鬼妙丸 きみょうまる

ナルミ ヨウ

第一話   稲道村 (いなみちむら)

           【始まり】

         

時は戦乱。

人々は戦いに明け暮れていた。

野望、陰謀、策略の果て奪い奪われし人々の怒りや悲しみの念は、やがて心に魔を宿やどし、死者は怨霊となり生者は魔人と化しこの世をさまよい続けていた。


              一


数々の武家が領地をめぐり競い合う戦乱の世。

政治のほとんどの実権のは武家が握っていた。

そして、この国の東南部に位置する山々に囲まれた一つの領地があった。

そこには稲道村いなみちむらと呼ばれる豊かな村があり、村の人々は今年も作物を豊富に実らせる事を願い、日々畑仕事に精を出していた。


そんな春の夜、村が騒然となった。

村に住む静六という若者が何者かにおそわれた。

この家には静六の他に二つ年下の妻のタエと生まれたばかりの女の子がいたが、おそわれたのは静六一人だった。

静六のうめき声に驚き、隣でねていた妻のタエが目を覚ました。そばで額から血を流しながら、のたうち回る亭主の姿を見てタエ思わず叫び声を上げた。

「だれかー!誰かー!」

あまりの声の大きさに寝ていた赤ん坊も鳴き声をあげた。

「どうした、何があったんだ!」

向かいに住む久男ひさおという痩せた中年の男と、その息子の久松ひさまつが慌てて静六の家の扉を開けた。

久男と久松の親子は額からポタポタと血を流してうずくまる静六を見て仰天した。

「一体これは、どうしたというのだ!?」

静六の背中に赤ん坊を抱いた妻が涙を流しながら心配そうに亭主に身を寄せている。

「お…鬼じゃ…」

静六が震えた声でそう言った。

「は?おに?」

久男と久松は眼を丸くして、静六の言葉を確認する様に問うた。

静六は顔に血やら汗やら涙やら鼻水やらをダラダラと流しながら首を大きく縦に振った。

「そうじゃ…。あ、あれは間違いなく、鬼じゃ!」

静六がそう言うと久男と久松の親子は顔を見合わせて首を傾げた。

すると騒ぎを聞きつけた村の青年達が次から次へと清六の家の前に集まり、どうした、何があったとざわつき始め、静六の幼い娘の大きな鳴き声が辺り一帯に響いていた。

  

        

          二



翌朝。

昨夜の静六が襲われた事件を聞きつけた村の老人衆が男たちを長老宅の座敷に呼び出した。

まだ農作業の忙しい最中ではあるものの、村長はただならぬ事件と受け取っていた。

大堂家が治める領地内の稲道村やその周辺の村は、ここ五年以上平和が続き盗賊の襲来もなく平和そのものであった。

集められた者たちは、十代後半から二十代の若い者があ十二名。中年層の男八名、そして長老と同じくらいの老人が二名が顔をそろえた。

長老の名は定一さだいちと言い。齢七十歳をむかえようとしている。定一の左にいる老人の名は権三ごんぞう、右が作治さくじという。

その三人に向かい合わせて若者たちが正座の姿勢で座っていた。

肝心の静六はというと、昨晩の襲撃を受け心身ともにまいってしまい、床に伏せている状態である。

その有り様を見た静六の友人達は、それぞれに恐怖の表情を浮かべて怯えている者や、「俺が仇を取ってやる!」と、威勢のいい言葉を発する者がいた。

集まった村の衆の前に座る長老が喉を鳴らすと、一堂は静まり返り長老の方を向いた。

「もう、わかっている者が多いと思うが・・・・昨晩、静六の家に侵入した者がいる。家族とともに寝ていた静六は気配を感じ目を覚ますと、その者に額を木剣のような物で殴られたようだ」

少し間が空き、また村の者たちがざわつき始めた。

長老の左側にいる白髪頭で小太りの権三が続けて行った。

「見ての通り、静六はあのザマじゃ・・・・。静六を襲った者は物を盗むこともなく、清六の妻や子供に眼もくれず、ただ静六を殴った。一体何が目的であったのか、さっぱりわかんのだが、何か心当たりがあるものがいるか?」

