第3話 「即興のセッション」

僕がこたつの隅に収まったのを確認すると、山田健太は待ってましたとばかりにマジックペンを手に取り、ホワイトボードに向き直った。その背中は、やけに堂々として見える。


「よし! じゃあ仕切り直し! 次のお題いくぞー!」


キュキュッと軽快な音を立てて、彼がボードに書き出したお題は、こうだった。


『あ、こいつさてはスパイだな』と気づいた。なぜ?


「はい、シンキングタイム、スタート!」


山田君がそう叫んだのと、彼自身が「はいっ!」と元気よく手を挙げたのは、ほぼ同時だった。早すぎる。


「俺から! 答えは…『やたらとスパイシーなものばかり注文する』!」


彼は「どうだ!」と言わんばかりに胸を張る。一瞬の静寂の後、高橋さんがくすくすと笑い出した。


(ダジャレか…! ベタ中のベタだけど、この回答スピードと、物怖じしない勢いはすごいな。まさにムードメーカーだ)


僕が心の中で分析していると、今度は高橋さんがすっと静かに手を挙げた。


「はい。じゃあ、私」


彼女は少しいたずらっぽく笑って、言った。


「定期テストの時、毎回きっちりクラスの平均点を取ってくる」


その答えに、今度は山田君が「あー、なるほど!」と手を叩き、神田部長も「良い視点だ」と短く呟いた。


(うわ、すごい…。優等生ならではの視点だけど、どこか意地悪な感じもする。スパイの『目立ちすぎず、馬鹿すぎず』という絶妙な立ち回りを的確に表現してる。面白い…!)


僕が感心していると、最後に、今まで黙って腕を組んでいた神田部長が、何の合図もなく、静かに口を開いた。


「じゃあ、俺は」


その声に、場の空気がスッと集中する。


「時々、会話の語尾がモールス信号になる」


山田君と高橋さんが、一瞬きょとんとして、次の瞬間、同時に「「ぶはっ!」」と吹き出した。


(なんだ、その答え…!?)


意味が分からない。理屈じゃない。

でも、口元だけをもごもごさせてモールス信号で会話するスパイの情景が、なぜか鮮明に目に浮かんでくる。


意味が分からないのに、面白い。これが、この人の大喜利……。


ダジャレの瞬発力。皮肉の切れ味。そして、理解を超えたシュールな発想。 レベルが、高い。 僕がノートの上で一人で遊んでいた、あの静かな世界とは全く違う。 僕は、ただ圧倒されて、三人が笑い合う光景を眺めることしかできなかった。


三人の大喜利は、止まらない。


神田部長が「じゃあ、次」と、ボードに新たな文字を書き出した。 今度のお題は、『こんな幽霊は嫌だ。なぜ?』。


山田君は「うおっしゃ! 燃えるぅ!」と腕まくりをし、高橋さんは面白そうに目を細めている。


山田:「怖がらせるより先に、自分の武勇伝を語り始める」


高橋:「スマホを持ってて、LINEの既読無視が早い」


神田:「憑依すると、だいたい肩こりがひどくなる」


どれも、僕のノートにはなかった答えだ。

特に、神田部長の答えは相変わらず意味が分からないのに、妙に僕のツボを刺激してくる。


(肩こりって……。除霊じゃなくて整体師呼べって話か…)


彼らの大喜利は、まるで高速で飛び交うピンポン玉のようだった。


お題が出されるたびに、山田君は勢いでボールを打ち返し、高橋さんは変化球で相手を翻弄し、神田部長は予測不能な場所にスマッシュを打ち込む。


三人とも、本当に楽しそうに笑っている。 その光景は、僕が知っている「大喜利」とは全く違った。


僕にとっての大喜利は、答えを探す孤独な探求だった。 一文字一句に悩み、完璧な着地点を見つけるまで、誰にも見せずに隠しておく、自分だけの秘密基地。 でも、彼らがやっているのは、違う。

相手の答えを受けて、さらに面白い答えを返す。その場で生まれる化学反応。言葉と、言葉のぶつかり合い。


それは、まるで――即興のセッションみたいだった。


時計の針が、いつの間にかかなりの時間を進めていた。


もう、放課後の太陽は完全に沈み、部室の窓の外は、真っ暗な夜の帳に覆われている。 山田君が「あー! 面白かった! 今日はもう終わりか!」と、伸びをしながら叫んだ。 高橋さんも「じゃあ、そろそろ帰ろっか」と、スマホを手に立ち上がる。


神田部長は、そんな二人を満足そうに眺めながら、僕に目を向けた。


「どうだった、桜井。少しは楽しめたか?」


その問いに、部室にいた全員の視線が、再び僕に集まる。


まただ。また、僕の番だ。 何か言わなければ。気の利いた感想なんて言えるはずがない。「はい」か「いいえ」か。それとも、また黙り込んでしまうのか。 頭が真っ白になる。


でも、その時。 僕の脳裏に蘇ったのは、さっきまで目の前で繰り広げられていた、あの光景だった。 山田君の勢い、高橋さんの切れ味、神田部長の、理解を超えた発想。 そして、三人が本当に楽しそうに笑っていた、あの空気。


ほとんど無意識に、唇から言葉がこぼれ落ちていた。


「…………すごいです」


自分でも驚くほど、素直な声だった。


僕のその呟きに、山田君と高橋さんは、少しだけ目を丸くして、そして、優しく微笑んだ。


神田部長は、すべて分かっていたというように、ただ静かに「そうか」とだけ言って、満足そうに頷いた。

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