第51話 読まれたくない
朝の匂い。まぶたの上から降り注ぐ光が、もう僕が起きるには遅い時間だと告げている。
眩しい日から逃れようところり、と転がって硬い何かにぶつかった。
「ん……」
ぶつけたおでこをさすりながら、ぼんやり目を開けて驚いた。
ぱらり、乾いた紙を捲る心地よい音が耳に届く。
昇り切った朝日の中、壁に背を預けてあぐらをかいたディアンがいる。
伏せられた瞳がいつになく真摯で、声をかけるのをためらった。
そうっと体を起こしたのに、やっぱり気付かれてしまい、橙の瞳が慌てたようにこちらを向いた。
「おはよう、ディアン。早いね」
「…………ああ」
え、と顔を上げた仕草と、指を挟んだ本のページで察してしまう。
ディアン、いつからそれ読んでるの?
「僕、朝ごはんとってくるね!」
どこかきまり悪そうなディアンに笑って、ぽんとベッドから飛び降りた。
冒険者は、一晩くらい寝なくても大丈夫だってローラが言ってたから。きっとディアンも大丈夫なんだろう。
ね、ディアン用の本だったでしょう。
随分集中して読んでいたらしい様子に、誇らしい気分になる。
役に立ったでしょう、きっと。
「おはよう、ロー……ラ」
声をかけて、ギョッとした。
ぐしぐし鼻水をすすっていたローラが、ハッと顔を上げて僕に飛びついてくる。
「あ゛っ! ルルア゛ぁ~! めっちゃイイんだけどコレ! やべえコイツ!! なんかもうもう、あたしの話を読んでるみたいでさぁあ!」
どうやらローラも、昨日の選書された本を読んでくれていたらしい。
こちらは、普通の物語のようだったけれど……『コイツ』はきっと主人公なのかな。とても琴線に触れたようで、ひとまず良かった。
「えへへ、そうでしょう? ゆっくり読んでね!」
「う゛んっ!!」
ディアンよりも本に抵抗ありそうだなあと、失礼ながら思っていたのだけど。ローラは案外お話が好きなんだね。きっと、ミラ婆さんの読み聞かせも大好きだったんじゃないかな。
小さいローラとディアンが、熱心に読み聞かせを聞いている姿を想像して、くすりと笑った。
それにしても、ディアンがあんな熱心に読み込むなんて……演劇の本のどこに、そんな要素があったんだろう。
二人分の食事をお盆に乗せ、僕には運べない重さのそれをカートに乗せてガラゴロ部屋まで戻る。
ノックをして扉を開ければ、本を閉じて傍らに置いた姿がちらりと見えた。
「今日はね、マッチリスープとパンだよ! ねえ、マッチリって何だっけ」
「虫」
「え?! 虫なの?!」
びっくりして思わずスプーンでかき混ぜてみたけれど、幸い虫が浮いてくるようなことはない。
食べられるなら食べるけども……虫って結構毒があるから、食べ物という認識がなかったよ。
恐々スープをかき混ぜ、口に入れるか入れまいか考えている僕を見て、ディアンが小馬鹿にした顔をしている。
「……もしかして嘘?!」
「嘘じゃねえわ。てめえの想像してる虫と違うってだけだ」
「どういうこと?」
「魔物だ。てめえと同じくらいある」
「ええ?! そんな大きい虫もいるんだね……」
そうか、魔物なら確かにそういう種類もいる。
何となく、小さい虫より食べられそうな気がしてくるから不思議だ。
ふいに、ディアンがぐっと体を倒して奥の棚に手を伸ばしたかと思うと、何かを――放り投げてきた?!
