第29話「閑話・203号室の壁、飛び出す巨大な猫の爪」

 ――ガリガリゴリゴリゴリッ!


 解体工事のような、巨大な音。

 それが幾度も繰り返され、大地はついに目を覚ました。

 早朝4時のことだった。


「んだよ、るっせえな……」


 音の出どころは、隣の部屋。

 ラザニエルとソルソルのいる、202号室だ。


 ――ガリガリゴリゴリゴリッ!

 ――ガリガリゴリゴリゴリッ!


「……マジで何やってんの?」


 鳴り止まぬ破壊音に、大地は好奇心から電気をつけ、音の出どころの壁に耳をくっつける。

 その瞬間。


 ガガガガガガッ!!!


 薄い壁を『なにか』が突き破り、4条の傷を走らせた。

 飛び出ているのは真っ黒な、三日月のような巨大な鋭い爪。

 ぴかぴか光る鋭利なそれは、大地の頭に3センチ届かぬ場所で止まった。


「………………は、」


 ザーッ、と血の気が引いていく。

 同時、202号室からも叫び声。


「お、おいラザ、やばいやばいやばい!」

 

「え、えっ……爪研いでる!?」


 ――ガリガリゴリゴリゴリッ!

 

「う、うわあああ!!!」

 

「ぎゃああああ!!!やめろおおお!!!」


 これは絶対に隣人のピンチだ。

 ラザニエルとソルソルを、助けなくては。

 

 大地の頭の中が、カチリと『ゲーム脳』に切り替わる。

 

 彼はキッチンから包丁を2本拝借。

 順手と逆手に持ち、かっこいい構えのポーズを取ると、ヒュッ!ヒュッ!とゲームの中の『二刀流剣士』を真似た動きで振る。


「……よし」


 小学生という生き物は、まだ現実と虚構の区別がついていない。

 ゲームをやれば、自分なら生身でもかっこよくドラゴンを倒せると思うし、でかい剣を簡単に振り回せると思っている。

 

 大地も例外ではなく、包丁のみで『あの爪の持ち主』に勝てると思ったのだろう。

 この異常事態に『たたかう』モードを選んでしまった。


「今助ける!!!」


 そう声をかけたのち、包丁の勇者は202号室へと全力ダッシュ。

 ドアは開いていないが、ガラス窓が無かったので、そこから侵入。

 寝室の奥に見えたのは、四本腕の巨大な黒猫。

 

「ハハッ、チュートリアルには丁度いいぜ……!」


 自分を鼓舞するように言い聞かせた大地は、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ!と踏み込み、デストロイヤーの背中に包丁を突き立て――ようとする寸前、長い尻尾でパァン!と弾かれた。


「ぶぇぐっ!」


「童。それは人に向けるなと、大人に教わらなんだか?」


 立てば2メートル30センチ。

 そんな四本腕の黒猫が、尻もちをつく大地に覆い被さる。

 

「や、やめろ!やめろーーッ!」


 包丁を手放してしまった大地は、もう手足をばたつかせるくらいしか抵抗の術がない。 

 10歳児の暴れる手足は、敵の上の両腕だけで固められ、下の両腕は無防備な腹に伸びる。

 大地はギュッ!と目を瞑り、ぶるぶる震えながら命の終わりを覚悟した。


 が、デストロイヤーは下の両腕を使って、爪も出さずに大地の腹や脇をくすぐるばかり。

 笑いすぎて泣くまでこしょこしょされ、大地はヘトヘトになって床に転がされた。


 *


「きたねえぞ!ずりい!こちょこちょくらいで勝ったと思うなよ!」

 

「ハ、おもしろ」

 

「ざっけんなゴリラ猫!」

 

「ハハハ、まあ仲直りだ、童。腹の毛を触らせてやろう」

 

「い、いいの……?」

 

「よいぞ。麻呂は気が長い」

 

「じゃあ、おじゃましま~……ウワーーッ!やめろ!やめろ!ぎゃはははは!」

 

「クク、ハハハッ。おもしろ」

 

 罠にかかる大地と、子どもをからかうデストロイヤー。

 そんな彼らとは対称的に、ラザニエルとソルソルは203号室と繋がってしまった壁を見て、絶望。


「これ、どうする?」

 

「弁償するしかないよね。ホームセンターで漆喰買ってくるよ」

 

「デストロイヤーの使えそうな爪研ぎも買わないとな。材質は何がいい?」

 

「使い捨ての畳はあるか」

 

「まず地球には『使い捨ての畳』って概念がない」

 

「あなや」


 それから『使い捨ての畳』を超格安で手に入れるまで、202号室と203号室の境界線は度々なくなり。

 ラザニエルとソルソルは漆喰の塗り方がどんどん上達、職人もびっくりなほどにまで上手くなった。

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