と権三は皆にたずねた。

「静六は誰かに恨まれでもしたのか?」

中年の者がそう言った。

しかし、清六は性格はおだで、争いごととは縁のない真面目な男である。とても人に恨みを買うような男ではない。

村の者たち皆んながそう思っていた。

「じゃあ、誰が?理由は何だたんだ?」

と、一人の若い男がいうと、周囲のものがつられてしゃべりだした。

「誰も怪しいものをみてないのか?」

「もしや、よその村の奴か?」

「流石によそものなら、誰かが気付くだろう」

「どんな面だったんだ?」

男たちは口々に疑問をなげかけた。

「そういや静六のヤツ、鬼がなんだとか言ってたよな。あれはどういうことだったんだ」

長老の右隣にいた老人の作治が手前に座る久男に向かって問いかけた。

久男は大きくうなずいた。

昨晩の騒動で一番初めに現場に駆けつけたのは久男であった。

「あぁそうだ、俺が聞いたのは・・・・」

と、皆に聞こえるようにお大きな声で静六の証言を皆にはなしはじめた。

静六は夜中に目を覚ますと枕元に何か気配を感じた。

眼を開けると、仰向けに寝ていた静六の眼前に、人の黒い影が見えたそうだ。

あたりは暗いため顔ははっきりとは見えなかったが、その者は枕元に立ち尽くし、のぞききこむ様に静六の顔を眺めていた。

静六は『誰だ』と声を出そうとしたが、あまりの恐ろしさに声が出ず、身体も動けなかった。

それに下手に動けば妻や子にも危害を加えられるのではないかと判断したからだ。

それからしばらくの間、その者は静六の枕元に立ち尽くしているままで、どのくらい時が経ったかは分からないが、静六はあまりの緊張で全身から汗が吹き出していた。

「だっ誰だ。何が目的だ・・・・」

と、静六は、やっとの思いで少し声を出した。

その問いに、その者は何も答えない。

ただ見ているだけだ。

その時、静六の眼が暗闇に慣れたからか、それとも月明かりのせいかは分からないが、わずかに侵入者の姿がわかり始めてきた。

『コイツはどうやら男・・・・』

静六は眼だけを動かして、男を観察した。

『背はそれほど高くない・・・・もしや子供か?』

『古くて、ささくれた着物をきている』

『身体は細い・・・』

だが、そのボロボロの着物のすそからのぞく二の腕と前腕部、そして膝から下のふくらはぎ部分は、とてもしなやかに筋が入り、鍛えられている様に感じた。

妻も子も、この事態に気づかず寝息をたてていた。

更に静六は眼を凝らして男の顔へと視線をむけると、僅かにその顔が見えた。鋭い切長の右眼。左の目は顎の辺りまで無造作に伸びた前髪が邪魔して見えていなかった。

そして驚いたのは、その男の額にはつのらしきモノが二つえていたのだ。

見開いた眼で静六は思わず声を張り上げてしまった。

「うあッ・・・」

と、声が出る瞬間だった。

静六の額に、堅い棒の様なものが振り下ろされた。

ゴスッと言う音が響き、鈍い痛みを感じた静六は額を抑えて

うつ伏せに転がった。

「ううううぅぅぅぅ」と言ううめき声をあげると殴られた額の真ん中に温かいものが流れた。手のひらを見ると暗がりでも、それが己の血であることがわかった。

妻が眼を覚まし起き上がると、顔全体を地に染めた亭主の姿が目に入り、思わず大声を上げた。

その声に驚いた赤ん坊も、大声をあげて泣き始めた。

静六の家のすぐ手前で暮らしている久男の家族も、あまりの騒々しさに驚いて静六の家にかけより、すぐさま戸を開けたのだった。


「・・・・それが静六の言う〝鬼〟ってことだ」

皆は久男の話を聞き入っていたが、その反応はそれぞれで、震えている者もいれば、腕組みをして首を傾げている者もいる。

久男の話は大袈裟に付け加えることなく静六から聞いたままを村の皆んなに話したが、久男自身も半信半疑であり首を傾げざるおえなかった。

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