第2話 施行2日目の記録
――市役所地域支援課・村井大樹――
時計は午前八時三十分。冷たい雨が、市役所2階の窓を斜めに叩いている。
私は、本田義郎会長を案内しながら、会議室のドアを開けた。
「お疲れさまです。本日は申請書類の打ち合わせを」
「村井さん、ご苦労さん。年寄りには郵送申請は無理だよ」
会長は、古びた手帳をテーブルに置く。1970年代の町内会名簿、インクがにじみ、紙は黄ばんだまま。
「法的には、本人確認が必要ですので……」
「本人は、ここにいる」
会長の指が、名簿の丸数字を追う。
「でも、マスキングテープの端が剥がれたように、制度も剥がれてるんだよ」
私は、申請書の「本人確認」欄にペンを止めた。雨音が、窓ガラスを伝う。
*
午後一時、会議室。山田課長が、資料を広げる。
「旭川市を含む未制定自治体との連携だが、財源は条例第5条で決まる。30万円の見舞金は、法的要件で動かせない」
「しかし、高齢者の郵送申請をどう……」
「村井君、感情論は後にしよう」
冷たい雨は相変わらず。窓の外、桜の蕾が雨に打たれている。
私は、机の上に並べた二つの紙を見比べた。
一枚は「見舞金30万円」と印刷された申請書。
一枚は、会長が置いていった手書きの手紙――「お見舞い申し上げます」。
文字は震えているが、温もりが伝わる。
「課長、富良野市の例では、窓口と郵送の併用で申請件数が――」
「財源が許せば、話は別だが」
時計の針は二時を回る。雨音が、少しずつ弱まっていく。
*
夕方四時、北・ほっかいどう総合カウンセリング支援センター。
雨がやんだ。西日が、支援センターのロビーを照らす。
「被害者の方は、心の支えを求めてらっしゃいます」
30代の女性職員(匿名)が、名刺を差し出す。端が折れている。
「制度より、話を聞く人がいること。それが支援の第一歩です」
個室から出てきた七十代の女性が、私に頭を下げた。
「おかげさまで、今日は少し笑えました」
私は、申請書の「支援内容」欄に、小さく「傾聴」と書き添えた。
窓の外、雨上がりの桜が、水滴を光らせている。
*
夜七時半、自宅。
妻が、味噌汁の湯気を立てる。
「お帰りなさい。会長、お元気だった?」
「ああ、今日も負けたよ。でも、正しい敗北だった」
「支援って、数字より温もりだよね」
私は、北・ほっかいどう総合カウンセリング支援センターの名刺を握りしめた。
明日は、窓口と郵送の併用サポートを始める。
時計の音が、静かに響く。
雨上がりの夜空、星が一つ、光り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます