第九話『ガラクタの中の鉱脈』
週末、俺たちは再びあの混沌の街、『ジャンク・ヤード』に立っていた。一度目とは、見える景色が全く違っていた。以前はただの無秩序なガラクタの山にしか見えなかった風景が、今は可能性に満ちた鉱脈のように、俺の目には映っていた。俺たちは観光客ではない。明確な目的を持った、探鉱者なのだ。
「さて、と。どこから攻めようか、律」
隣で雫が、まるで冒険の地図を広げるかのように楽しそうに言った。彼女は今日も、エデンの推奨からはかけ離れた、動きやすいがどこか古風なデザインの服を着ている。その姿は、この雑然とした街の風景に不思議と溶け込んでいた。
「まずは、あのオルゴールを買った店に行ってみよう。あそこの主人なら、何か知っているかもしれない」
俺がそう提案すると、雫は少し驚いたように目を丸くし、そしてすぐに嬉しそうに頷いた。
「いいね、律。すっかり探偵みたいになってきたじゃない」
彼女の言葉に、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。俺が、自分で考えて、行動している。その事実が、くすぐったいような、誇らしいような気持ちにさせた。
俺たちは人波をかき分け、記憶を頼りに例の店を目指した。強烈な匂い、耳をつんざくような騒音。以前は俺を萎縮させたそのすべてが、今は心地よいBGMのようにさえ感じられた。
店の前に着くと、主人の老人は、前回と全く同じように、壊れたラジオを分解しながら店先に座っていた。俺たちの姿を認めると、彼は油に汚れた手で無精髭を撫で、しわがれた声で言った。
「ほう、また来たのかい、嬢ちゃんたち。あの鳴らない箱は、どうしたね」
「直しに来たのよ、おじさん。でも、一つだけ部品が足りなくて。それを見つけに来たの」
雫がそう言うと、俺はポケットから小さなビニール袋を取り出し、中に入った折れた心棒の残骸を老人に見せた。
「これと同じくらいの太さで、これより少し長い、硬い金属の棒を探しているんです。何か、心当たりはありますか」
老人は、俺が差し出した小さな金属片を、眉間に深いしわを寄せながら、手慣れた様子でつまみ上げた。そして、それを陽の光にかざし、目を細めてしげしげと眺めた。
「……香箱の心棒か。こいつは難儀だな。こんなもん、今どきどこを探したって、同じものは見つかりゃしねえよ」
その言葉に、俺の心は一瞬、冷水を浴びせられたように冷たくなった。やはり、無駄なことだったのだろうか。
だが、老人はにやりと、歯の抜けた口で笑った。
「だが、まあ、お前さんたちみたいに、ガラクタに命を吹き込もうって奇特な奴らの頼みだ。無下にはできねえな。……あそこの隅にある、時計の部品箱を見てみな。ひょっとしたら、加工できそうな『素材』が見つかるかもしれん」
老人が指差した先には、店の最も奥まった、薄暗い一角があった。そこには、大小様々な木箱が、乱雑に積み上げられている。その一つに、『時計部品』と掠れた文字で書かれていた。
「ありがとう、おじさん!」
雫が礼を言うと、俺も慌てて頭を下げた。老人は興味なさそうに「ああ」とだけ答え、再びラジオの修理に戻ってしまった。
俺たちは、その木箱を二人で抱え、店の前の少し開けた場所に運び出した。蓋を開けると、そこには、役割を終えた無数の歯車やネジ、文字盤、そして時計の針が、まるで金属の墓場のように眠っていた。埃と、古い機械油の匂いがした。
「さて、宝探しの始まりだね」
雫はそう言うと、ためらうことなくその金属の墓場に両手を突っ込んだ。俺も、彼女に倣って、部品の山をかき分け始めた。
探しているのは、直径一ミリにも満たない、ただの金属の棒。それは、気の遠くなるような作業だった。最初は、どれも同じようなものに見えて、目が眩みそうになった。だが、雫に教わった通り、一つ一つの部品を指先で感じ、その形や重さ、質感を確かめるように、集中力を研ぎ澄ませていった。
時間は、あっという間に過ぎていく。俺たちは、ほとんど言葉を交わさなかった。ただ、時折、互いの指先が部品の山の中で不意に触れ合う。そのたびに、俺の心臓は小さく跳ね、意識が目の前のガラクタから、隣にいる彼女の存在へと引き寄せられた。彼女の真剣な横顔、作業に集中して少しだけ開かれた唇、陽の光に透ける髪の色。そのすべてが、この金属の墓場の中で、唯一の生命の輝きを放っているように見えた。
