第2話

「香車殿、ひとまず状況を整理させてほしい。貴殿は今後の将棋界に何を求めるのか、具体的に教えてほしいのだが構わないな」

 会場の騒然が止まない中、議長である王将さんは平静を保ちつつ香車さんに問いただします。

「私たちが欲するのは将棋のルールにおける香車の立ち位置の改善であります。具体的には、私たちの可動域の向上、さらには初期配置の変更を願います」

「ばかな!そんなこと実現できるわけがないではないか!」

 議長は目を点にして叫びました。対局時間等を除き、ルールに関しては徹底的に保守的であった将棋界においてあり得ないと言って過言ではない要望です。仮に香車さんの要望を叶えてしまえば、将棋そのものが大きく変わってしまいます。


「議長、発言失礼します」

「おお、金将か。よかろう」

 混乱を極める場の中で手を挙げたのは15枚参加する金将さんの中の1枚です。守備駒として重宝されることもあり、常にずっしりと構えています。香車さんからの提言をどう解決したらよいかわからずにいた議長は、金将さんが手を挙げたことにほっとしている様子です。

「香車や、急にどうしたのだ。お前達は、現状でも十分に将棋界に貢献しているではないか」

「金将さんにはわからないですよ。私達の気持ちなんて。おそらく金将さんには私達が何に不満を抱いているかもわからないんじゃないですか」

「……ああ。すまん、正直何でこんな話がでてきたのかよくわかっていないのだ。ぜひ、聞かせてはくれぬか」

「わかりました。話が長くなりますがご了承ください」


 香車さんは終始丁寧に話を進めます。そして、香車さん以外の駒達はその話をじっと耳を傾けて聴いています。

 「近年、将棋界は新たな名人の誕生もあって注目度が以前の比ではないくらいに増しています。そうなると、当然棋戦で活躍したいと思うのが私たちすべての駒の本音でしょう。しかし、一局の中で一度も香車を動かさずに終わるケースがどれだけあるご存知ですか。昨日行われた竜聖戦決勝トーナメントでも、4枚ある香車が一度も動くことがなく終局を迎えました。私達は半日近く何もせず立ちっぱなしです。対局を終えて私達香車はよく愚痴るものです。今日、自分達は一体何をやっていたんだってね。不満が蓄積するのも当然だと思いませんか」

 香車さんは冷然と受け答えしていますが、その目にはほのかに怒りを感じされられます。よほどこれまでの鬱憤がたまっていたのでしょう。

「だが、君達香車がいるから両陣営の守りが強固になっているのではないか。少なくとも私は評価しているぞ」

「金将さん、私達香車はいわば槍なのです。槍といえば本来攻撃するのが正しい役割だとは思いませんか。私達は勝利のためにも率先して攻撃にでたいのです。金将さんみたいに守備を担いつつ攻撃に出ることもなかなかに叶わないんです」

 香車さんがそう言い放つと金将さんもうーむ、と困り果てました。なまじ自分達のほうが日ごろ活躍していると自覚しているだけに、香車さんが言いたいことも理解できてしまうのです。


「ですが香車さん。香車さんは私達歩兵よりよほど可動域が広いではありませんか。私たちからしたら貴方のほうがよほど羨ましいのですよ」

 反射的に口をはさんだのは歩兵さんの中の1枚です。小柄ではありますが、はきはきとした声が広く響きます。歩兵さんは、前にならどこまでも進める香車さんと違い、前に1歩しか進むことができません。

「歩兵さんには能力以上の脅威があるのは周知の事実です。だからこそ二歩、打ち歩詰めといったルールが出来上がったのではないですか。それは【歩のない将棋は負け将棋】、【金底の歩、岩より堅し】といった格言が多く生まれていることが証明しています。私達香車が含まれた格言がどれくらいあるかご存知ですか」

「えっ……それはですね……」

 突然の質問に歩兵さんもどぎまぎしてしまいます。確かに、香車が主役といえる格言となるとそういくつも想起できなかったのです。そして、まわりの駒達も同様に言い返すことができません。


「議長、こちらの主張はわかりましたね。主張をのんで話を進めていただけないことには先ほど申し上げたとおり、明日以降の棋戦参加をボイコットさせていただきます。よろしいですね」

「ま、待ってくれ。どうか、考えを改めてはくれないか。君達の働きには常日頃感謝している。だから……」

「話になりませんね。私達香車はこれで失礼します。次の談合にていい返事が聞けることを期待しています。」


 議長は説得の致命的失敗を犯してしまいました。そう口にしたのを最後に香車さん達は目配せをし、周囲が止めるのを無視して会場をあとにしました。彼らが去った会場は当然騒ぎが収まらず、無言でいるのはずっと頭を抱える議長1枚のみです。

 こういった経緯がありまして、この日、将棋界から香車が姿を消してしまったのです。

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