プロローグ タイムループと無敵のハルカナコンビ②
「ハルカはさ、進路報告用紙をどうして空白で出したの?」
高校からの帰り道。責めるようなカナタの言葉を受け、ハルカはさっと目を逸らす。
高校三年生になって、未だ進路の方向が決まっていないのは、ハルカだけだった。
カナタに言われずとも、ハルカ自身もわかっている。
未来を思い浮かべようとしても、どうでもいいと思えてしまう。
母親にすら愛されなかった自分に、未来を生きる資格はあるのだろうか。
自身の思いを、覆い隠すように強がった。
「別に、将来の夢なんてないしな」
「中二病?」
「違うわ!」
ハルカがツッコむと、カナタはクスクスと笑っていた。
ハルカが更に反論を告げようとした矢先、視界の端で見覚えのある人物が映った。
前髪は長めで、控えめだが一生懸命な女子生徒。
「ちょっと、ハルカ?」
イマの必死な形相を察して、ハルカは気が付けば駆け出していた。
大好きだった母親がいなくなったこと。思い出す度に無力感で胸がうずく。
自分の住む世界からまた誰かがいなくなる。ハルカにとって、そんなことはまっぴらごめんだった。
十字路を曲がると、そこはコンクリート塀に囲まれた行き止まり。
祈るように壁にもたれかかるイマは、明らかに襲われる寸前だった。
「やめろ!」
自らの危険を顧みず、ハルカは全力で男に体当たりをかます。
恐怖に怯えたイマの表情も、驚愕の色に染まる。
「ハルカ、くん?」
「巡見さん逃げて!」
「ごめん……怖くて、立てない」
ハルカの額から汗が落ちる。けれど、イマを安心させようと、笑顔を見せた。
「そっか。なら……止めるしかないか」
男は立ち上がるやいなや、右の拳をハルカに奮う。両腕ガードしたが、すぐさま蹴りが飛んできて、ハルカの腹にめり込んだ。
「ぐっ」
「ヒーローごっこをやる年齢じゃねえだろ?」
倒れそうになるところを、なんとか堪える。
暴力を奮うことにためらいのない、悪意に満ちた眼差し。
「ハルカ――そいつを止めて!」
背後の声に気を取られ、男は思わず振り返った。
その一瞬の隙を突き、ハルカは男に組み付いた。
「このっ!?」
「カナタの一撃は重いぞ」
「やぁあああ!」
カナタは疾走の勢いそのまま、
「ぐあっ」
男はうめき声を上げつつ、無様にも地面に倒れさった。
「ハルカ大丈夫!?」
カナタは座り込んだハルカに駆け寄る。
ハルカはだらんとした右手で、なんとか親指を立てていた。
「ああ、なんともない」
「また強がってる! でも……良かった」
カナタが差し出した手を、ハルカはなんとか握り返す。
カナタの手は、わずかに震えている。暴漢へ立ち向かうことの恐怖は、並大抵ではなかったようだ。
「大丈夫だよ。心配すんなって」
「でも、ハルカはすぐに無茶するから」
心配に揺れるカナタの瞳。
ハルカは、無事を証明するように拳をかざし、魔法の合言葉を放った。
「ハルカナコンビは」
「――無敵」
二人の拳が重なり、コツっと音を立てる。
痛いほどの緊張も、合言葉を交わせば難なくほぐれてしまう。
魔法のような一言があれば、二人はいつだって無敵だった。
イマはへたり込みながら、ハルカナのやりとりをじっと眺める。
ハルカに向いたイマの瞳は、熱っぽい色に染まっていた。
男を警察に突き出し、丁寧にお礼を言うイマを見送ったところで、カナタはキョロキョロと周囲を見回していた。
「ハルカ、もう周りに人はいないかな?」
「大丈夫だ。誰もいない」
ハルカの言葉を受けて、カナタはへにゃへにゃとその場にへたり込んだ。
「こわかったぁ……」
ぐすぐすと音を出し、カナタは子供のような繊細さで涙ぐんでいた。
柔らかい目尻にくりくりした猫目は、目一杯に潤んでいる。ふわふわとカールする、茶色がかったミディアムヘア。
可愛らしく快活なイメージのカナタも、この時ばかりは弱々しく見えた。
