こんぶ (Remaster Edition)

黒井真事

第1話 2010年代前半のピンボール

 僕の時間はピンボールと共に。

 彼女の時間は小説と共に。

 そんな風にして僕らの時間は過ぎて行った――――、

そんな風に言えば少しは格好がつくのだろうか。実際のところどうなのかは僕にはわからない。ただ一つ確実に言えることは、僕たちは流れていく時間を止めようなどとは微塵にも考えなかったということだ。



 放課後きまって足を運ぶ場所がある。僕の通っている高校の文化棟二階・パソコン室だ。何故かと言えば部活があるからである。

 僕はコンピューター部に所属していた。しかも部長として。団体を仕切るなんてのは苦手だ。しかし部員の大半が幽霊化したのではしょうがない。律儀に部活に参加しているのは僕だけだったから、まぁ先代部長としても僕に職を譲るほかなかったわけだ。苦渋の選択にケチをつける気も毛頭ない。だから特に拒否の態度を示すことなく引き受けることにした。

 コンピューター部ってところは本当にすることが無い部活だ。ネットもゲームも基本的には禁じられている。部員に許されているのはワードだのエクセルだので、娯楽的要素が徹底的に排除されている。良く言えばストイック。悪く言えば何も出来ない。そんな部活なのだ。だから入部した人間の多くは、五月にして大半が籍だけを残し活動に参加しなくなる。僕の代では当初二十人ほどが入部したはずだったが、ゴールデンウィークが明ける頃には二、三人になっていて少し驚いた。そのことを先代の部長に話すと、

「去年もこんな調子だったよ」

 と、素っ気ない答えが返ってきたので、

「じゃあ来年は?」

 答えを予想するのが極めて容易な質問を敢えてぶつけてみると、部長氏は予想通りの回答を出してくれた。

「同じだろうね」

 よく廃部にならないものだなと思った。部長曰く、何人かは参加し続ける奇特な人間がいるからそいつらに役職を押し付けるんだ、とのことで、今回はその奇特な人がたまたま僕だったというわけだ。実はもう一人奇特な人間がいてそいつが副部長をやっているのだが、彼女は部活はおろか最近では学校にさえ出てきていない。僕はやることもないので、来る日も来る日もパソコンに最初から入っているゲームの一つであるピンボールをこっそりプレイして時間を潰していた。

 今年はろくに勧誘活動を行わなかったにも関わらず、というか僕一人ではどうしようもなかったし、さらにはどうもする気はなかったというのが実際のところだが、なんと二十一人が入った。女子生徒も六人いた。

 しかし一ヶ月経って残ったのが一人。八条岬という名の女子生徒だけだった。


 これから始まる物語は、主に僕がひたすらピンボールをプレイし、斜め後ろの席で八条がひたすら小説を書き、お互いそれに飽きたらお喋りをするというものである。


 放課後、いつものように掃除を終えてまず向かうのは、文化棟一階・職員室前にある部活掲示板である。僕の教室がある一般棟の二階からわざわざ確認に行くのは面倒なことこの上ない。しかし部長という肩書を得てしまった以上はサボるわけにもいかない。運動部の連中が慌しく行きかう中をすり抜けて掲示板に向かうと、これまたいつも通り下手な字で「本日活動あり」と書かれていた。腕時計を見れば既に三時二十分を過ぎていた。多分八条の奴はもう来ているんだろうな、などと考えながら階段の方へと向かった。

 階段を上がって右手に曲がった奥がパソコン室である。この安易な名前はどうにかならないのだろうかといつも思う。隣接する管理のための部屋は、情報制御室とかいうなんだかサイバーなお名前を頂戴しているっていうのに。なんか不公平だ。ちなみにこの情報制御室は顧問である山田先生(あだ名は『見た目が絶望先生』)の根城となっている。山田先生は午後三時に部屋を開け、午後五時になると閉めに来る。コンピューター部の実質的な活動時間はたったの二時間ぽっきりということだ。この時点で既にやる気のない部活ということが明瞭だが、さらには先生のいない日だと活動はない。詳しいことは知らないが、見た目が絶望先生は案外忙しいようで、大抵週に二回は活動が休みになる。

