エピローグ:「空白に残る火」
──帝国軍本営、黒鋼の城砦。
夜明け前の戦術開発室は、冷たい沈黙に包まれていた。
壁に貼られた語りの構造図は、赤く塗り潰されたまま、誰にも見られずにそこにあった。
“破壊対象”という文字だけが、静かに主張していた。
ミルフィ・エルナは、報告書の余白にペンを走らせていた。
「語りの火は、存在を否定しても、空白に残る」
その一文を書いたあと、彼女はしばらくペンを止めた。
風が、窓の隙間から入り込み、紙をわずかに揺らした。
──訓練場では、存在否定型構造の第二段階が始まっていた。
兵士たちは、記憶遮断、感情封鎖、視覚曇化、聴覚遮断、香覚消去、そして“自己認識の希薄化”を施されていた。
彼らは、語りに届かぬ兵として再設計されていった。
命令だけが届き、記憶も感情も残らない。
それは、兵士ではなく、“構造体”だった。
レオニス・ヴァルハルトは、訓練場の端に立っていた。
彼の瞳は冷たく、剣は鞘に収められたまま、動かなかった。
彼にとって語りは幻想だった。
幻想に勝つには、現実を突きつけるしかない。
沈黙すら否定する構造こそが、帝国の速攻だった。
──その夜、若い兵士の一人が、訓練後にこう呟いた。
「……何も感じない。
でも、何かが足りない気がする。
空白の中に、何かが……残ってる」
その声は、記録されなかった。
誰も応答しなかった。
だが、ミルフィはそれを聞いていた。
彼女は、報告書の余白にもう一行、書き加えた。
「語りは、記録されなくても、残る。
それは、誰かの沈黙に触れた火」
──その頃、紅蓮王国の語りの座では、ユグ・サリオンが風に向かって語っていた。
彼の語りは、誰かに届くことを目的としていなかった。
ただ、風に灯す火だった。
沈黙の奥に届く火。
構造の隙間に染み込む火。
「語りは、誰かの痛みを通過する。
それが、残響になる。
誰にも気づかれなくても、
誰にも記録されなくても、
それでも、残る」
──イルミナ・レイヴは、魔術式のノートを開いていた。
語りは、数式ではなかった。
だが、彼女は語りの残響が空間の座標をわずかにずらすことに気づいていた。
それは、魔術では説明できない現象だった。
それでも、彼女は理解しようとしていた。
語りが、世界に何を残すのかを。
──リュミナ・グレイは、構造場の揺れを観測していた。
存在否定型構造の中心で、わずかな揺らぎが発生していた。
それは、命令でも魔術でもない。
語りの残響だった。
誰かの沈黙が、構造の奥に触れていた。
「……これは、構造外の応答。
語りが、空白に届いている」
──シュヴィル・カイネスは、設計図を見つめていた。
彼は、構造の限界を知っていた。
語りは、設計外の火だった。
それでも、彼は語りを“揺らぎの設計”として受け入れ始めていた。
──ミルフィは、報告書を閉じた。
その余白には、誰にも読まれない言葉が残っていた。
「語りの火は、空白に残る。
それが、残響の本質かもしれない」
──帝国は、語りを否定しようとしていた。
だが、語りは否定されても、消えなかった。
それは、誰かの沈黙に触れた火だった。
それは、構造の隙間に染み込む残響だった。
──その夜、風が静かに吹いた。
語りの座は、誰も立っていないのに、確かに揺れていた。
ユグは、詩集を閉じ、そっと腹部を押さえた。
痛みは、届いた証だった。
「語りは、誰かのものじゃない。
語りは、誰かが触れたとき、灯る。
それだけで、十分なんだ」
ルクスが肩で羽を震わせた。
風が、静かに広がった。
| (エピローグ)「空白に残る火」
| 帝国は、語りを否定する構造を築こうとした。
| だが、語りの火は、空白の中に残響として灯り続けた。
| 誰にも記録されない声が、構造の隙間に届き始める。
| 世界は、語りによって少しだけ揺れ始める。
| まだ、誰も知らない。
| この火が、滅びを選ぶ日が来ることを。
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