どれくらいの時間が経っただろうか。箱の底が見え始めた頃、俺たちの間には、諦めに似た沈黙が流れ始めていた。見つからない。やはり、老人の言う通り、都合の良い『素材』など、このガラクタの山には眠っていなかったのかもしれない。
「……ダメ、かな」
雫が、力なく呟いた。その声には、いつもの快活さはない。俺は、彼女を励ます言葉を見つけられなかった。ただ、無力感が全身を支配していた。
その時だった。
俺の指先に、ひときわ細く、そして硬質な感触が伝わった。それは、他のどの部品とも違う、鋭利な感触だった。俺は、それを慎重につまみ上げる。
それは、古い懐中時計の、青焼きされた時針だった。細く、しなやかで、しかし確かな強度を持っている。太さは、探している心棒よりも、ほんのわずかに太いだけ。
「……雫、これ」
俺が声をかけると、雫は顔を上げた。そして、俺の手の中にある針を見ると、その瞳に、再び光が宿った。
「……いける。これなら、いけるわ、律!」
彼女は、まるで自分の手で見つけたかのように、声を弾ませた。
「この先端部分を切り落として、側面をほんの少しだけヤスリで削れば……完璧な代用品になる。ううん、元の部品よりも、ずっと良いものになるかもしれない!」
諦めかけていた心に、再び火が灯る。俺たちは、顔を見合わせた。埃と油で汚れた互いの顔を見て、どちらからともなく、ふっと笑いがこぼれた。それは、達成感と、安堵と、そして二人で何かを成し遂げたという、確かな喜びが混じり合った笑いだった。
俺たちは、礼としていくらかの旧式通貨を老人に渡し、その一本の針を譲り受けた。店を出ると、日はすでに大きく西に傾き、ジャンク・ヤードの空を茜色に染めていた。
「お腹、空かない?」
雫が、俺の顔を下から覗き込むようにして言った。言われてみれば、朝から何も口にしていない。
「ああ……」
「じゃあ、祝杯をあげに行きましょうか。私たちの、最初の勝利の祝杯をね」
彼女が俺を連れて行ったのは、前回と同じ、あの焼き菓子の屋台だった。俺たちは、熱々のそれを一つずつ買い、近くの階段に腰掛けて食べた。素朴で、不格好で、しかしどうしようもなく優しい甘さが、疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
「まさか、本当にあるなんてな」
俺は、ポケットの中の時針にそっと触れながら、呟いた。
「あるのよ。諦めなければね。エデンの世界では、答えはいつも『与えられる』ものだけど、ここでの答えは、自分の手で『見つけ出す』ものなの。ううん、答えがないなら、『作り出す』ものなのよ」
雫は、夕焼けを眺めながら、静かに言った。
「今日の律、すごくかっこよかったよ。諦めずに、最後まで自分の指の感覚を信じてた。あの針は、律が見つけた宝物だね」
「……あんたが、いや、雫がいたからだ」
俺は、照れくささを隠すように、そっぽを向いて言った。
「雫がいなかったら、俺はとっくの昔に諦めていた。一人だったら、あのガラクタの山を、鉱脈だなんて思えなかった」
それは、俺の偽らざる本心だった。彼女が、俺の世界の見方を変えてくれたのだ。
俺の言葉に、雫は何も答えなかった。ただ、夕日に照らされた彼女の横顔が、ほんの少しだけ、赤く染まっているように見えた。
帰り道、俺たちは古文書修復室に寄り、あのノートを開いた。今日の勝利を、記録するために。
『実験記録:ジャンク・ヤードにて、オルゴールの心棒の代替部品を発見。AIが提示する『解』ではなく、自らの手で『素材』を見つけ出し、新たな価値を創造する可能性を、我々は確認した』
雫がそう書き記すと、俺はペンを受け取り、その下に、今日の本当の記録を書き加えた。
『俺は、彼女といると、諦めるという選択肢を忘れてしまう。ガラクタの山さえも、宝の山に見えてくる。この感情を、エデンは『非合理な共感バイアス』とでも分析するのだろうか。だが、俺にとって、それは世界で最も確かなコンパスだ』
まだ、オルゴールは鳴らない。だが、俺たちの心の中では、確かに、新しいメロディが生まれ始めていた。それは、誰にも聴こえない、二人だけの、不器用で、力強い音楽だった。
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