第9話 王女の輝きと『全て』

「……さま……姫様……!」



 誰かが私を呼ぶ声で、暗く沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。

 重い瞼をこじ開けると、最初に目に飛び込んできたのは見慣れない、しかし品の良い木目調の天井だった。



(……知らない天井だ。)



 前世の記憶が不意によぎり、そんなことを思ってしまう。

 こんな事を言える時点で、私は元気なんだろう。


「姫様がお目覚めになりました!!」


 すぐ側で声がし、視線を向けると、見知らぬメイドが部屋から駆け出していくのが見えた。

 ここは大使館の、私に用意された寝室……かな。



「姫様……!良かった……。」


 今度は、よく知る声がした。

 私の手を優しく握り、涙ぐんでいるのはソフィ。

 その顔には深い疲労の色が見て取れた。

 私はそんなソフィに、



「……ソフィ、ごめんね。心配、かけちゃった。……えっと、私、どうして……?」



 掠れた声でそう尋ねた。








 路地裏での出来事は鮮明に覚えている。

 彼女を抱きかかえ、大使館に戻り、執務室に入った。

 二人がいて、お母様が私を叱って。

 それから……それからどうなったっけ……?



 そこからの記憶が、まるで切り取られたかのように無い

 ただ、心の奥底が燃えるような、そんな不思議な感覚が胸を包んでいた。




 私の問いにソフィが何かを答えようとしたその時、寝室の扉が勢いよく開け放たれた。


「ああ、テラス、テラス!気が付いたのだな!良かった…!」


 飛び込んできたお父様は、私のベッドに駆け寄るなり、安堵の表情を浮かべた。

 その目には安心のような、それでいて後悔のような複雑な色が浮かんでいる。


「テラス。気分はどう?本当に心配したのよ。……本当にね。」


 続いて入ってきたお母様は、静かに私の額に触れる。

 でもその手は、いつになく冷たい気がした。





「お父様、お母様……。私、あの後どうなったのですか?執務室でお母様に怒られて、それで……。」


 私がそう尋ねると、お父様とお母様は顔を見合わせた。

 しかしその顔は、驚きというより安堵の様に見えて。

 先にお母様が口を開いた。その表情は、深い憂慮と、娘を慈しむ母の顔をしていた。


「……テラス。貴方、覚えていないのね?貴方、執務室で倒れたのよ。」


「……倒れたの、ですか?」



「ええ。スルンツェが、貴方が連れてきたあの子の処遇について厳しい話をした時……貴方、必死に『あの子は友達なの』と泣きながら訴えたわ。それでもスルンツェが首を縦に振らないものだから、貴方、とうとう張り詰めていた糸が切れてしまったのね。そのまま、気を失ってしまったのよ。」




(私が……泣きながら……?)


 全く覚えていない。でも、あの時の私なら、そうしていてもおかしくはない……のかな。


「そうだ、テラス!」


 悩む仕草を見せた私に、お父様が焦ったようにお母様の言葉を引き継いだ。

 その顔は、決まりが悪そうに赤らんでいる。


「まさかお前が、そこまで必死に訴えるとは思わなくてな……。お前が倒れた後、ロアからも『娘の初めての友人を無下にするつもりか』とこっ酷く叱られた。……その、すまなかったな。」


 ……つまり、私は覚えていないけれど、必死に泣いて訴えた結果お父様が根負けしたということ?

 まあ、なんにせよあの娘は助かったらしいが……。


「……本当、ですか?」



 私の問いかけに、お父様はいつもの笑顔ではなく暗い表情で答えた。


「うむ。お前が、あの子を『初めての友』として、命懸けで守ろうとしたその心意気、父は誇りに思うぞ!……友を奪おうとしてしまったこと、すまなかったな。」


 お父様は勘違いしているようだが、今はそれでいい。

 「友だち」という都合の良い言い訳が見つかったのなら、それを使わせてもらおう。

 今は、ね。


(……って、あれ?命懸けって……?)






