第10話 「目指せ、大喜利甲子園」

文化祭の喧騒も遠い昔のように感じられる、十一月中旬の放課後。


僕たちが通うのは、私立名城葉月(めいじょうはづき)高等学校。 名古屋市内でも、制服のデザインがおしゃれなことで、そこそこ人気がある私立高校だ。 特別に偏差値が高いわけでも、スポーツが強いわけでもない。けれど、「自主性を重んじる」という聞こえのいい言葉を掲げた、比較的自由な校風が特徴だった。 その「自由さ」のおかげで、僕たちのような、正式な部でもない、得体の知れない同好会が、旧視聴覚準備室などという治外法権みたいな場所で活動できているのだと思うと、少しだけ皮肉な気分になる。


そんな名城葉月高校の、片隅の、忘れ去られたような部屋。そこに、僕たちの「日常」はあった。


「お題:『魔王を倒した帰り道、勇者一行が一番気まずかったこととは?』」

「はい!俺!倒した魔王が、意外とご近所さんだった!」


「うわー、気まずい!ゴミ出しの時とか、絶対気まずい!」


山田君の答えに、僕がツッコミを入れる。 こんな風に、僕が当たり前に会話に参加できるようになったのが、ここ最近の大きな変化だった。


そんな、いつも通りの、平和な放課後。 その均衡を破ったのも、いつも通り、山田君だった。 セッションの合間にスマホをいじっていた彼が、「うおっ!」と奇声を発した。


「部長!大変っす! 見てくださいコレ!」


彼が血相を変えて、僕たちにスマホの画面を突きつける。そこに表示されていたのは、燃えるような筆文字でこう書かれた、派手なバナー広告だった。


『開催決定! 第一回 大喜利甲子園 ~全国高等学校大喜利選手権大会~』


「……日本一の、高校を決める、だと…?」 神田部長が、初めて見るほどギラリとした目で、その文字を睨みつけた。 冬に予選が始まり、春に決勝が行われるらしい。


「面白そうじゃん!出てみましょうよ、俺たちも!」 山田君が興奮気味に言うと、高橋さんが、冷静に募集要項のページを開いた。 「待って。参加資格は、『各都道府県の高等学校に、正式な部活動として承認されている団体であること』…。それに、部員は最低五人。あと、顧問の先生も一人、必要だよ」


その言葉に、盛り上がっていた山田君が「え…」と固まる。 僕も、突き付けられた課題の大きさに息を呑んだ。僕たちは、まだ同好会。メンバーは四人。顧問もいない。何もかもが、足りていない。 重い沈黙が流れた。やがて、その沈黙を破ったのは、神田部長だった。 彼は、静かに、しかし、燃えるような目で僕たちを一人ずつ見回して、そして、笑った。


「面白い。上等じゃないか。――まずやるべきことは決まったな。俺たちは、『部』になる。そして、甲子園に行くぞ」


***


しかし、言うは易し。僕たちはまず、「五人目の仲間」という大きな壁にぶつかっていた。 「手当たり次第に声をかけるのは効率が悪いよ。まずは、まだ部活に入ってない人からじゃない?」 高橋さんの的確な提案で、僕たちは自分たちのクラス名簿を眺めていた。


「あ、ウチのクラスだと…加藤、渡辺、それから…佐藤大輝も帰宅部だな」 山田君が、名簿の数人を指差す。 加藤健一は、クラスのお調子者。渡辺聡は、物静かな秀才だ。そして、佐藤大輝。その名前に、僕と高橋さんの空気が、少しだけ凍った。 山田君自身が、すぐに「…いや、でも、あいつはねえわ」と首を振る。 「中学の時、マジでヤバかったって有名だもん。今も目つき悪いし」 「佐藤くんは…ちょっと、ねぇ…」 高橋さんも、言葉を濁す。クラスでも、彼だけが、周囲の空気から浮いていた。


結局、その日の作-戦会議では、まず加藤君と渡辺君に声をかけてみよう、ということになった。


結果は、惨敗だった。


まず、一番可能性の高そうな加藤君に声をかけた。 「俺たちと大喜利やろうぜ!」と誘うと、彼は顔を青くした。 「えー、無理無理!ああいうのって、スベった時マジで地獄じゃん!俺は、みんなで騒いでる方が好きだわー。ごめん!」


次に、渡辺君に声をかけた。高橋さんが、大喜利の持つ思考の面白さをロジカルに説明する。 渡辺君は、少し考えた後、冷静にこう答えた。 「拝見しましたが、大喜利とは、論理的整合性を欠いた、非生産的な言語遊戯にすぎません。僕は、より普遍的な真理の探究に時間を使いたいので」


二度の失敗で、部室に重い空気が流れる。「もう、無理なんじゃ…」 そこで神田部長が、僕たちに言った。 「だから言っただろ。面白いヤツは、一番面白くなさそうな場所に隠れてるんだ」


その言葉に導かれるように、僕たちは最後の望みをかけて、旧校舎を彷徨っていた。 その時だった。 普段は使われていないはずの、選択授業用の古い教室。そのドアの隙間から、誰かの話し声が聞こえてくる。一人なのに、何人もの声を使い分けているような、リズミカルな語り口。


僕たちは、顔を見合わせ、音のする方へ、そっと近づいていく。 ドアの、曇りガラスの入った小窓から、僕たちはそっと中を覗き込んだ。 そこに、いた。 夕日に照らされた教卓を、一人だけの高座に見立てて、最初に候補から外したはずの男、佐藤大輝が座っていた。


「……だから、嫌いだって言ってるんだよ、まんじゅうは」


彼が演じていたのは、古典落語の名作『まんじゅうこわい』だった。 声色が、くるくると変わる。彼の表情と、わずかな仕草だけで、目の前に、何人もの登場人物がいるかのような光景が立ち現れる。 (落語…? 嘘だろ…? しかも、めちゃくちゃ上手い…) 僕たちが唖然としていると、噺のキリの良いところで、佐藤はふーっと息を吐いた。


その瞬間。神田部長が、静かに教室のドアを開けて、中に入った。


「!」 突然の侵入者に、佐藤の表情が、噺家から、鋭い目つきの「元ヤンキー」へと一瞬で戻る。彼は、椅子を蹴るように立ち上がり、僕たちを睨みつけた。 「あ? なんだてめーら…」


しかし、神田部長は、彼の敵意など意にも介さない。 同じ芸道を志す者へのリスペクトを込めた、静かな笑みを浮かべて、彼は言った。


「『まんじゅうこわい』か。いい趣味してるな」


その一言に、佐藤大輝の表情が、ただの警戒から「こいつ、何者だ?」という、剥き出しの驚きに変わった。 波乱に満ちた部員勧誘が、今、静かに幕を開けた。

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