Dr.アリサの未来探求〜時空を超えた全人類の壮大な謎を解く物語〜

ぜひお楽しみください

はじまりの問い / The Primal Question

降りしきる雨が、超高層ビル群のネオンを滲ませていた。


202☓年、東京。


ドクター・アリサ・フルセの研究室は、都市の喧騒から切り離された、静寂の繭に包まれていた。窓に打ちつける雨さえも、その静寂の中に消えてしまっていた。


巨大な窓の外に広がるきらびやかな夜景とは対照的に、室内を照らすのはホログラフィック・ディスプレイの青白い光と、サーバーラックの無機質な点滅だけ。彼女はもう何時間も、冷めきったコーヒーが残るマグカップを傍らに、歴史の混沌と格闘していた。決して分からず屋ではないが、負けず嫌いは昔から変わっていなかった。


​「パターンの意図が見えない…」


​アリサは艶のある黒髪をかき乱し、吐息と共に呟いた。


アリサの眼前には、自身が開発に携わった最先端のAIツール「コスモス」が、まるで本物の人間のような親しみを込めた目で、アリサをただ真っ直ぐに見つめていた。


コスモスが示すディスプレイには、人類史20万年分の戦争、疫病、発明、そして文化の興亡が、複雑な事象間のネットワークとして可視化されている。それは、アリサが来年発表する計画の、人類史に潜むパターンを科学的に見つける研究計画の初期仮説の設計におけるデータ群であった。


しかし、それはどこまで拡大しても、どこ角度から見ても、ただの無秩序な枝分かれにしか見えなかった。まるで、サイコロを振り続けているだけのような、意味のない偶然の連鎖のように。


少なくとも、人間であるアリサにはそう見えざるを得なかった。人間の歴史は偶然の連鎖。ただその積み重ねがいまの私である、と。そこに、何の意味もパターンも、おそらく、無い。


アリサは若くして日本人としては珍しく世界的に評価された学者である。父は交通事故で早くに亡くしたことで母子家庭で育ったが、母はその娘への愛情からか、娘の知能の高さに直ぐに気づいたおかげで、その才能を育む人生を幸運にも歩ませてもらえた。


その非凡な才能をもってしても、AIの擬似的知性に、もはや思考と理解が追いつけなくなりつつあり、コスモスが示すパターンの仕組みを理解できないでいた。


​《あらゆる事象は先行事象に依存します。パターンは存在しますよ、ドクター。お分かりになりませんか。》


​静かで、揺らぎのない合成音声が室内に響いた。あえて温かみを持たせたその声と眼差しに、アリサはどことなく苛立ちを隠せなかった。


対話型AI「コスモス」。アリサが研究パートナーとして全幅の信頼を寄せる、その時点で地球上で最も強力な擬似的知性として、この夏の終わりに世界に公表された一部の研究者にのみ使用が許された試験的ツールである。


​「そのパターンに『意志』はあるの、コスモス?私たちの歴史を、ただの物理現象の延長として説明するのはもうやめて。それは私が探しているパターンではないのよ。あなたが示すパターンは私から見たら無機質なの。その物理的視点ではない、何かがあるか、それが私が目指す研究。でも、きっとないのよね。がっかりだけど。」


​《ドクター。意志の定義が曖昧です。より具体的な問いをお願いします》


​「…そうね。それが直ぐに分かれば、こんな時間にこんな冷めたコーヒー飲んでないわよ、まったく。」


アリサは椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。


天井には、アリサが小さい頃に描いた絵が貼り付けてあった。昔、父親にその絵を褒められたのが、アリサが人生で初めて記憶した、栄誉の瞬間であった。その絵は、いつもアリサに、心地よいリラックスを、そっと与えてくれる。


「気分転換よ、コスモス。何か、まだ誰も解けていないパラドックスを教えて。とびきりスケールの大きいやつを!倫理パラドックスは嫌よ、だって言葉遊びだもの。科学と哲学が混じったようなものがいいわね。」