 なにか気になる言葉を聞いた気がしたものの、それより私はあの娘の事が気になっていた。


「お父様。体の調子もよさそうですし、早速彼女の元へと向かってもよろしいでしょうか。」


「うむ。……だが、本当に体調は大丈夫なのか?」


「はい。問題ありません。」


 私がベッドから起き上がり、ふらつくことなく直立してみせると、お父様は安心したように頷き部屋を出ていく。

 お母様もそれに続こうとしたが、不意に振り返った。

 お父様はそんなお母様の行動に気が付き振り向いた。





 お母様は、頭に疑問符を浮かべる私の眼を見つめ、真剣な表情で私に問う。


「テラス。あんなに必死になって守ろうとしたあの子は、貴方のいったい何なのかしら。」


 そんなお母様の質問に、私は即答した。

 考える必要などなかった。



「彼女は、私の全てです。」



 そう言い切った私を、少し黙って見つめた。

 そして、


「ふふふ、そうなのね、テラス。なるほどね。」


 と、一人納得して笑うお母様。

 置いていかれて戸惑っているお父様は、


「ど、どういう事だテラスよ。」


と、私に問う。

 お母様は戸惑うお父様を無視して私に近づき、そして耳元で私に囁いた。


「私はね、テラス。恋愛に性別なんて関係ないと思うわよ♪」





 そう悪戯っぽく囁くと、お母様は楽しそうに笑って部屋を出ていった。敵わないな。

 二人が部屋を出て行ったのを確認した私は、ベッドサイドで控えていたソフィを見る。


「ソフィ。……私、迷惑かけちゃったね。ごめん。」


 お父様とお母様がいなくなったことで素に戻りつつある私に、ソフィは説教をする。


「……姫様。私はあの時執務室内に居なかったので、何が起きていたのかはわかりませんが、とにかくもう無茶は二度としないと約束してください。」



「わかったよ、ソフィ。もう二度と無茶な事はしないって約束する。だからお願い。またいつものように笑って、私の身支度を手伝ってくれない?」



 その言葉で呆気にとられるソフィは、少し笑うと、暗い表情からいつもの表情へと変わったのだった。


「では姫様。身支度を開始いたしますので、鏡の前でお待ちください。」


「はーい。」


 そう返事して鏡の前に移動した私。

 そして、ふと鏡に映った自分の姿を見て、息を呑んだ。



 私の純白だった髪。その左の前髪の一部だけが、見覚えのある艶やかな黒髪へと変貌していたのだ。

 日本人形のように美しいと親戚によく褒められていた『前世の私』の髪色。



(これが倒れた影響……?覚えていない。一体何が……。)