 中に入ると八条はすでにいた。目が合うと「こんにちは」と挨拶をしてきたので、「やあ」と返す。八条は大抵入ってすぐ壁際の列の最奥に座っている。僕はその向かいの列の八条から二つほど手前の席に着いた。鞄を床に置いて電源を入れる間にも斜め後ろからはカタカタというキーパンチの音が響いてくる。振り返ってちらりと八条の方を見やると、いつもどおりワードで小説を書いているようだった。こいつもよく飽きないな。そう思ったので実際に声に出してみることした。

「また小説書いているのか?」

 僕の言葉に反応して八条の手が止まる。椅子を回転させて僕の方に向き合うと、

「……なんか、またっていうのは若干失礼なニュアンスが含まれているような気がするんですが」

 入社三年目のOLのような冷めた口調で言った。細いメタル・フレームの眼鏡をかけているからも知れないが、こいつが黙々とパソコンに向かっている様子はどう見てもデスク・ワークに励んでいるようにしか見えない。きっちり着こなした制服もそれに一役買っている。見た目だけで言ったらよっぽどこいつの方が部長らしく見えることだろう。口調から分かるとおり貫禄だって僕よりあるような気がするし。

「別にそういう意味で言ったわけじゃない。気を悪くしたのなら謝る」

「あ、いえ、そんな大袈裟な。あー、まぁ私の言い方も多分に悪かったですね。すいません」

「別にいいよ。で、書いてるの?」

「まぁ……、そりゃ書いてますよ。一応これでも文芸部志望でしたから」


 八条岬がこの部にいる理由。それは自由に小説が書けるということらしい。本人が言う通り元々は文芸部に入りたかったようだ。しかしうちの高校には残念なことに文芸部は無い。

「だから入学した時点で諦めてはいましたよ」

 四月に初めて話した時そんな風に言っていた。漫研が出している冊子にも小説とか載っていたぞ、と僕が言うと、

「あそこは絶対ダメです! なんて言うか……、とにかく私レベルの人間では生き残れる確率ゼロです! 進んで地雷を踏みたくはないので入部は遠慮させて頂きました」

 と、かなり必死の形相で言うので、あ、でもあんな八条を見たのはあの時が初めてだったな。それ以降は持ち前のクールさを順調にキープしているし。まぁとにかく漫研を覗いて地獄を見たというのがひしひしと伝わってきた。漫研については語るまい。なんとなくわかりそうなものだろう。


 既に起動した僕のパソコンに一瞥をやりながら八条は言う。

「しかしまたって言うなら先ぱいだってそうじゃないですか。毎日毎日ピンボールしてて楽しいですか?」

「別に楽しいからやってるわけじゃないさ。ソリティアとマインスイーパーよりかは幾分マシだと思ったから」

「……選択肢が狭すぎないですか?」

「この部に入った時点でそんなものとっくに捨てたよ」

「で、私に何と言えと? 潔いとでも評価されれば満足ですか?」

「うん。割と」

「じゃあ先ぱいはすっげぇ潔い益荒男ですね。はい、これでいいですよね」

そう言ってからまた画面へと向き直ろうとしたが、何かを思いついたのか椅子の回転を中途で止めると、再び僕の方を向いて部の運営状況についての疑問を口にした。

「最近、ていうかここんとこずっと考えてたことがあるんですよ」

「なに?」

「先ぱいは部長の癖に気楽なもんですね」

 癖にたぁ失敬だ。しかしわざわざシュプレヒコールを上げるのもあれだから、ここは一つ年上の余裕を見せてやることにしようか。部長としての威厳なんて塵屑ほどに残ってないような気もするけど。

「少しは気にならないんですか? このところ出てきてる部員と言ったら私たち二人だけですよ。こんなんで部としての体裁が保てるんですか?」

 随分とタイムリーな話題を振ってくれるじゃないか。さすが次期部長。いい勘してる。まぁ……、ね。わからないでもない。ざっとがらんとした室内を見渡してみるまでもない。室内にずらり四十台並んだパソコンのうち起動してるのが僅か二台ってのも確かにもったいない話だ。省エネという観点から言えば立派だけど、健全な部活動という点からはいただけないのもまた事実。

