第7話 王女の狂愛は産声を上げて

 思考よりも先に、魔法が展開されていた。


「炎弓千々矢。」


 私の手に炎で出来た弓矢が現れる。引き絞った弦から放たれた一本の矢は、空中で無数に分裂し、私の『推し』をいじめる愚者どもへと降り注ぐ。




 だが、命中する寸前で我に返った私は、咄嗟に矢の挙動を変えた。




 愚者どもの周囲に着弾した炎の矢は、辺りを一瞬で火の海に変える。

 突然空から炎が降り注いだことに驚いた者達は、悲鳴を上げて逃げ惑った。


 が、そんなもの、もはや私の眼には入っていなかった。


 私は不可視と無音の魔法を解き、ゆっくりと少女に向けて降下していく。

 『私の』少女に向けて。







 少女は、自分の名前すら知らない。

 物心ついた時から、この街の片隅で生きていた。

 親の顔も知らず、頼れる者もいない。ごみを漁り、水たまりの水を啜り、寒さに震えながら、ただ今日を生き延びる。

 少女は、そんな状態を不幸だとも思えない。



 今日は運悪く、意地の悪い男達に捕まった。

 石を投げられ、殴られ、蹴られる。この少女のように暴力を振るわれる女性の姿は、ここでは珍しくない。


 唯一の幸運は、少女が少女だった事だ。

 年齢がもう少し上だったら、次にその女性達に待っている運命の想像は難しくないだろう。


 少女は、この時間が早く終わることだけを願っていた。



 その時、天が紅に染まった。



 気が付くと、辺りが火の海になっている。何が起こったのか、分からなかった。


 我に返った少女が天を見上げると、そこには、自分と同じぐらいの年の、しかし自分とは圧倒的に違うオーラを放つ少女が、ゆっくりと舞い降りてくるところだった。

 少女にはそれが、天使様にしか見えなかったのである。







 私は赤く染まった世界に降り立ち、『私の』少女に近づく。

 手を伸ばし、その手を取った。

 私の体は、歓喜に震えていた。心の底から、喜びが溢れてくる。

 絶対に手が届かないと思っていた推しに、今、手が届いた。

 私の顔は狂気と愛に歪む。

 

 ……もう、離さない。


 




「再生魔法・キュア。……はい、これでもう傷は大丈夫。ねえ、貴方、名前は?」


 回復魔法をかけ、その傷を癒すと、私は笑顔で尋ねる。

 周りは私が放った炎のせいで阿鼻叫喚だが、気にもならない。

 だって私は、この世で最も大切な存在に出会ってしまったのだから。


 彼女は少し怯えながら、答える。


「わ、私、名前は……無いんです……。」



「……そうなんだ。」


 そう言いながらも、私は内心で喜んでしまっていた。

 ああ、なんて都合がいいのだろう、と。


「ねえ貴方、私と一緒に来ない?そしたら、貴方の願い事をなんでも叶えてあげる。何だってかまわない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ。」


 私は、困惑する少女に対し某悪魔のようなセリフを言い放った。




「あの、えっと、なぜ見ず知らずの私に、そこまで…?」


 当然の疑問だ。しかし私は、当たり前のように答える。


「それは、……貴方が欲しいんだ、私。」


 私は改めて間を置き、少女に両手を広げる。

 そこには聖女の抱擁が待っているようでもあり、悪魔の契約が待っているようでもあった。


「私は貴方に全てを与える。だから貴方も、貴方の全てを頂戴?」


 選択肢を与えている私だが、到底逃がす気などなかった。




 待っているうちに、先程の愚者どもが衛兵を連れて戻ってきた。


「あの忌物がやったんだ!早く殺してくれ!」


 私の彼女に、なんて言い草だろうか。




 ……万死に値する!!


