ……その、魔王城でのあの一撃って、実はけっこう痛かった?」

「当たり前です、体が吹き飛んだですから! それはもう激痛でしたよ……ジュワッて体が一瞬で蒸発する時に気が遠くなりました……って、そんなこと、体を消し飛ばされた張本人に聞かれるこっちの身のことも少しは考えてください……正直、気持ちの良いものではありませんし……思い出させないでください……」


 目の前の薬指から発せられる声が、なぜか涙声のように感じた。

 これも魔王の使う認識を歪める魔法の効果なのだろうか。


「ああ、ごめん。レノアさん、一緒にいた魔法使いに、事前に魔王の体は再生するからって聞いていて、跡形もなく消し飛ばすってのは元々決めてあったことだったから……」


「そのことは覚悟していたのでこれでやめにしましょう。それでも生きてる私ってすごいと思いませんか?」


「いや、なにそれ? ふふっよく考えると、薬指が自慢げに喋ってるのって、なんか……ははは」


「ねえ、君! 人の話を聞いているんですか!?」


「あははは! なんか薬指なのに感情表現豊かすぎて! あはははは!」


「くっ……こんなに笑われるなら、もう少しそのままでいるべきでした……でもまあ、レアな笑顔が見れたと思えば、それはそれで良しとしましょうか」


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