第7話『大地の怒り、緑の要塞』

 夜明け前、最も闇が深い刻。斥候が息を切らせて駆け込んできた。


「来ました……! 魔王軍の前衛部隊です! 黒い津波のようです……数は、千を遥かに超えています! あと数時間で、ここに到達します!」


 ついに来たか……。


「全員、第一戦闘配置! 非戦闘員は速やかに避難壕へ!」


 俺の号令が、緊迫した空気を切り裂く。男たちは防壁へ、女性と子供、老人たちは速やかに地下へと避難していく。リファは避難壕の入り口で、不安がる子供たちの頭をなでながら、祈るように俺を見つめていた。俺は「大丈夫だ」と伝えるように、小さく手を振った。


「ケンジ、配置完了だ」ドルムが駆け寄る。彼は武具工房の責任者として、前線に立つ。


「ミィナたち遊撃部隊も、いつでも飛び出せるにゃ!」

「クゥーオーン!」(準備はできている!)


 ポチはもう、俺の腰ほどの高さまで成長している。剥き出しの牙は鋭く、頼もしい相棒そのものだ。


「よし……行こうか」


 地平線の彼方が、黒く染まり始めた。それは、濁流のように押し寄せる魔物の群れと、不気味な鎧をまとった魔族の兵士たち。大地が震え、不吉な咆哮が空気を切り裂く。


「来い……一人残らず、この大地で眠らせてやる……!」


 ゴゴゴゴ……!

 地響きが近づき、魔物の唸り声が鼓膜を揺らす。


「“開拓のクワ”よ、目覚めろ!」


 俺はクワを大地に叩きつける。すると、集落を囲む大地が咆哮を上げて隆起し、分厚い土の防壁となって聳え立った。さらに、敵の進路上には無数の落とし穴が口を開ける。


「ぐわあ!?」「な、なんだこの穴は!?」


 先鋒の魔物たちが次々と穴に飲み込まれる。だが、後続は構わずその死体を踏み越え、あるいは飛び越えて進んできた。


「“収穫のカマ”よ、芽吹け!」


 今度はカマを薙ぐ。防壁の前で、無数の茨や食人植物の種が一斉に発芽し、魔物たちの足に絡みつき、その動きを封じる。


「うおおっ!? 動けん!」「植物に……食われる!?」


「今だにゃ! ミィナ隊、奇襲開始!」


 ミィナの鋭い号令と共に、獣人たちの遊撃部隊が側面から躍り出た。彼らは嵐のように駆け、足止めされた敵の急所を的確に貫いていく。


「“大地のスキ”よ、喰らえ!」


 スキを地面に打ち込む。ガガガガン! と轟音と共に、敵部隊のど真ん中で大地が裂け、多くの敵が奈落へと飲み込まれていった。


「くっ……! 何なのだ、この力は……!?」「報告とは桁が違うぞ……!」


 魔族の指揮官らしき男が、驚愕の声を上げる。

 しかし、さすがは魔王軍。混乱は一瞬。すぐさま陣形を立て直し、後方に控えていた魔術師団が前に出る。


「魔術砲撃、用意!」


 魔族の魔術師たちが一斉に杖を掲げ、その先端に禍々しい闇のエネルギーを収束させ始めた。


「まずい! あれをまともに食らったら、土の壁なんぞひとたまりもねえぞ!」


 ドルムが叫ぶ。


「……ポチ! 頼む!」


「ウオオオオーン!!」


 ポチが天に向かって咆哮する。すると、彼の神々しい銀色の体毛から光のオーラが迸り、それが防壁全体を覆う透明なバリアを形成した。

 次の瞬間、魔族が放った無数の闇の光弾が、その光のバリアに激突し、音もなく霧散していく。


「おおっ!? やったぞ、ポチ!」

「やるじゃないか、ポチ! ただの食いしん坊仲間だと思ってたにゃ!」


 ポチは誇らしげに胸を張るが、少し息が上がっている。この大技は、そう何度も使えるものではないらしい。


「怯むな! 第二波、放て!」


 魔族の指揮官が怒声を上げる。魔術師団が再び杖を構えた。

 ……まずい、このままではジリ貧だ。


「ケンジ! ここはオレ様の出番だ!」


 ドルムが叫んだ。彼の合図で、防壁上の兵士たちが奇妙な弩(いしゆみ)のようなものを構える。ドルムが開発した“種弾弓”だ。


「撃てーっ!」


 ドルムの号令一下、兵士たちが一斉に引き金を引く。撃ち出された弾丸が敵陣の上空で炸裂し、中から無数の特殊な種子がばら撒かれた。


「な、なんだ? 種だと?」

「笑わせる……! そのようなもので我々を止められるとでも思っているのか!?」


 魔族の兵士が嘲笑する。

 だが――。


「“収穫のカマ”……最大解放!」


 俺がカマを天に掲げ、全身全霊の力を込めて振り下ろす。

 その瞬間、ばら撒かれた種子が空中で一斉に発芽、異常な速度で成長し――敵陣の真っただ中で、巨大な食虫植物や、大蛇のような触手を持つ蔓が、地獄の森の如く出現したのだ。


「ぎゃあああ!?」「うわっ!? 離せ!」「これは……なんだ!?」


 魔物も魔族兵も、突如現れた凶暴な植物に絡め取られ、飲み込まれ、なすすべもなく翻弄される。


「し、しまった……! 罠か! 撤退だ! 撤退――ぐぁ!?」


 指揮官が巨大な食人花に気を取られたその一瞬の隙を、ミィナが見逃すはずもなかった。疾風の如く駆け抜け、その鋭い爪が指揮官の鎧を紙のように切り裂く。

 指揮官を失い魔術師団も壊滅したことで、兵士たちは未知の恐怖にパニックに陥る。こうして魔王軍前衛部隊は、総崩れとなって敗走していった。


「や、やった……やったぞーっ!」

「勝ったんだ! 俺たちが、あの魔王軍に勝ったんだ!」


 防壁の上から、そして集落中から、割れんばかりの歓声が上がった。皆が抱き合い、泣きながら勝利を分かち合っている。

 俺は安堵の息をつき、その場にへたり込んだ。全身の力が抜け、神農具を酷使した反動がどっと押し寄せる。


「ケンジさん! ご無事ですか!?」


 リファが避難壕から真っ先に駆け寄ってくる。その瞳は涙で潤んでいた。


「ああ……なんとか。みんなは?」


「はい! 重傷者は数名いますが、命に別状はありません!」


「……よかった」


 ミィナとドルム、ポチも集まってきた。皆、泥と傷にまみれ、疲れ切ってはいるが、その目は誇らしげに輝いている。


「見たか、ケンジ! オレ様の“種弾弓”の威力をよ!」

「ミィナだってすごかったんだからにゃ! あの偉そうな指揮官、ミィナが一撃で仕留めてやったにゃ!」

「クゥン……」(俺も疲れた……でも、やったぞ)


 ポチが甘えるように俺の足に頭をすりつけてくる。


「ああ……みんな、本当にありがとう。みんながいてくれたから、勝てたんだ」


 俺は仲間たちの顔を見渡し、心の底から感謝した。

 しかし、これはほんの序曲。魔王軍の前衛部隊に過ぎない。本当の戦いは、これから始まるのだ。

 魔王軍の本隊は、まだ遥か東の空の下にいる。

 俺は遠くの地平線を睨みつけた。


 ……来い。どんな強大な敵が来ようとも、俺たちはこの地を、この楽園を、この大切な仲間を、絶対に守り抜く。

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