星屑ディヴィナシオン
ヤガスリ
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「あなたのお父さんはね、実は外に女をつくっていたの」
冬が訪れたころのある日の、午後十一時。
薄暗いリビングの中で、白髪の混じった四十代後半の女が、目の前にいる十八歳前後の娘に向かって、喉の奥から絞り出すように言葉を発した。
女の肘がついたテーブルの上には、探偵に依頼して手に入れたと思われる写真が、数十枚ほど無造作に広げられている。
そこに写っていたのは、母の配偶者であり、娘にとっては父親である男が、若い女と駅前のラブホテルから出てくる姿だった。
娘は、これが夢であってほしいと願った。
この写真に写る男は、家事や育児にも積極的に関わり、休日には家族と外出するなど、いわゆる“マメな男”だった。
家族を心から愛しており、裏切りなどという言葉すら、この人には無縁だと、娘はこれまで一度も疑ったことがなかった。
――ああ、父は、目の前にいる最愛の女性を裏切ったのか。
内心では激しく動揺していたが、それ以上に目の前の母のほうが苦しそうだった。
「まずは母の話を聞いてあげた方がいいかもしれない」
娘はそう思った。
*
—————それから十年後
東京都世田谷区某所の一角に、「占いの屋敷」と書かれた、目がチカチカしそうな看板が掲げられていた。
築三十年ほどと思われる鄙びた三階建てのビルに入り、すぐ右手には赤いエレベーターが設置されている。だが、それには乗らずに奥へと進むと、小さな占い店が現れる。
土日の昼間ということもあり、三つ設けられた鑑定ブースはすべて埋まっていた。
あの出来事から数十年経った今、不倫された母を慰めていた少女――星街えりかは、西洋占星術とタロットを得意とする占い師になっていた。
冒頭の出来事の後、えりかの母は父に対して離婚の意思を伝えた。
当初、離婚話は難航したがそれでも母は諦めなかった。SNSから情報を集め、隣町の弁護士事務所に相談し、実家の両親にも事の経緯を伝えて、着実に準備を進めていった。かなりの時間を要したが、最終的に母が二人の子どもの親権を得る形で成立した。
そして、役所に離婚届を提出したその瞬間から、女は「星街えりか」になった。
えりかは平日の夜から深夜にかけて電話占いの鑑定を行い、土日は対面式の「占いの館」で働いていた。
今日も、彼女のもとには既婚女性たちからの恋愛相談がひっきりなしに寄せられている。
「彼氏さんのお気持ちを視させていただきました。
現在は少しお忙しいようで、なかなか連絡が取りづらい状況のようですね。
ですが、しばらくすれば、また貴女様にご連絡があると思います。
彼氏さんが貴女様のことをとても大切に思っていらっしゃるのが伝わってきます。
よろしければ、おふたりのご縁がより良い形でつながるよう、ヒーリングをさせていただきますね」
えりかは手をあわせ、波動をだすような空気をまとっていた。
えりかには霊感もなければ霊能力もない。
「…なんだか、すっきりしたような」
「大丈夫です。あなたにとって最善の方向にいくようヒーリングをかけました」
「ありがとうございます。先生に相談してよかった」
「またいつでもしんどくなったらきてくださいね」
相談者がすっきりした表情でカーテンを開けると、鬼のような形相をした女が目の前に立っていた
女はスマートフォンを取り出し、録音アプリの画面を相談者に見せつけながら、停止ボタンを押す。
「今の会話、全部聞かせてもらったわよ」
「友達だと思っていたのに」
「それは——」
「お前最低!!理解してんのかよ!!なにしてんのか!!!人の旦那をうばいやがって!!あんた病気だよ!!」
「あんたはまともな人間じゃない。これからまともな人生歩ませてやんない!!病院いけよ!!ドブネズミ!!!死んでやる!!あんたのせいだよ!!!!」
矢継ぎ早にまくしたてると、ポケットからカッターナイフを取り出し、襲いかかった。
えりかはとっさに、身を挺して相談者をかばった。
刃が体を傷つけるまで、あと数ミリ——というところで、女の動きが止まった。
「次の相談者、私なんで。時間ないんで邪魔しないでくれます?」
そう言って現れたのは、170センチほどの長身で、ただならぬ雰囲気を纏った美しい女性だった。
彼女は素早く女を取り押さえた。
えりかは、その瞬間、思わず彼女から目を離すことができなかった。
しかしすぐに我に返り、手に持っていたスマートフォンで急いで110番通報した。
電話をかけてからほどなくして、パトカーのサイレンが近づき、制服警官たちが現場に入ってきた。
警官が犯人を取り押さえた女性に近づく。
「あなた、現場にいらっしゃいましたね?」
「はい。あの女性が騒ぎ出して、占い師の方に掴みかかろうとしていました。私が止めました」
えりかは別の警官に囲まれ、静かに事情を話していた。
一連の騒動は警察の到着によって収まりつつあった。現場は祭りの後の静けさだけが残った。
えりかは先ほどの動揺を悟られぬよう、努めて冷静に振る舞う。
「さっきはありがとうございました」
えりかが改めて感謝を述べると、女性はさらっと身振りでジェスチャーして答えた。
「たいしたことしてないですよ」
その言葉に、えりかは内心のざわつきを抑えながら、占いの準備を進める。
「では、占いをさせていただきますね。お名前、教えてください」
女性は一瞬、息をのんだように見えた。そして、ゆっくりと口を開く。
「輝夜坂まつりです」
その名を聞いた瞬間、えりかの世界は止まったかのように感じられた。脳裏に、十年前の母の声が鮮明に蘇る。
——————えりか、絶対この女の名前だけは覚えておきなさい。この女は、私の家族を壊した敵だから
一瞬、まぶたを伏せたえりか。大きく息を吸い込み、吐き出すと、ゆっくりと目を開き、冷静を装って占いを続けた。
占いが終わりが近づく頃、えりかは意を決してまつりの顔をじっと見つめた。
「まつりさん、よければ今度お茶でもしませんか?今回助けてもらったから、そのお礼にでも」
えりかの言葉に、まつりは少し困惑したように眉を顰める。
「いや、でもそんな気を使わなくても」
「そうしないと私の気が済まないんですよ」
えりかは畳みかけるように言う。まつりは何かを察したのか、最終的には小さく頷き、了承してくれた。
—————輝夜坂まつり。
えりかの目の前にいるこの女は、星街えりかの父を奪い、不倫の末に略奪婚をした人間だ。母が心から憎んでいる相手だ。
ミンミンゼミの声だけが世界を支配していた。
えりかとまつり。
二人にとって忘れられない夏がはじまろうとしていた。
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