第23話 不発、そして閃光

「次鋒、前へ」




審判の非情なコールが響き、青野彗悟の身体が金縛りにあったように動かなくなった。




「青野くん」




背後から、栞奈が静かに、しかし力強く背中を押す。


梅木が「気楽にいけや!」と、田上が「思い切りやれ!」と声をかける。




仲間たちの声に送られ、彗悟は、まるで処刑台へ向かう罪人のような足取りで、試合コートへと歩き出した。武道場が、やけに広く感じる。




コートの中央で、王城の選手と向かい合う。相手は、彗悟のガチガチに緊張した様子を見て、(やはり、ただの素人か)と、完全に油断しきっていた。




「勝負、始め!」




主審の号令が響く。 彗悟は、栞奈に教えられた通り、最初の三秒で全てを決めようと意識を集中させる。




しかし、いざ相手を前にすると、彼の頭の中は、栞奈に教わった「腰の回転」「着地の安定性」「突きの角度」「相手の癖」といった、膨大な情報で飽和してしまった。




(どうやるんだ?腰を回して、でも、着地は…!?タイミングは…!?)




思考が、身体の反射を完全にロックする。彼は、一歩も前に出られず、混乱のまま、無意識に、じり、と一歩、後ろに下がってしまった。




「止め!」




主審の鋭い声が飛ぶ。 彗悟が、はっと我に返ると、主審は彼の足元を指差していた。




「赤、場外!忠告!」




気づけば自分の足が、コートを仕切るラインの外側にはみ出していた。 戦う以前に、混乱のあまり、自ら試合場を放棄してしまっていたのだ。 屈辱だった。道場に、王城側からの小さな失笑が漏れるのが聞こえた。




スタートラインに戻され、俯く彗悟。彼の目には、絶望の色が浮かぶ。 その時、彼は、星流の応援席にいる栞奈と目が合った。栞奈は、叫ばない。ただ、その唇が、はっきりと、こう動くのを、彗悟は見逃さなかった。




――『跳べ!』




空手のことを忘れなさい。ただ、あなたが、あなたであること。その原点に戻れ、という、魂のメッセージだった。隣では、梅木が「考えすぎや、彗悟!楽しめ!」と叫んでいる。 その言葉が、彗悟の頭の中のノイズを、全て消し去った。




主審が、再び「始め!」と号令をかける。 王城の選手は、もはや彗悟を完全に「戦意喪失した素人」だと判断し、今度こそポイントを取ろうと、安易なフェイントから踏み込んできた。




――その瞬間だった。 彗悟の頭の中には、もう技術論はない。ただ、栞奈の「跳べ!」という言葉だけ。 彼の身体が、爆ぜる。 一直線に、相手の懐ではなく、その頭部、メンホーを目掛けて、白い閃光となって突き進む。




バチィッ!!




彗悟の拳は、相手のメンホーの、口元を覆うクリアシールドに、吸い込まれるように突き刺さった。 衝撃はない。相手の首が、のけぞることもない。だが、その拳は、寸分の狂いもなく、相手の急所を、完璧に捉えていた。それは、コントロールの極致。当てて、なお、制する一撃。




王城の選手は、痛みではなく、ただ、理解不能な現象を前にして、その場に凍りついていた。




武道場が、先ほどとは違う種類の、驚愕の沈黙に包まれる。 王城の応援席も、星流の部員たちも、何が起きたのか理解できずに、ただ呆然とその光景を見つめている。 その静寂を、主審の、わずかに上ずった声が切り裂いた。




「止め!赤、上段追い突き…技あり!!」




記録係の生徒が、信じられないといった手つきで、星流側の赤いスコアボードを、一枚、ぱたりと、めくった。 「0」が、「2」へと変わる。




菊田 空が、そのスコアボードと、コートの中央で同じく呆然と自分の拳を見つめている彗悟の姿を、信じられないという目で、ただ、見つめていた。

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