第52話 夜明けを待つ部屋
ローラは読書中だし、町への付き添いはミラ婆さんにお願いしよう。
外を覗いて、こどもたちと洗濯ものを干している彼女に駆け寄った。
「おやルルアちゃん、見ておくれよこの白さ! ルルアちゃんから借りた本のおかげだよ! 今日は片っ端から洗濯してやろうかね!」
「ふふっ、役に立って良かった!」
上機嫌のミラ婆さんは、今日は本に書いてあることを色々実践するのだと張り切っている。
じゃあ、忙しいよね。
「僕、町へ行って来てもいいかな」
「いいとも! でも、気を付けていくんだよ!」
あっさり許可が出たので、満面の笑みで頷いた。
お店の大体の場所は覚えたし、危ない人たちへの対処法もある。僕も、そろそろ一人で大丈夫だと思っていたんだ。
「お昼に帰るのだけは、忘れないようにしないとね!」
「る!」
でも多分、あの様子じゃディアンも声をかけないとお昼に気付かないんじゃないかな。
町へ出るからだろうか。いつの間にか両肩と頭の上にもいるグリポンにくすっと笑う。
師匠へのお土産を探すつもりだけど、またおやつを買わなきゃいけないかな?
じっくり商店街を眺めながら、気になったものを入手していく。
「師匠、ちゃんと食べてるかな。嫌がるかもしれないけど……おいしそうなお肉、持って行ってみようかな。食べないなら僕とディアンが食べちゃうし」
いきなり焼いた肉は辛いかもしれないから、こんがり焼き目をつけてから、煮込んでみたらどうだろう。
道中で野草を採取していけば、師匠の食事ストックも増えるよね。
確認するように、左手の指輪に触れた。
確かにここにある、選書空間の指輪。師匠は、どんな顔でこれを幻魔物に託したんだろう。
いつも不機嫌そうな仏頂面が、ありありと脳裏に浮かぶ。
今すぐ駆け出していきたい衝動に駆られて、深呼吸した。
「……そうだ、師匠の所へ戻る準備もいるよね! 森を抜けるんだから」
魔物避けは……ギルドにも置いてあるんだったかな。
そう言えば、ゴブリンの魔石も換金しなくては。ディアン、7個全部僕に渡すんだもの……『マジでいらねえ』と言われたら、まあそうかと受け取るしかない。
思ったより、今日の予定は詰まっている。
ちら、と時間を確認して、足を速めたのだった。
◇
――まさか、こんな本だと思わなかった。
散々魔法を使ったルルアが早々に寝てしまったのを横目に、少しでも読んでみるか、と手にとった本。
演劇の本を、こんな熱心に読むことがあるとは。
『役への理解』を中心に書かれた本は、まるで問題集のよう。いくつかの演劇内容の後、それぞれの人物について、まるでテストのように問題が出される。
なぜ、このセリフが出たのか。なぜ、こう考えるのか。
「……知るかよ」
そう、大した興味もなく見ていたはずだった。
出した答えがたまたま合っていることもあれば、合っていないことも多々ある。そんなものだ。特に気にすることもない。
恐らく徐々に難易度が上がっているのだろう、ディアンの正答率が著しく下がって退屈になってきた頃、また対象人物が変わった。
『人物⑤:辺境の盾と呼ばれた無口な老骨――質問1:この男のセリフ①の意図は』
……急に、難易度が下がった。
ごく短いセリフながら、その意図など手に取るように分かる。確信を持った答えは、当然ながら全部正答。つらつらと続く設問の答えが、分かる。
なぜか、無性に気になった。
『なぜ、彼の地に留まり続けたか』
贖罪と……自分の意思だろ。盾で良かったんだろ、そいつは。
『盾として己を犠牲にしていた理由は』
必要だから。
『他者のためではない、の意味は』
意味ってなんだ。そのままだ……自分が、そうしたいから。感謝されるためじゃねえ。
淡々と続く質問に、苛立ちが募る。
うるせえ……なぜそんなことを聞く。理解だと……そんなもの、いらねえ。
文字でしかなかった男が、その中身が、ディアンの中にくっきりと形を描く。
聞くな。答えたくねえ。
嫌悪感は募るのに、目が紙面を追ってしまう。
『なぜ、彼は“守られる側”を拒み続けたか』
守られる意味が分からねえ。何のために。
『なぜ、愛されることを拒んだのか』
同じだ。意味がわからねえ。当たり前じゃねえか、こんなのを……何も、見返りがねえだろ。
『病床の彼の胸を占めていたのは、何か』
…………後悔。
激しく、動悸がした。
なぜ。自分の思いを貫いて最期の時を迎えたんじゃないのか。
なぜ、後悔する。
老骨の最終シーンが、ディアンの脳裏にまざまざと浮かんだ。
狭い部屋、窓のカーテンが揺れ、遠く海が見える。
何も言わず、ただ、ただ遠く光る海を見つめて――目を閉じた。
ディアンの額に脂汗が浮かぶ。死にたくない。このまま、死にたくない。
静かなシーンの中で、ディアンだけが狂おしく乱れて息苦しい。
いや、きっと俺が間違えた。こいつはきっと、満足の中で目を閉じたはずだ。
震える手でページを捲る。
答えは――書いていなかった。
「くそ……ッ!」
そうだった、これは演劇の本でしかない。
最後は、演者が思う内面を役に落とし込むべし、などとさもそれらしいことが書いてあるだけ。
しかし、ディアンには分かる。この男の心中が。これが正解だと分かる。
こんな……。
俺は、こんな。
ぎりぎりと握りしめた拳が、音を立てそうに軋んでいる。
理解し難い焦燥が胸を焼く。
何か、書かれていないか。そう走らせた視線の中、ぽつりと最後に書かれていた一文。
『――彼が『望む』ことを知っていたならば、何を望んだか』
……知らねえ。分からねえ。
『自らの望みを、選ばなかったのか。知らなかったのか。その解釈でこの役は変化する』
橙の瞳が、静かに瞬いた。
「望み……」
小さく零れ落ちた言葉は、誰にも聞かれることなく、薄闇の室内に掻き消えた。
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【選書魔法】のおひさま少年、旅に出る。 ~大丈夫、ちっちゃくても魔法使いだから~ ひつじのはね @hitujinohane
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