「大体部活ってのだったら役職とか色々あるはずですよね、副部長とか会計とか。その人たちは何で出てこないんですか?」

「うちは僕が部長と会計を兼任してるんだ。だから事実上役職は部長と副部長の二つしか存在してないんだよ」

「へー、そういうのもアリなんですか」

「別に大丈夫みたいだよ。三月に書類を出した時にも文句は別に言われなかったし」

「それはわかりましたけど、その副部長さんは何してるんですか? 多分私入部してから一回もお会いしたことないような気がしますよ」

 副部長ねぇ……、山村の顔を思い浮かべてみる。あいつが部活に出てこれるようになるにはもう少し時間がいるだろうな。いや、出てきたらそれはそれで八条と大喧嘩をやらかす可能性も無きにしも非ずだ。あいつは自分のテリトリーをほったらかしておく癖に突如忘れた頃になって権利主張するような輩だしなー。でもしばらくあいつの現場復帰はありえないだろう。

 などと件の副部長についての回想に一人耽っていたのを当たり前だが八条に不審がられた。

「突然黙ったかと思えばいきなり考え込み始めて、さらには一人納得してるようですけど、副部長さんて何か問題ある人なんですか?」

 問題。まぁ有ると言えば有る、か。

「『好奇心猫を殺す』っていう諺を知ってるかな」

「それは暗に聞くなってことですか」

「別にそういうわけじゃないんだけどさ」

「じゃあ教えてください」

 そう言うと、ずい、と身を乗り出してきやがった。「さあ話せ」ということなのだろう。山村よ、お前がこの場にいないのが一番悪いということに勝手ながらさせてもらう。僕はもったいぶった感じで話始めることにした。コンピューター部、そして学園のささやかな問題児である山村富江について。

「どっから説明していいのか難しいなぁ」

「面識のない私にも解るようにならなんでもいいですよ」

「逆にそれって難しいんだけどね……、まぁいいや。なんて言うかね、うーん、言うならば身体と精神が脆弱な人?」

「いや、疑問形で振られても私はなんとも言えないんですけど」

「実際身体弱いってのは確かだと思う。あいつが体育の授業受けてるの見たことないしね。精神については、脆弱というかむしろ若干サイコさんな気質をお持ちのようでね、本人曰く『呪いを解くためにしばらく家に篭って徳を積む』とのことらしい。だから最近は学校に来てないんだよね」

 クールなOLとして即戦力確実であるはずの八条の顔にさえ「???」という表情が浮かんでいた。眼鏡が若干ずり落ちていたように見えたのは恐らく僕の目の錯覚というわけでもなさそうだった。とにかくここいらでまとめておくか。山村の名誉の為にも八条の脳髄への負担を減らすためにも。長々とした説明はかえって逆効果だというのは体験からもわかっていることだ。山村については説明するより面会した方が数百倍早いだろう。百聞は一見にしかず、というやつだ。理解できるかどうかはさておきとして。

「まぁそういう変な人だからさ、部活に出てきたら穏便な応対を頼むよ。標的は僕だと思うからそんなに心配はいらないはずだけどね」

 八条は相変わらず納得できないような顔をしていた。しばらく腕組みをして何かを考えていたようだったが、恐らく考えるのは無駄ということを悟ったのだろう、まぁそれが賢明な判断であるのは言うまでもないが、腕と視線を元に戻してから青汁を飲みほしたような顔で言った。

「正直よくわからなかったんですけども、要は先ぱいに全部丸投げすればいいってことですよね。そこだけはよーくわかりました」

 おい。本当に今の僕の誠心誠意を込めた解説を聞いていた人間とは思えない発言をしれっとするな。多少誇張表現が含まれていたとしてもそこから僕の努力を感じ取れなきゃ部長職は務まらないぜお嬢さん、と言いたいのをぐっと堪えた。

「……別にそれでもいいけどね」

「ならそういうことでお願いします」

 そう言うとまた椅子を回して画面へと向き直った。業務再開ということか。いい社員になるだろうねこの娘は、とか管理職目線な発言を心中でしてみた。意味はない。さて僕も仕事(ピンボール)に戻るか、と思ったその時八条が独り言のように言った。

「でも珍しいですよね。先ぱいがそれだけ他人のことよく見てるだなんて」

 返事を期待してるのかどうかわからない口調に一瞬どうしたものかと思う。ここは鈍感を装っていくのが上策か? どうだろう。まぁいいか。出たとこ勝負が僕の信条であることを忘れていた。

「何が珍しいって?」

 どうやらキャリアウーマン(勝手にランクアップ)は鈍い男はお嫌いのようである。

「別に。何も」

 そう若干不機嫌な調子で言うと仕事にお戻りになられた。

「さいですか」

 僕もそう一言返すに止めてデスク・ワークに戻ることにした。なんだかこれ以上の言及は躊躇われたのである。僕にも少しはデリカシーというものが欠片くらいは残っていたという証かな。

