第3話『噂は風に乗り、集う者たち』
リファという心強い仲間を得て、開拓の速度は飛躍的に向上した。
彼女はエルフならではの、植物に関する深い知識を持っていた。どの土地が何を育てるのに適しているか、種の見分け方、効率的な植え付け方――僕の神農具が持つ規格外の力と、彼女の繊細な知識が組み合わさることで、奇跡は日常へと変わっていった。
“開拓のクワ”で荒れ地を肥沃な大地へ。
“大地のスキ”で水脈を呼び、網の目のように水路を巡らせる。
“収穫のカマ”で、蒔いたばかりの種を、黄金の実りへと変える。
わずか数日で、かつての赤茶けた荒野は、見渡す限りの緑の絨毯へと姿を変えていた。小麦、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ――生命力に満ちた野菜や穀物が、豊かな風にさざめいている。
リファは毎日、収穫されたばかりの野菜で新しい料理を試作してくれた。ただ焼くだけだったジャガイモが、ハーブを効かせたスープや、野菜の甘みが溶け込んだシチューへと姿を変える。その度に、彼女は目をきらきらと輝かせて「ケンジさん、また新しい料理ができました!」と報告してくれる。彼女の屈託のない笑顔を見ることが、いつしか僕の何よりの喜びになっていた。
「すごいな……あの時は死にかけていた君が、今じゃこの大農園の料理長だ」
僕が感慨深く呟くと、傍らで日向ぼっこをしていた子犬が、クン、と相槌を打った。
数日前、どこからともなく現れた、犬のようでもあり狼のようでもある生き物の子供だ。ふさふさの銀色の毛並みに、知性を感じさせる黒い瞳。リファによれば「神獣フェンリルの子では」とのこと。
なぜか僕にだけは妙に懐き、今ではすっかり良き相棒だ。ポチ、と名付けた。彼の鋭敏な嗅覚は、良質な土や隠れた水源の場所を正確に教えてくれる。神農具とリファ、そしてポチ。最強の開拓チームの完成だった。
しかし、そんな牧歌的な日々は、長くは続かなかった。
「ケンジさん……あそこを、見てください」
ある日、リファが不安げに畑の外縁を指さした。
その先には、陽炎のように揺らめくいくつもの人影。しかも、一人や二人ではない。難民の列だ。誰もが力なく、しかし確実に、この緑の楽園を目指して歩いてくる。
「みんな、やせ細って……」
リファの言う通り、それは様々な種族の混成集団だった。埃にまみれた人間、疲弊しきったエルフ、背は低いが屈強なドワーフらしき者たち……。皆、等しく飢えと絶望にその身を苛まれている。
彼らは、目の前に広がる豊かな畑の光景に、信じられないものを見るように目を見開いた。そして、恐る恐る近づいてくる。
「お、お願いです……どうか、食べ物を……ひとかけらでも……」
先頭にいた老人が、かすれた声で懇願した。
僕とリファは顔を見合わせ、静かにうなずく。
「ポチ、収穫を手伝ってくれ!」
「クゥーン!」
ポチが駆け出し、僕が“収穫のカマ”を振るうと、小麦が瞬時に黄金色に輝き、野菜がたわわに実る。難民たちは、その奇跡の光景に息を呑んだ。
「みんな、落ち着いて! 食べ物は山ほどある! ゆっくり食べて、休んでいってくれ!」
僕の呼びかけに、難民たちは堰を切ったように、僕たちが差し出す焼きたてのパンや温かいスープへと集まってきた。
彼らは皆、涙を流しながら、貪るように食べた。その姿は、数日前のリファと重なって見えた。
「ありがとう……本当に、ありがとうございます……!」
「ああ、なんて温かいんだ……」
「生き返る……本当に……」
話を聞けば、皆、魔王軍の侵攻によって故郷を追われ、食料を求めて彷徨っていたという。どこへ行っても荒れ果てた土地ばかりで、希望を失いかけていた、と。
「しかし……ここは一体どうなっているのですか? こんな豊かな土地は、もう何年も見たことが……」
老人が震える声で尋ねる。
「女神様の気まぐれと、少しばかりの幸運ですよ」
僕はそう答えるしかなかった。神農具のことは、軽々しく口にはできない。
その時、難民の中から、ひときわ頑健な体格のドワーフ族の男がずい、と前に出てきた。彼は、僕が傍らに立てかけていた“開拓のクワ”を、値踏みするようにじっと見つめている。
「……そのクワ、とんでもねえ代物だな。オレはドルム。しがない鍛冶屋だ」
「ケンジです。ようこそ、ドルムさん」
「お前さんが、ここの主か。……そのクワ、ちいと触らせちゃくれねえか?」
彼の瞳は、純粋な職人の探究心に爛々と輝いていた。僕がうなずくと、ドルムは恭しくクワを手に取り、隅々まで念入りに観察し始める。
「……ふむ……この地金……この紋様……間違いねえ……こいつは神々の御業だ! オレの爺さんの、そのまた爺さんの時代の伝説でしか聞いたことがねえ!」
ドルムは興奮のあまり叫んだ。僕はすかさず彼に声をかけた。
「ぜひ、ここに留まってくれないか! あなたの技術が、みんなの助けになるはずだ!」
「……ふん、悪くねえ誘いだ。だが言っとくが、腹一杯飯は食わせてもらうぜ?」
「もちろん! 食べ物だけは、絶対に困らせない!」
こうして、流浪のドワーフ鍛冶師、ドルムが仲間に加わった。彼は早速、神農具を補助するための道具や、より効率的な農具の開発に取り掛かり、職人魂を燃やしている。
さらに、その翌日には、新たな訪問者が嵐のように現れた。
「にゃー! なんていい匂いなの! 天国はここだったのかにゃ!」
弾むような声と共に、ぴょんぴょんと跳ねるようにやって来たのは、快活な猫の耳としっぽを持つ獣人の少女だった。大きな瞳が、好奇心いっぱいにあたりを見回している。
「ここが噂の奇跡の村かにゃ? すっごく美味しそうな匂いに釣られて来ちゃった!」
「ああ、歓迎するよ。君は?」
「ミィナっていうにゃ! ねぇ、そこのスープ、一杯ちょうだい! 代わりに何でもするから! この辺り、危ない魔物がうろついてるけど、ミィナが全部やっつけてあげるにゃ!」
そう言って、自信満々に自分の胸を叩く。その身のこなしから、腕っぷしには相当な自信があることが窺えた。
「それは心強い。ぜひ、ここの護衛を頼めるかな、ミィナ」
「任せるにゃ!」
猫型獣人の戦士ミィナもまた、食欲という最も純粋な動機で、この開拓地に加わることになった。
こうして、わずか数日の間に、何もない荒野は、様々な種族が暮らす賑やかな共同体へと変わり始めていた。人間、エルフ、ドワーフ、獣人。生まれも育ちも違う彼らが、同じ釜の飯を食べ、助け合い、笑い合う。
僕はその光景を眺めながら思った。
女神が言っていた“国”とは、もしかしたら、こういう温かい場所のことなのかもしれない。
一粒の種から始まった小さな奇跡が、確かに、ゆっくりと世界を変え始めていた。
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