「わあっ?!」
せめてスープを守ろうとしっかり器を握りしめ、ぎゅうっと目を閉じて衝撃に備える。
だけど、既に涙の準備まで終わっているというのに、衝撃が来ない。
「……あぶね。てめえ、ドンくせえにもほどがあるわ!」
そろりと開けた目の前に、ディアンの手。
自分で投げて、しまったと気付いたらしい。素晴らしい判断と瞬発力だね。
「す、すごいね」
「てめえのドンくささの方がすげえ。お前の手は飾りか?」
「僕の手は、今スープを持ってるの!」
……まあ、持っていなくても受けられはしないのだけど。
ディアンの手にあるのは、それなりの厚みがある本だろうか。これがおでこに当たったら、ただではすまなかった気がする。
「やる」
「え? え? これ、ディアンの本? 魔物……の、図鑑?」
「俺が買ったわけじゃねえし。外に出るなら必須だろが」
どうやら冒険者になりたての頃、ギルドのお古をもらったらしい。
きっと、有望株だったからだろうな、と思いながら使い込まれた表紙を見た。
「ありがとう! 借りるね。僕の後は、きっと教会の誰かが使うだろうし」
「あー、てめえは書庫があるんだったな。いらねえか」
「ううん。僕これがいい! ちゃんと返すから!」
伸ばされた手からサッと本を庇って、さっそく開いてみた。
並んだ目次から、さっき聞いた名前がないかと指で辿っていく。
「マッチリ、いないよ」
「それはスープの名前だ。虫はジジグラ」
「……なんか、あんまり美味しそうじゃない名前だね」
食欲が失せそうな気がして、スープを飲み干してからページを開いてみる。
「芋虫? でっかいんだ……でも、スープに何も入ってないね」
よくよく読んでみれば、粉末状にしたものが料理に使われるんだとか。
美味しかったから、見つけたらちゃんと仕留められるようにしよう。スープ飲み放題だ。
目の色を変えて読み始めた途端、先に食えと口にパンを突っ込まれた。
「言えば分かるから! 突っ込まないで?!」
「てめえ、どの口が言う?」
ぎろり、と鋭い視線を落とされて、素知らぬふりでパンを齧った。
うん、一理あるかもね。
ディアンの言うことは結構聞けていない気がして、おやおかしいなと思う。
舌打ちしたディアンは、いつも通り不機嫌な顔。その視線がちらりと傍らへ流れたのを見て、僕はにこりと笑った。
「僕、今日は町へお買い物に出てくるね! あ、ミラ婆さんかローラを誘うから大丈夫!」
「勝手にしろ」
「ねえ、その本、読み終わったら僕も読んでいい?」
途端、ビクリとしたディアンに僕の方がびっくりする。
どこに、そんな動揺する要素があったの?!
「…………」
僕の本だからだろう、ダメとは言えずにものすごく眉間にしわを寄せて視線を彷徨わせている。焦燥すら感じる様子に、くすっと笑った。
「そっか、じゃあやめとく! 他にも読む本がいっぱいあるからね。僕も選書で魔法の本を選んでもらおうと思うんだ! ねえ、高めるなら攻撃魔法と回復魔法、ディアンはどっちがほしい?」
「そんな気軽に言うな。俺に聞くな」
「え、どうして? でも、ディアンと冒険するんだから、聞いた方がいいでしょう?」
溜息を吐いたディアンが、回復、と小さく言って僕のほっぺをつまんだ。
「てめえは、自分の価値を甘く見すぎだ」
「本当? じゃあ、ディアンにも価値がある?」
ぱあっと笑って聞いたのに、どうして舌打ちしたの。
そして、ほっぺが痛い。
むっとむくれながらディアンの手をむしり取って、食器をお盆に乗せた。
「じゃあもう僕行くからね! 帰るのは夕方だからね!」
「昼も――」
「ちゃんと食べますー!」
ぷりぷりしながら部屋を出ると、少しだけゆっくり閉めた。
ディアンの視線が扉を離れ、その手が傍らに伸びるのを確認できるように。
そして、僕は上機嫌でカートを押して行ったのだった。
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更新忘れるとこでしたーーすみませんっ!!
いつも読んでいただきありがとうございます!!
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