 この日の僕らはその後無駄口を叩くことなく仕事に精を出した。五時になると見た目が絶望先生が「お前ら熱心だねぇ」と少し呆れた口調で業務終了を知らせに来たので、二人して部室を後にすることにした。下駄箱まで来たときに、帰り道が一緒なので駅まで送って行こうかと紳士的提案を出したのだが、八条は「忘れ物したんで先に帰っててください」と言うと夕闇の校舎へと引き返して行った。

 なんだかなぁ。

 ここで見送ってしまう輩を世間ではヘタレ野郎と呼ぶのだろうか。どうなんだろう。まぁ僕には関係ないよねと嘯いて学校を後にすることにした。

とにもかくにもコンピューター部の日常というのはこんなものなのである。いっそのこと廃部になってしまった方がすっきりするような気がしないでもないけど、そうなると放課後の時間潰しに難儀するのが明確なので、一応僕の代での廃部は避けるべく日々活動に励んでいるわけである。まぁ僕が部を潰した場合、とあるキャリアウーマンからクレームが飛んでくることは請け合いだし。

 八条と奇妙な会話した翌日の放課後。己の思考と行動の怠惰っぷりに呆れるのは不毛なので、言わずもがなではあるけど、また同じように部活へと向かう。クラスメイトたちは、ホームルームが終わって誰に何を言うこともなく姿を消す男子生徒A(十七歳)を気に留める様子は微塵もない。これが都会の隣人無関心か、などと嘆く気は毛頭なく、円滑な人間関係の構築というのは、適度に他人に対して無関心を装うことから始まると僕は信じている。などと言うのは決して友達がいない負け惜しみではなくて。いや、一応念のため、ね。まぁ友達なんていないけどさ。

 しかし実際彼らの無関心さはどちらかと言えば気に入ってはいるのだ。見過ぎる者は得てして見失う。僕は他者に対して踏み込むのも、また踏み込まれるのも嫌だ。

 まぁこんなことを考えている時点で僕が思春期真っ盛りのイタイ奴だというのは自明の理だ。こんなのは数年経って振り返れば顔を枕に埋めて両足をバタつかせたくなるくらい恥ずかしくどうでもよい感傷に過ぎない。

 よし。メランコリーに浸るのは止めだ。大体無関心なのはお互い様なのだ。僕がいなくなったところでクラスメイトの多くが無反応であるのと同時に、また僕もクラスの誰かがいなくなろうが死のうが正直知ったこっちゃない。人間なんて代りが利くものなのだ。いけない。またイタイ哲学をやってしまっている。そんなつまらない思索に耽っているうちに、気が付けば文化棟二階の渡り廊下までやって来ていた。八条の奴は多分もう来ているんだろうか。そう言えばあいつが僕より後に来たのって見たことないなぁ。部活動に対して余程熱心なのか、それとも物好きな暇人なのか。とりあえず僕の場合は後者なのだろうけど。

 まぁそれはさておき。閑話休題だ。

 今は八条のことでも考えてみるか。もう少しで部室に着くだろうけど。この渡り廊下が何歩分の距離かは知らないが、少しばかり考えを巡らす余裕はあるだろうと、目分量でいい加減な見当をつけてみた。じゃあれっつしんきんぐたいむ…………、はーい到着。残念だったね、と胡散臭い声をひとまず脳内再生。部室に入るとやはり八条は既にいつもの席に着いて業務に励んでいた。こいつは皆勤賞でも狙ってるんだろうか。そんなのはうちの部にはないけど、こいつのためなら賞状くらいは書いてやってもいい気がする。まぁ冗談だけど。僕に気付くと会釈してきたので、こっちも軽く片手を挙げて挨拶の代わりとしておいた。

 

 さて――、と。

 

 極めて通常営業な様子を崩さず僕もいつもの席に腰を下ろした。普段なら電源を入れて業務開始といったところだが、今日は別にピンボールに励む気分ではない。先ほどの八条岬に関する思索実験も頓挫したばかりだし。せっかく御本人もいらっしゃることだしね。何の言い訳にもなっていないけれど、鞄を隣の椅子の上に投擲すると、ぐるり百八十度ターン。左斜め後ろという最高かどうかはわからないポジションから観察を開始した。

