第10話 推しの専属警護に昇進する
♢
その一件から俺は、彼女の身辺護衛をもっぱら担当するようになった。
もっとも近くで、推しを守ることができる。
ノルネ教徒としては、このうえのない幸せだ。
たしかに、妙に不幸なことが連鎖してはいた。
階段で躓いたり、ひったくりにあったり、風邪を引いたり、その不幸は多岐にわたる。
が、どれもこれもノルネの近くにいられると言う幸福に引き換えられるようなものじゃない。
なんなら贅沢すぎて明日また社宅にいきなり戻されたとしても、この経験があれば、たぶん文句は言えないだろう。
それに、ただ守るだけではない。
「最近は雨の日が多いわね」
担当になってから約二週間、ありふれた日常会話までも交わしてくれるようになっていた。
決してそこに、愛想があるわけじゃない。
が、それでも初めて会った時とは明らかに違う。
人付き合いがそう上手いわけでもない俺でも、少しは心を開いてくれているのが分かった。
そうでなければ、ティータイムの最中にわざわざ話しかけてくれたりなどしない。
「そうですね。えっと、雨はお好きですか」
だから俺も、ないコミュニケーション能力で、必死に会話をつなげる。
「嫌いじゃないわ。こういうときに見る花も意外と綺麗なのよ」
「あぁ、たしかに。雨粒が光って見えるのがいいですよね」
「そうね。風情を感じるわ」
彼女はそう言いながら、優雅に紅茶をすする。
それから、その怜悧な目でちらりと俺の方を見やる。
なにを求められているかは、それだけで十分にわかった。
俺は腰ポケットに隠し持っていた袋を取り出し、それをノルネへと手渡す。
「……ありがとう」
彼女は簡潔な礼を述べながら、それをいそいそと剥き始めた。
そうして出てきたのは、きな粉揚げパンのようなものだ。
ノルネはそれに目を丸くして、ほんのりとその表情を綻ばせる。
この間、馬車で大通りを通りがかった際に、屋台を見て、彼女が小さく「羨ましい」と呟いたので、「ご用意しますよ」と言っていたのだ。
エレヴァン公爵家では、そうした食べ物は俗物だとして、口にすることを禁じられているらしい。
だから執事の目もない今、こうしてこっそりと受け渡しを行ったわけだ。
この間は、干し芋をプレゼントしたこともあったっけ。
「それ、そんなに食べたかったんですか」
「えぇ、憧れていたわ」
彼女は早口に言って、パンに齧り付く。
そして、「おいしい」と満足そうに呟き、初めて食べる人のあるあるで、小さくむせ込む。
ゲームの中では出てこない情報だったが、彼女は甘いものが好きらしい。
そもそも紅茶にも、どばどばといくつも砂糖を入れていたから、かなりの甘党だ。
幻滅するかって? するわけがない。
むしろギャップが加わって、より魅力的に映るくらいだ。
口端に、粉をつけているあたりなんて、もうなんとも形容がしがたいくらいに、可愛らしい。
こんな姿を見られるのならば、全給料を揚げパンに突っ込んだっていい。
俺はしばし、ありがたいものを拝む気持ちで、ノルネの様子を眺める。
そうしていると、それはパンを齧りながら、さらりと尋ねられた。
「あなた、家を追い出されるそうね」
公爵家からすれば、たかが伯爵家の話だ。まさか知られているとは思わなかった。
俺は驚きつつも、誤魔化すようなことでもないから首を縦に振る。
「えぇ。でも、いただいている給金で、近くに家を借りるつもりですよ」
「そう。辞めないならいいけれど」
「まさか辞めませんよ。この仕事はとても好きですから」
「魔法の研究よりも?」
はっとする質問であった。
どうやらノルネは、トーラスのことを調べ上げたようだ。
そりゃあまぁ、当たり前とも言える。
警備のためとはいえ、もっとも近くにいる者だ。そのバックボーンは押さえておきたいと思うだろう。
どう答えたものかと、俺は少し逡巡する。
怪しいとだけは、思われたくはなかった。
せっかくこうして話ができるまでになったのだ。
この関係を手放したくはない。
「はい。もうさっぱり辞めました。今は、ノルネ様をお守りできればそれで構いません」
俺がこう答えるのに、
「私ね、心が読めるの」
彼女は突然に言う。
ゲームの設定では聞いたことのない話だ。俺がきょとんとしていたら、ノルネは続ける。
「と言っても、本当にただの感覚よ。なんとなく嘘をついている人間は見分けられるし、悪意も分かる」
「……そうだったのですか」
それが本当だとすれば、さっきの俺の迷いも看破されているかもしれない。
俺はそう焦るのだが、彼女はふっと笑みを作る。
「あなたは、正直ね。色々な意味で」
「えっと……」
「過去の詮索をするつもりはないわ。安心しなさい。ただ、今の考えを知りたかっただけ。悪意がないのは、十分に分かったわ」
……とりあえず安心していいのだろうか。
俺が判断に迷っていたら、揚げパンを齧ったノルネがむせ始めるので、俺はすぐに水を汲む。
「うぅ……」
と、喉を鳴らす彼女はこのうえなく可愛かったから、俺の思考は一瞬にして終わった。
本当に尊いね、うん。
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