第2話 王女の前世と素顔
……ここは、どこだろう。
何も見えず、何も聞こえない。手足を動かそうにも、まるで分厚い水の中にいるように体が重い。声すら出せない。
どれくらいの時間が経ったんだろう。五億年ボタン、なんて言葉が不意に頭をよぎっては消えていく。
……駄目だ、変なことを考えるのはよそう。落ち着いて、情報を整理しなくちゃ。
確か、私は……。あれ、名前が思い出せないな。
思考に靄がかかったように、自分のことが何も思い出せない。
でも、私以外のことは思い出せる。
確か私は「日本」という国の学生だったはずだ。ゲームが好きで、学校が終わると寄り道もせず家に帰っては、仮想の世界に没頭する毎日だった。
そうだ、あの日も、大好きなゲームの、私の「推し」の記念日だった。少しだけ寄り道をして、彼女の好物だったチーズケーキを買おうとして……。
そこからの記憶がない。
……まあいいか。てか明日からテスト週間だし、勉強しないといけないんだからこんな変な夢見てないで早く寝ないと。
それから、どれくらいの時間が流れたんだろうか。精神がおかしくなりそうだった。てか、おかしくならなかった私を誰か褒めてほしい。
なんか声出ないし、動けないしで辛い。
でも、なんだか落ち着くような……。
そんな精神がおかしくなりそうなほどの静寂と孤独の中、唐突にそれは訪れた。
「~~~~~~~~」
くぐもった音。それが何の音かは分からなかったけれど、私以外の何かが存在するという事実だけで、涙が出そうになるほど嬉しかった。
そして、しばらくして。
私はついに、外の世界へと押し出された。
そこでようやく理解した。いや、本当は薄々気づいていたのかもしれない。
私は、胎児だったのだ、と。
そんな私の数奇な誕生から、七年の月日が流れた。
どうやら私は「異世界転生」というものを経験したらしい。死んじゃったのかな、私。
それは漫画やアニメの世界の出来事であり、実際に自分の身に降りかかってくるとは全く思ってもみなかった。
次に、私は人間ではなくなってしまった。
父は龍、母は吸血鬼。本来あり得ないはずの二人の間に生まれた私は、「奇跡の子」と呼ばれている。そして、そんな二人の血を受け継いでいるため、「吸血龍姫」なんて、恥ずかしい二つ名まであるそうだ。
前世の知識は消えていないが、やはり自分の名前や家族といった個人的な情報に触れようとすると、激しい頭痛と共に思考が強制的に遮断される。
鮮明に思い出せるのは、意地でも忘れたくなかった「推し」の姿くらいだ。
もはや愛していたので、意地でも忘れなかったのだろう。……あ、私の推しは美人でやさしい『女性』ですよ。
しかし、私が真に冠する肩書きとは平和の象徴。七歳の少女が背負うにはあまりに重い肩書きだが、私はまだその重さを理解していない。
あとは、この世界には発見済みの大陸が三つあるらしい。
一つ目は人族の大陸、二つ目は魔族の大陸、三つめは忌族と呼ばれる理性のない獣や化け物が蔓延っている大陸がある。
忌族はゲームの魔物みたいな奴だと勝手に想像している。あれでしょ。青くてプルプルしていて勇者に自分の身の潔白さを必死に訴えるあいつ。
……てか、そんなゲームだったら私は魔物として出演するのでは……?
「姫様、おはようございます。」
前世のとあるゲームを思い出していた私の思考を遮った彼女は、私の専属メイドであり、護衛も務めるソフィ・トラバント。
私が今より更に幼い頃、「普通に接してほしい」という私の願いを聞き入れ、唯一人、対等な友人として叱り、そして支えてくれる腹心だ。彼女の前でだけは、私は「姫」の鎧を脱ぐことができる。
「おはよう、ソフィ。」
大きな鏡の前に立たされ、ソフィの手で寝間着からドレスに着替えさせられる。
鏡に映る自分の姿は、我ながら人形のように愛らしい。純白の髪に白い瞳。幼いながらも整った顔立ちは、将来絶世の美女になることを約束しているようだった。
だが、そんな見た目とは裏腹に、私の日常は決して優雅なものではなかった。
朝は、ソフィによる王族としての礼儀作法の勉強。
昼は、お父様(スルンツェ)との近接戦闘訓練。
夜は、お母様(ローアル)との魔法戦闘訓練と高度な勉学。
……つらい!しんどい!姫辞めたい!
まるで、いつか来る『何か』に備えさせるかのような、息の詰まる毎日。普通の学生だった私には、この重圧は厳しすぎる。
ああ、日本でのあの暮らしが、まさか王族よりも贅沢だったなんて。
「…さま。姫様。聴いていましたか?」
「え、うん。もちろん聞いてたよ。」
「……嘘ですね。」
「ばれた!?」
私の嘘など、ソフィにはお見通しだ。彼女は呆れたように一つため息をつくと、もう一度告げる。
「はぁ……。明日、スルンツェ様とローアル様は世界会議にご出席なさるため、王都を発たれます。一週間はお帰りになりませんので、今日中にお別れの挨拶を済ませておくべきかと。」
「わかった。ソフィ、いつもありがとね。」
「まったく、姫様はいつも上の空なのですから。」
そんなやり取りを繰り広げながら、今日もまた、重圧に満ちた一日が始まるのだ。
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