「落雷龍!」


 私の怒りが、前世の龍の形を模した雷となって顕現する。雷の龍は愚者どもを喰らい、一瞬で消し炭に変えた。

 衛兵は腰を抜かしてその場にへたり込んでいる。



 そんな光景に固まっている彼女に、私はもう一度手を差し出す。


「私が貴方を守ってあげる。だから、一緒に行こ!」


 段々口調の化けの皮が剥がれてきた私の手を、彼女はおずおずと取ってくれた。


「え、えっと、よろしくお願…って、きゃあああああ!?」


 手を取ったことを了承とみなし、私は彼女を抱きかかえると、夜空へと急上昇したのだ。

 絶叫する彼女をお姫様抱っこし、私は大使館へ向けて飛んでいく。


「浄化、洗浄。」


 道中、自作の魔法で彼女の汚れを綺麗にすると、彼女は驚きに目を見開いていた。

 私はそんな彼女に、いたずらっぽく笑いかける。


「私はテラス・テオフィルス・シュトラール。シュトラール王国のお姫様だよ。」


「え、えええええええ!?!?!?」


 彼女は再び、絶叫した。








――――――――


 しばらく空を飛びながら彼女に、今向かっている場所と、私について軽く説明した。

 そして、大使館に着いた私は、こんな真夜中であるにも関わらずせわしなく人々が蠢いている事に驚いた。

 お父様も、起きていた。そして、ものすごく、焦っていた。

 そして不可視と無音を解いて、彼女をお姫様抱っこしたまま、大使館に向けて歩き出す。

 私は、腕の中の彼女を見て、


「今日のことは、秘密だよ?」


 と少し、いたずらな笑顔でそう言ったのだった。




 大使館の門兵は、突然現れた私たちに一瞬武器を抜きかけるが、すぐに驚愕の表情に染まる。


「ひ、姫様!?……と、そちらは?いや、それより、今すぐに陛下たちの元へとお向かいになってください!よくぞご無事で……。本当に、良かったです……!」


 あぁやっぱり、私が抜け出したことバレてる……。

 私は、怒られるだろうな……と重い足を引きずりながら大使館へと入っていった。







「この、大馬鹿者!私達がどれだけ心配したと思っているの!?」


 腕に少女を抱いたまま入ってきた私に、お母様はそんな言葉をぶつける。お父様はただ「良かった…」と呟きながら泣いていた。

 しばらく説教が続いた後、お母様は私の腕の中にいる少女に目をやり、ため息をついた。


「はぁ……。で、その女の子は誰かしら?何があったか説明なさい。」


 私は、事の顛末を少しだけ変えて話した。

 大使館の裏口からこっそり抜け出し、夜の街を見て回っていたら、彼女がいじめられていたので助けた、と。

 その過程でついカッとなって、この世界の一般的な雷魔法(本当は私のオリジナル魔法だけど)を使ってしまった、と。




 お母様はしばらく無言で考え込み、そして静かに私を諭す。


「…貴方が魔法を放った地区が私達の管轄だったから良かったものの、もし他国の管轄地だったら、国際問題に発展していたのですよ。」


 確かにその通りだった。

 我が国は世界の平和の楔。他国との関係悪化は、世界の崩壊を招きかねない。

 ……失態だった、と反省してへこむ私に、お父様が口を開いた。


「そうだぞ、テラス。だが、今回はテラスの初めての遠出!これで反省し学んだのであれば、賢いお前ならもう2度と同じ過ちは繰り返さないだろう!!」


 そう言ってお父様は豪快に笑い、その姿にお母様は呆れつつも笑顔で笑ったのであった。






 それで終わっていれば、良かったのに。



 豪快に笑っていたお父様は、ふと私の腕の中の少女に視線を落とす。

 そして、その表情を暗くさせた。


「……さてテラスよ。その少女の処遇だが、どこの国の者かも分からず、ここで色々と見てしまった以上、そのまま返すわけにもいかない。」


 その発言に、私は突然崖から突き落とされたかのように、全身の血の気が引いていくのを感じた。

 真っ青になる私に、お父様はさらに続ける。



「記憶処理をして街に返したいが、あの魔法の負荷は人間の少女では耐えられず脳が焼き切れるだろう。」



 きおく……しょり……?やききれ……?





「よって可哀そうだが、魔法の負荷に耐えられる年になるまで王国にて監禁、……もしくは『処理』の二択だ。」

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