 肩にかかる黒髪はキチンと手入れされているのか、触ったわけでは勿論ないけどサラサラのように見える。時々左手で少しだけ髪をかきあげる仕草がひどく大人っぽいのに少々驚いた。というか本当にこいつ年下なんだろうか? 社会人経験ありますとかそういう設定ないよな? あったら……、別に困りはしないか。まぁそれはさておき。はい観察再開。幸いなことに八条は画面とノートとの睨めっこに忙しいらしく、僕の無遠慮な視線に気付く気配はない。これはありがたや。右手のシャープペンシルを回しつつ、時折ノートを覗き込んでは再びキーパンチの連打、という一連の動作を八条は繰り返していた。ノートの中身が若干気になるところではある。いわゆる『設定ノート』なのだろうか。数年後にはブラック・クロニクルと化すのが確実ということを、見た目はOL中身は高一の八条は知らないのだろうなぁ。まぁそれはさておき。細いメタル・フレームの眼鏡は相変わらず。きっちり制服を着こなしているのもまた然り……

「書きづらいじゃないですか。いつからここは人間観察部になったんですか?」

 バレてましたか。すいませんね。後頭部にもう一つ眼球でも付属しているのかと一瞬目をやったがそんなものは無かった。当たり前である。事務椅子を百六十度ほど回転させ、まるで覗きの犯人(あながち間違いで無いのが残念)を咎めるような口調で八条は続けた。

「いくらやることに事欠いたとはいえ、後輩をじろじろ眺め回すのは感心しませんね」

 おい。それって完全に僕より先輩な立場の人の台詞だよな。まぁいいけど。諸事情を理解していない第三者がこの現場を見た場合、僕らの階級関係を正確に見て取れる輩は少数派だろうしな。しかし。それでもここで引くわけにはいかないのだ。というわけ(どういう訳かはわからないけど)で、まずはジャブ代わりの一言から始めましょう。

「気を悪くしたなら謝るよ。でもさ……、そんなに嫌?」

 普段は若干細い八条の目がぱっちりと開いたのを見逃さなかった。

「え、あ、あ……、え? って! 何言ってんですかそんなの」「嫌?」

 台詞を最後まで言わせないのが僕クオリティー。そしてしばしの沈黙。八条の頬に若干朱色が差し始め、言論統制を敷かれたのが余程ショックだったのか、その体勢は俯いて両の手を硬く握っていた。いかんな。一瞬あんぐりーふぃすとを叩き込まれるのではないかという不安が過ったので、ガードしようかしまいか――、いや、この際は侘びも兼ねて受け止めるのが管理職の務めであると自らを納得させ、サラリーマンシップに乗っ取ってみることにした。

「…………別に、そこまで嫌ってわけじゃないですけど」

 どうやら修羅場は回避出来たようである。

 本日はこんな具合にして、僕が会話の主導権を完全に握ることが出来た。別に普段八条にやり込められている訳ではないから、他意も恨みも微塵に存在しないのだけれど。ただなんというか、まぁ正直楽しいからやった。こう書くと犯行動機を「遊ぶ金が欲しかった」などと正直に返答してしまう無軌道十代のようで嫌だけど。しかし普段のクール・ビューティっぷりがまるで嘘のように自爆と炎上を繰り返す八条を見ているのは、なんだか微笑ましく、やけに和んだ。これが成長した孫を眺める老翁の気分か(違う)。そして改めて僕自身が御隠居としての資質十分ということが確認できた。嘘である。

 普段から業務連絡や最低限の世間話をすることは多々あったが、お互いの私的な話をするのは久しぶりだった。ようやく八条が鎮火した頃を見計らって通常営業を再開。まずはクラスでの友達の数を競い合った。

