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浅野由紀

第1話

「どうゆうのが好き?」

 とろけるような、甘い甘い声で彼女は問う。細い白い手を上下される度に、頭がぴりっとして痺れる。思わず声が漏れてしまい、キモかったかなと焦る。細い綺麗な指がねっとりと這うのを見ると、そんな焦りはどうでもよくなる。じらされているのが堪らなく、我慢できないと口から出そうだ_


はっとそこで目が覚めた。社員食堂でうたた寝をしてしまっていたようだ。口の横にはみ出た唾液を手の甲で拭い、水を飲みながら辺りをきょろきょろと見回して、この情けない姿を見られていないか確認する。

「よっ!お疲れ!」

背中をバンっと勢いよく叩かれ、口から水が零れた。

「あっ、わりい。」

口元に散った水を手の甲で拭いながら、後ろを振り返るとそこには同期の桑田がいた。右手で謝罪を表しながら、大きな口を開けて笑っている。

「なんだよ、お前か。」

「お疲れのようだな、こんなところで寝てさ。」

「見てたのかよ。」

「見てたも何も目立ってたからな。いびきかいてたし。」

「まじかよ、終わった。」

「まあ、いびきは嘘だけど。」

「お前、ほんといい加減にしろよ。」

にひひと笑いながら、缶コーヒー2本を差し出してきたので、1本受け取る。

「さんきゅ。」

「これ貸しな。」

「返すわ。」

「うそうそ、だけどお願いあってさ。」

嫌な予感がした。調子が良くて、おおざっぱな桑田の願いなんて100%面倒くさいことがわかりきっていた。それでも、俺は缶コーヒーを開けてしまった。

「お前の部署の佐々木さんとメシ行きたいんだよね。」

ほら、やっぱり。

「佐々木さんとこの間少しだけ話したんだけど、知的な感じがまじ良くてさ。見た目も可愛い系でギャップあるっていうか。な、お願い。」

「やだね。ていうか、俺には無理。」

「なんでよ、缶コーヒーの恩を忘れたのかよ。」

「うるせえ、俺のキャラで橋渡しなんてできるわけねえだろ。考えろアホかよ。」

 明るくノリの良い桑田と違い、どちらかと言えば陰キャ寄りで、合コンに行っても余りものになる俺が何で佐々木さんと桑田の橋渡しができると思っているのか、理解不能だった。

「アホって言うな。だって同期で佐々木さんと同じ部署なのお前しかいねえんだもん。しゃあなしっすよ。」

 桑田は煽るように缶コーヒーを流し込み、「じゃあ考えといてよ。」と言って去ってしまった。置いて行かれた俺は、残った缶コーヒーを啜った。


 昼休憩が終わり、デスクに戻ると個包装の菓子が置かれていた。

「これ、誰?」

隣にいる後輩の山井に聞く。山井はこちらを向いて、俺の指差すものに目を流す。

「ああ、佐々木さんっす。なんかどっか行ったみたいで。」

「へえ、そうなんだ。」

そう言いながら、ちらりと佐々木さんの方に目をやる。デスクでPCに向かって作業をしている後ろ姿が見える。ゆるくウェーブのかかった、ダークブラウンの髪が艶めいている。先ほどの夢がちらつく。

 細い白い手の主は、ダークブラウンのウェーブのかかった髪だった。夢の中でありながら、その髪が太ももに当たって少しくすぐったい感触もあった。

「大丈夫っすか?」

山井が怪訝な目でこちらを見ている。デスクに座ってPCのロックも解かない俺を不審に思ったのだろう、完全にやばい奴を見る目だった。

「大丈夫、ちょっと風邪かな、ぼうっとして。」

「それ、大丈夫じゃないやつっす。」

 山井に突っ込まれ、言葉を失くして堪忍したようにPCのロックを解除する。仕方なく溜まっている仕事をひとつずつ片付けていく。その間は夢のことは忘れることにした。


 定時になり、皆がぞろぞろと退社していく。そろそろ帰るかな、と帰り支度をしていると「お疲れさまでした。」と後ろから、歌うような甘い声がかかる。はっとして急いで返事をするが、すでに後ろ姿を目で追うことになってしまっていた。

 コートを着て執務室から出ようとすると、「お疲れ!」と昼にも聞いた声が飛んできた。

「また、お前かよ…」

俺がよほどうんざりした顔をしていたのだろう、桑田は少しショックを受けたような反応を見せた。しかし、その1秒後には肩を組んできて、笑っていた。

「なあ、あのお願いはきいてくれるだろ?」

もうほとんどカツアゲされている気分だった。陽キャな桑田に『お願い』をされているのは、傍から見れば『強要』されているようだったろう。

「だから、無理だって言ってるだろ。俺は余りもの系なの。」

「なんだよ、余りもの系って。」

「もういいよ、放っておけ。」

うんざりしながらも、肩に組まれた腕を振り払えないのは、屈託ない桑田のキャラクターのおかげだろう。面倒くさいと思いながらも憎めなかった。

「佐々木さんとメシ行ったら、落とせる自信しかない。」

「どっから湧いてくんだ、その自信。」

「俺の知性を感じて落ちない女なんていない。」

「その発言がバカ丸出しだぞ。」

ああだこうだと言い合いながら会社を出ると、ダークブラウンのウェーブが見えた。その後ろ姿を見て、すぐ佐々木さんとわかった。

「あ、佐々木さんだ。」

つい口が滑る。

「え、どこどこ?てか、お前よくわかるな。」

俺は静かに指差す。

 身長は俺より少し低いくらいで、柔らかいくすんだ水色のスカートを履いていた。職場の雰囲気より明るいそれは強く印象に残っていた。

 夢の中でちらっと髪の奥に見えた下着もその色だった。

「ついて行こうぜ。」

桑田は面白がりながら、にやりと笑う。

「え、それはやばくね?見つかったらセクハラとかになんねえ?」

少し興味が湧きだったが、冷静な自分が桑田を制す。桑田は俺の言うことなんてなかったように、行こうぜとさっさと歩いて行ってしまう。佐々木さんをコイツから守るためだと自分に言い訳をして、俺は桑田について行った。

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