 理由は分からない。

 でも、不思議と嫌な感じはしなかったので、今は気にしないことにした。




 ソフィによって身支度が整えられた私は、いつもの動きやすいドレスではなく、しっかりとした王女のドレスにティアラまで身に着けていた。

 私を待っているであろうあの娘に少しでもカッコいい姿を見せたいからと、私がソフィにお願いしたのだ。


 部屋を出て、彼女が待っている客室へと向かう。

 廊下ですれ違う使用人達は皆、私の姿を見ると驚いて即座に跪いていった。

 私は普段なら微笑みながら「普通にしていてください。」と言うが、今日は威厳とオーラたっぷりに、開かれた道を歩いていく。


 その姿は、どこに出しても恥ずかしくない、王族の姿であった。





 彼女の部屋の前には、お父様の近衛兵の内の二人が立っていた。

 兵士達は私を一目見ると、その瞳に驚愕を浮かべ、そして敬礼をした。

 姫様モードな私は優しい笑顔を浮かべ、兵士達に労いの言葉と、持ち場に戻るようにと指示を出す。

 兵士達は了解の意を告げ、一度敬礼をしてから去っていった。


 私はソフィに待機を命じ、一人で部屋の扉をノックした。




 中から、か細い返事が聞こえる。

 私は深呼吸を一つして、ゆっくりと扉を開けた。


 部屋の中央には、窓の外を不安げに眺める少女の姿があった。

 私の気配に気づき振り返った彼女は、私の姿を見て固まった。

 無理もない。少し前まで路地裏で泥にまみれていた少女の前に現れたのが、おとぎ話に出てくるようなお姫様なのだから。




 私は少しだけ彼女に近づく。

 そして優雅な挨拶をしようとした。

 でも、目の前には前世で心の底から深く強く愛しそして求めた存在の幼いころの姿。

 私は高鳴る鼓動と今すぐ『私のモノにしたい』というあまりに強すぎた溢れる欲望を、最も健全な手段で抑えるために、優しく抱きしめた。


「うぇぇ!? い、一体何を!?」


 驚き戸惑う彼女を無視して、私は無言で少しの間抱きしめ続けたのであった。




 しばらくして、私は体を離し彼女の目を見つめる。


「突然ごめんなさい。貴方に『再び出会えた』ことが嬉しくてつい……。」


「い、いえ……。」


 私から解放された少女の瞳は、困惑と不安で揺れていた。

 そらそうだ。突然知らない人にこんなところに連れてこられて、沢山の知らない人に監視されながらこの部屋に軟禁されたら不安しかないだろう。

 あっ、不安と言えば……。



「ところで、一つ聞いてもいい?……私が貴方を攫ったこと、怒ってない……?」



 不安だった。無理やり連れてきてしまったことへの罪悪感が、ずっと胸の内にあった。

 彼女は、少し驚いたように瞬きをすると、やがて首を横に振った。


「……姫様が私を助けてくださった時、月光に照らされながら舞い降りてくる様は、天使様かと思いました。天使様は地獄から私を連れ出し、そして私の身を守るため、王様方に勇敢に立ち向かって下さった。……そのような方に、怒りの感情など湧くはずがありません。」



 天使は貴方なんだよ!と、心の中で叫びながら彼女の続きの言葉を待つ。



「天使様、いえ、姫様。私は姫様に救われた身です。どうか、私の全てを姫様に捧げることをお許しください。姫様へ絶対の忠義を。……正直に申しますと、もう姫様から離れたくないのです。」


 そう言って照れたように笑う。

 その健気な言葉に、私は再び彼女を強く抱きしめる。



(いい子過ぎる…!もう絶対に、離さない…!)





 私は欲望の抑制を終えると、彼女から離れ、彼女の目を見て伝える。


「ごめんなさい、感情が抑えられなくて。……私としては、忠誠とかじゃなくて、出来ればお友達になってほしいな。……ダメかな?」


 そう言って、少し不安げに彼女を見つめる。

 彼女はしばらく戸惑っていたが、やがて私の決意の固さを理解して諦めたのか、笑顔を見せた。


「わ、かりました。……私と、お友達になってください、姫様!」


 と、元気よく微笑んだのだった。




 彼女の尊い姿に、 私は頭の中で、浄化され、灰になっていく自分の光景が浮かんでいた。

 推しと友達になれた。

 その喜びに打ち震えながら、私はふと先程から思っていたことを思い出す。


「そうそう。そろそろ、貴方を貴方って呼ぶの何だか寂しいから、名前をあげたいの。私からの最初の親愛の証として、受け取ってくれない?」


 彼女は頷く。

 彼女の緊張が、繋いだ手から伝わってくる。


 私は、その名を口にする。それは、前世で私の全てだった存在の名。

 私が前世で欲していた母性たっぷりの、白髪の美しい女性。




「エクラ。それが今日から貴方の名前。……どう、気に入ってくれた?」




 彼女は、少しの間その名を反芻するように黙り込み、そして。


「エクラ……。とても、素敵な名前です……!!私は、エクラ……。えへへ。エクラ!」


 満面の笑みを浮かべ、何度も自分の名前を口にする。

 その姿は、生まれたての雛鳥のように無垢で、そしてあまりにも可愛らしかった。


「姫様!私の名前を呼んでください!」


 そうお願いされ、私は最高の笑顔で応える。


「うん、いいよ。……エクラ!」




 名前を呼ばれた彼女は、嬉しそうに体をくねらせていたのであった。

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【百合】私の最後の奇跡は、君が笑う世界を創ること ルミネリアス @Luminerious_87

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