「八条はクラスに友達とかいるの?」

「聞きようによらなくても失礼な質問ですね。そう言う先ぱいはどうなんです?」

「いないよ」

「即答ですか。まぁ……、私もそうですけど……。あ。でも先ぱいは確か副部長さんと同じクラスだって言ってましたよね。話したりしないんですか?」

「山村とは……、そんなでもないかな。単に部活が同じってだけでそこまで仲がいいわけじゃないから。まともな会話が出来る相手でもないしね」

「そうなんですか」

「そうなんだよ」

 一回戦はお互い零対零の同点であった。そうでもなきゃこんな部の活動に精を出すはずはないだろうけど。

 続いての成績対決は、

「先ぱいって意外と成績よさそうですね」

「意外は余計だ。僕は授業中の睡眠学習は怠らない」

「すいません前言撤回していいですか」

 などといった調子でノーゲームと相成った。


 その後も部活そっちのけで僕らはお喋りに興じた。

 正直な感想――――意外と楽しい。

 八条岬。こいつとなら一緒にいるのが苦痛じゃない。

 そういう感覚は久しぶりだ。

 話をしていてわかったことがあった。

 八条と僕はある一点において似ているということ。

 それは一人が好きで人が苦手であるということ。

 互いがそうであるが故、奇妙に居心地がよい。言うならば同族同士の共鳴といったところか。

 そんなパラドキシカルな関係。

 それは極めて後ろ向きで、

 閉鎖的で、

 内向的で、

 それでいて空っぽだけれど、

 確かに僕らは仲良しさんだった。

 たまにはこんなのだっていい。そう思えた。

 

 尽きることのない無駄話。どれくらいの時間が経過したのかはわからなかったが、僕らはさすがに喋り疲れてお互い黙り込んだ。電源を入れたパソコンの画面はスタンバイ状態へとっくに移行し真黒になっていた。僕は上履きを脱いで事務椅子の上で体育座りをしながら回転という遊びに興じ始めていた時、八条が突如改まった様子で切り出した。

「もう一個だけ先ぱいに聞いてみたいことあるんですけど、いいですか」

 椅子上回転ごっこを中止して八条と向き合う。伏し目がちな様子が気になるな。

「僕はパン食派だと言ったはずだけど」

 とりあえずすっとぼけてみた。すかさず「朝食の話じゃないです」というツッコミが入った。それを受け流すかの如く椅子で一回転――、したのは壁に掛った時計を見るため。そろそろ見た目が絶望先生が来る時間か。

「真面目に聞いてください!」一喝されてしまった。

「ごめん。で、なんのことかな」

 素直に謝罪の辞を述べておいた。が、そろそろ時間切れかな。

「わざとだったら怒りますよ? こういう時先ぱいは本当にタチが悪いですよね。わざとなのか素なのか区別出来ないし」

「僕について言及するのはまたの機会にしてくれ」

「それもそうですね。まぁそうさせてもらいます。私が聞きたいのは先ぱいにはす」「お前らー。時間」

 ジャスト午後五時。先生、襲来。

「ああ、もう!」

 憤懣仕方ないという感じで八条は帰り支度を始めた。僕もそれに倣って支度を整える。とは言っても僕の場合鞄を拾い上げるだけだけれども。目にもとまらぬ速さで帰り支度を済ませた八条は語気を荒げて、

「それじゃお疲れ様でした! そして……、先ぱいの馬鹿!」

 そう吐き捨てると部室を足音高らかに出て行った。事情が呑み込めないでいる山田先生が怪訝な顔で言う。

「お前ら何かあったの?」

「いいえ、ケフィアです」

「は?」

「いえ、本当に何でもなかったです。はい」

 さーて。どうフォローすっかなー。宿題かね。これは。ヘタレ野郎にとって最大のピンチなのだろうか。


 家に帰ってからベッドに寝っ転がっていると、山村から久々にメールが来た。開いてみると「ワレツイニアクマトタイジセリ」とある。どう返信したらいいものか。聖水は忘れずに持っているかどうか確認してあげた方がいいのかな? まぁ別に悪魔城に乗り込んでいる訳ではないのだし、というか現在のあいつは単なる引きこもりだ。よし。無視しよう。こんな僕だって一応懸念事項を抱えているのだから。それから僕は考えるのを止めて寝た。



 そして翌日。登校時校門前でばったり八条に出くわしたが、やっこさん目も合わせないで逃亡した。しかし嫌われた訳ではないのがその表情からは窺えたのは幸いであるといえる。生徒の群れの中に僕も紛れ込んでいく。今は互いが互いの視界から消え去るのが、いい。

 授業中、いつもなら早々と睡眠学習へと突入するのが常なのだが、今日はなんだかそうする気にはなれなかった。今自分がどうしたいのか。それを考える必要がある。


 考えるまでもなく一つ言えるのは――――、


 ――――決定的な一言は聞きたくない。


 この一事に尽きる。ああ、なんてヘタレな結論であろう。考えるまでもなかったとは。出来れば午前中の授業は思索に耽ることで睡眠学習の代用としようと目論んでいたってのに。

