第13話 「鬼との契約」
僕の言葉に、柏木先生の、あの鉄仮面のような表情が、音を立てて崩れていく。 カツン、と。 彼の手から、採点用の赤ペンが滑り落ち、床に乾いた音を立てた。
古典準備室に、重い沈黙が流れる。 先生は、ゆっくりと床に落ちたペンを拾うと、僕と目を合わせようともせず、絞り出すように呟いた。
「……どうして、それを、知っている」
その声には、もう、いつもの威圧感はなかった。ただ、自分の聖域に踏み込まれた男の、深い動揺だけが滲んでいた。 僕は、震えながらも、正直に全てを話した。校長先生との会話を偶然聞いてしまったこと。そして、家に帰り、徹夜で、彼の伝説的な投稿の数々を夢中になって読み漁ったこと。
そして、僕は、ここで人生で最も大きな一歩を踏み出した。 それは、脅しでも、取引でもない。
「顧問になってください、とは言いません。でも…」
僕は、柏木先生をまっすぐに見つめて、続けた。
「僕は、先生の…『千年豆苗』さんのネタが、好きでした。僕たちも、先生みたいに、言葉で面白いことをしたいんです。だから、…僕たちの活動を、認めてもらえませんか」
僕の心からの「願い」。 その言葉を聞き終えると、柏木先生は、深いため息をつき、ゆっくりと椅子に腰掛けた。 彼は、しばらく目を閉じていたが、やがて、重々しく口を開いた。その顔はもう、いつもの「鬼の柏木」に戻っていた。
「…いいだろう。顧問になってやる。ただし、三つ、条件がある」 「え…」 「条件だ。一つでも破れば、即、廃部。いいな?」
僕は、ゴクリと唾をのんだ。
「条件①: 私は、名義だけの顧問だ。部室には一切、顔は出さん。活動内容も、お前たちで決めろ」
「はい」
「条件②: 『千年豆苗』のことは、他の部員にも、誰にも、他言無用だ。私の過去を探るようなマネも、許さん」
「…はい」
「そして、条件③: 次の期末テストで、部員全員が、クラスの平均点以下を取らないこと。一人でも赤点を取れば、その瞬間、廃部だ。以上だ」
それは、あまりにも厳しい、しかし、彼らしい「教育的指導」に満ちた契約だった。 けれど、僕の心は、不思議なくらいに晴れやかだった。
「はい!ありがとうございます!」
僕は、生まれて初めて出したような大きな声で、そう叫んでいた。 深々と頭を下げ、準備室を飛び出す。 ミッション、コンプリートだ。
こうして、僕たち大喜利同好会は、最強にして、最も厄介な顧問を手に入れた。 「部」になるための条件は、とりあえず条件③以外は現状クリアできる。
僕たちの、長くて、熱い戦いが、ようやく始まろうとしていた。
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