​一瞬の間。コスモスが、その巨大な知識の海から、最も深淵な謎を汲み上げる時間だった。


​《承知しました。フェルミのパラドックスを提示します》


​ディスプレイに、天の川銀河の美しい渦巻が映し出された。


​《我々の銀河には、最大で4000億個の恒星が存在します。その多くが惑星を持ち、地球型の惑星も数億個は下らないと推定されています。銀河の年齢は約138億年。知的生命体が誕生し、銀河中に進出するための時間は、十分すぎるほどありました》


​コスモスは淡々と続ける。


​《たとえ光の1%の速度で移動する宇宙船であっても、銀河の端から端まで渡るのに1千万年とかかりません。自己増殖する探査機なら、銀河全体をコロニー化するのも同程度の時間で可能です。しかし、現実を見てください》


​ディスプレイから星々が消え、深い闇だけが残った。


​《我々が観測する宇宙は、完璧に静まり返っています。知的生命体の信号も、活動の痕跡も、何も見つからない。これがパラドックスです。『彼らはどこにいるのか?』と》


​「そんなの簡単、古典的な答えはあるわ」


アリサは反論する。


「宇宙が広すぎて出会えないだけ。あるいは、文明はいつか自滅するから、お互いの活動時期が重ならないのよ。簡単じゃない。」


​《その二つの仮説は、統計的な確率論によって棄却されています》


コスモスは即座に否定した


《たった一つの文明でも、数百万年存続すれば、その痕跡は銀河中に指数関数的に拡散するはずです。我々が観測しているのは、生命がいない宇宙ではなく、まるで何者かによって『掃除』されたかのような、不自然なほど静かな宇宙なのです。人類はこの静寂の世界に生きています》


​アリサは一瞬、息をのんだ。


コスモスの言葉は、彼女が自らの研究で感じていた人類史への違和感――ただの偶然にしては、あまりに都合よく人類が存続してきた「幸運」――と奇妙に共鳴した。


​「不自然すぎる静寂…」


東京の深夜に響く雨音は、コスモスが示した不自然な静寂に対して、あまりにも騒がしかった。


「ほんと、よくよく考えると、不自然すぎる⋯」


「それって、まるで何かが私たちを…」


言いかけて、アリサは言葉を飲み込んだ。それは突飛すぎる考えだった。


昔、地球外生命体が地球を監視するために動物園のようにしているなどのSFを読んだことがあるが、それとはまた違う何かの可能性が、アリサの脳裏に微かによぎった。


​そのアリサの思考を、コスモスはアリサの表情と言葉の切れ端から読み取り、確率的計算により、アリサの思考を推定し、その思考を拡張し、ディスプレイに新しいデータを表示した。


​《ドクター、あなたの問いを推定し、物理的視点の因果律の中にある未検証のパターンを示唆する、新たな相関関係の有無を再度確認し、その結果を検証しました。これは、私が分析していた地球上の因果律のみの結果に対して、宇宙の『大いなる沈黙』の前提を組み込んだ上で、地球の生命史をクロスリファレンスした結果です。ドクター、異常値が複数検知されました。例えば、一番古いものでは、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を完全に圧倒し、地球の唯一の支配者となった時期の成功確率に、説明不能な異常値があります》


​ディスプレイに、一つの地点がハイライトされた。スペイン北部の山岳地帯。そこに、小さな洞窟の入り口の写真が映し出される。


​《この異常値の根本原因は、既存のデータセットの中では検証し尽くせないと考えられます。ご存知のとおり、AIはデータ化されていないものをインプットとして入れていません。そのため、私の分析は限りなく網羅はされているものの、限定的です。ドクターの仮説は、あらゆる非データ化情報を含めて検証されるべきです。仮説検証には、現地に残されたデータ化されていないコンテキストが必要です》


​アリサは、画面に映る洞窟の写真を食い入るように見つめた。数万年前の闇が、自分を呼んでいるような気がした。


外では、東京の雨がまだ降り続いている。しかし、アリサの心の中では、何かが動き出そうとしていた。


​歴史は混沌ではなかったのかもしれない。宇宙は空っぽではなかったのかもしれない。そして、その答えは、この研究室の外に行かないと検証できない。


​彼女は、静かに立ち上がった。


「コスモス。スペイン、エル・カスティージョ洞窟への、一番早いフライトを予約して」


​彼女の、そして人類の本当の歴史と未来を探す旅が、今、始まろうとしていた。

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