 端的に言って、面倒くさいからか? 八条と付き合うのが。

 嘘です。怖いからです。自分に自信がないからです。どうしたらいいかわからないからです。現状維持を目標として生きてきたからです。先を見るのが嫌だからです。その癖安定した未来が欲しいからです。下手に付き合えばあいつのことを傷つけるのが分かっているからです。

 

 だから、

 ごまかして。

 はぐらかして。

 すっとぼけて。

 呆れられちまったほうが、楽。お互いが。自分が。

 あいつのことが嫌いなわけじゃないから。

 余計にどうしたらいいかわからない。

 

 そこまでがはっきりとしたところで、不覚にも僕は眠りに落ちてしまった。ヘタレ主人公とは得てしてよく眠るものである。

 

 ろくに思索も勉強もすることが出来ないまま放課後を迎えてしまった。正直部活に出るか出まいか迷った。しかし多少は手前で撒いた種だ。刈り取るのも管理職の仕事なのかな。おお。やっと軽口が叩けた。なんだか久々な気がするね。ちょっと柄でもないことを考えすぎていたな。たまにはそういうのも必要ではあるんだろうけど、日々のペースを崩してしまったのでは話にならない。

 んじゃそういう訳で営業再開といきますか。

 当たって砕けたならボンドとかでくっつければいい。簡単なことである。多分。

 部室に行くと珍しいことに僕が一番乗りであった。日々顔を出す部員が二人なので言っていて寂しいものがあるけど。とりあえず僕は来るかどうかわからない後輩を待つべく、いつもの席にいつもの調子で座った。これまでの日々と同じように。

 三時半を回った頃、ようやく八条が現れた。

「あ」

 部室に入るなり声を漏らした。気まずそうに顔を伏せて目線を外す。踵を返しそうなその様子に思わず声をかけた。

「珍しいな。お前が僕より遅いだなんて」

 僕の言葉に八条が顔を上げた。

「あ、ああ。そうですね。今日はちょっと日直の仕事があったんで」

「そうなんだ。お疲れ様」

「どうも……、ってなんか先ぱいの口からそういう台詞が出てくると変な感じしますね」

 いくらか調子を取り戻したその言葉に少し安心した。しかし酷い言い草ではある。

「お前の中で僕のキャラクターがどうなってるのか若干気になるな……、まぁいいよ。とりあえず本日も」

「「業務開始」」「?」「ですよね?」ん? 何が起きた?

 そうか。台詞を先読みされたのか。ってまさか! こいつまさか読心術を――――、

「先ぱいのことですから読心術云々とか考えてそうですけど、たまに呟いてるのが聞こえるんですよ。『業務終了か』とか言ってるの。だからちょっと先読みできるかなーとか思いまして。すいません」

 そう言うと八条もいつもの席に腰を下ろした。やば。そんな恥ずかしいこと呟いてたのか僕は。知らなかった。

「別に謝ることないけどさ」負け惜しみではないよ。

 教訓。独り言はほどほどに。

 鞄からペンケースとノートを取り出した八条は、一瞬そのままパソコンの電源を点けようとしたが、何かを思い出したような顔をすると、僕の方に向き直って頭を下げた。

「昨日は馬鹿とか言ってすいませんでした! なんかよくわかんないんですけど、そして上手く言えないんですけど、柄にもなく感情的になっちゃって……、本当にごめんなさい!」

「いいよ別に。気にしてないから。僕の方こそ鈍くさくてすまなかったよ」

 ひとまず和解……、かな。うん。よかった。

「そんな、先ぱいは悪くないですよ。私が勝手に取り乱しただけですし」

 そうかそうか。可愛いやつめ。ちなみにこれは心中での発言である。しかし僕の口はどうも滑りやすいようだ。ついつい意地悪げな言葉が出てしまった。

「まぁ何で取り乱したのかには大いに興味があるけどね」

 これですよ、これ。馬鹿は死ななきゃ直らないって本当かも。昔の人は本当にいいことを言ってる。八条の顔が見る見る真っ赤になっていく。

「やっぱり先ぱいは大馬鹿野郎です! 本当に先ぱいの馬鹿! 今日という今日は許しません! 仕置きします」

 おい。うわ、ちょっと待て! あああああ……(フェードアウト)



 コンピューター部(通称コン部)は今日も平和です。

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