誰にでも明るく接して、決して弱音を見せないカナタ。
唯一、子供染みた姿を見せられるのは、ハルカの前でだけだった。
「よしよし。泣くなよカナタ」
猫でも愛でるような仕草で、ハルカはカナタの頭を撫でる。
カナタは涙で濡れる顔を上げる。少しだけ表情は和らいでいた。
「私、ちゃんとハルカの役に立ててた?」
「ああ。カナタのおかげで助かったよ」
「にゃははは」
カナタは得意げに胸を張り、猫のように笑う。それだけで、温かな空気が戻ってきたように感じた。
ハルカの頬はゆるみ、強張った体もほぐれていた。
「いつまでも座ってないで、そろそろ帰るぞ」
ハルカが促しても、カナタは動く素振りを見せなかった。
何かを言いだそうとしているが、はっきりとは言えないもどかしさが漂う。
チラチラと、期待をするようなカナタの視線。
何をして欲しいのか、ハルカはなんとなく察していた。
「しゃあないな」
ハルカはしゃがみ込み、カナタのために背を向けた。
「いいよ」
「うん!」
カナタは遠慮なしに、ハルカにおぶさった。
随分と大きくなった幼馴染。
全力で体を預けてくる重みは、信頼の証だとハルカには思えた。
「なんかおも」
「……重いとか言ったら、ハルカは重度のマザコンだってクラス中に言いふらすから」
カナタの低く鋭い声色。脅しが嘘じゃないことを察して、ハルカは身震いをしていた。
幼い頃に失踪した母親への思い。カナタには全部バレている分、たちが悪かった。
「……ってかバッグで殴った威力が妙に強かった気がするけど、なにか細工でもしてあるのか?」
ハルカが話題を逸らすと、カナタは誇らしげに口角を上げる。
「ちょうどこの間に試作した『殴る時に威力の上がるバッグ』だからね」
「どこで使う想定だったんだよ!?」
「役に立ったから結果オーライだよ」
カナタの突拍子のない道具は、様々なところで活用されているらしい。
真偽のほどは定かでないが、タイムマシンの製作にまで手を付けているという噂もあった。
ハルカはカナタを背負い、ゆっくりと帰路に着く。
すっかりと辺りは暗くなり、寒風が二人をとらえる。
けれど、寒さに身が凍えることはない。二人分の温もりがあれば、冬の厳しさにも耐えられそうな気がした。
「ハルカ」
「なんだよ、カナタ」
「私のこと――好きになっていないよね?」
カナタは時々、この質問をするようになった。
ハルカとカナタはとても仲が良い。ハルカナコンビと呼ばれ、もう付き合えとからかわれるくらい。
カナタのことは大事な幼馴染だが、不思議と恋愛感情と呼べるものを感じてはいない。
だからこそハルカは、いつも通り素直な気持ちを答えた。
「ああ。カナタは大切で可愛い、幼馴染だよ」
ハルカの答えを聞いて、カナタはホッとしたように笑顔を浮かべた。
「よろしい!」
ハルカからの恋愛感情はないと確認し、カナタは安心して背中に頬を寄せる。
誰よりも大きく感じるハルカの背中は、世界で一番安心ができる場所。
ハルカの腕は、しきりにカナタの体を支えなおす。
暴漢から受けた攻撃で、ダメージが残っていることはカナタも気が付いていた。
けれど、ハルカは決して弱音を吐かない。
自分の痛みなど、どうでもいいことだとばかりに他人を優先する。
どこか諦めたようなハルカの生き方に、カナタは甘えていた。
ただ、そんな風に甘える行為が、これからもずっと続いてはいけない。
この時間は限りあるものだと、カナタは知っている。
ゆりかごのように揺られながら、カナタは自分がやるべき目的を
いずれ来る時に備えて、きちんと受け入れられるように。
(ずっと甘えてちゃだめだ。ハルカのことは私が守るんだ。
たとえ――ずっと一緒にはいられなくても)
決意を形として表すように、カナタはハルカの肩をぎゅっと握った。
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