第5話

俺が魔法スキルである【魔力弾】を、手に入れてから一夜が明けた。

村が魔物に襲われる予定日まで、残された時間はもう三日しかない。

時間は、刻一刻と迫り続けている。

俺は朝食を急いで済ませると、家の裏にある小さな広場へ向かった。


さっそく、新しいスキルの練習を始める。

「【魔力弾】」

俺は右手をまっすぐ前に突き出して、静かにそう唱えた。

手のひらの上に、バスケットボールくらいの光の玉が生まれる。

それは、昨夜に試した時よりも明らかにサイズが大きくなっていた。


一晩でスキルが成長したのか、それとも俺自身の魔力量が増えた影響だろうか。

俺は生まれた光の玉を、的として置いた岩に向かって放った。

光の玉は、ひゅっと風を切るような音を立てて飛んでいく。

そして、そのまま岩に命中した。


ドゴン、と鈍い音が広場に響き、岩の表面がわずかに欠け落ちる。

「威力は、相変わらず大したことないな」

オークを棍棒で殴った方が、よほど大きなダメージを与えられそうだ。

だけど、このスキルの本当にすごいところは威力ではないのだ。

遠い場所から、魔力さえあれば無限に撃てるという点が重要だった。

それに、スキルを連続で使うスキルチェインの、起点としても使えるはずである。


俺は次に、スキルを連携させる練習を試してみることにした。

例えば【パリィ】で相手の攻撃を弾き、体勢を崩した直後に【魔力弾】を叩き込む。

そんな、実戦を頭に浮かべたイメージトレーニングを繰り返す。

実際に敵がいないと本当の練習にはならないが、動きの確認くらいはできる。


「やっぱり、新しい攻撃スキルがもっと欲しいな」

現状において、俺の攻撃手段はショートソードと【魔力弾】しかない。

たくさんの魔物を相手にするには、あまりにも頼りない戦力だった。

俺はゲームだった頃の知識を頭の中から探り、他に序盤で覚えられるスキルがないか思い出す。

いくつか候補は思いついたが、どれも特定の場所へ行かなければならない。

あるいは、特殊なアイテムが必要だったりする。


今からそれを手に入れる時間は、残念ながら残されていなかった。

「今は、手持ちのカードで一番良い方法を尽くすしかないか」

俺は気持ちを切り替えると、再び【魔力弾】を放つ練習に集中した。

何度も何度も撃ち込んでいるうちに、少しずつコツが掴めてくる。

魔力の消費をできるだけ抑えながら、連続で発射する技術。

そして、光の玉のサイズを、自分の思い通りにコントロールする方法。


昼過ぎまで練習を続けた結果、【魔力弾】のスキルレベルは2に上がっていた。

威力も、心なしか少しだけ増したような気がする。

練習を終えた俺は、気分転換に村の中を散策することにした。

魔物の襲撃を前にした、最後の平和な日常。

その光景を、しっかりと目に焼き付けておきたかったからだ。


村の中央広場では、子供たちがとても元気に走り回っている。

農夫たちは畑仕事に汗を流し、女たちは井戸の周りで楽しそうに話していた。

誰もが、すぐそこに迫っている大きな脅威に気づいていない。

俺が、この当たり前の光景を守らなければならないのだ。


「おや、アッシュじゃないか。ずいぶん精が出るねえ」

声をかけてきたのは、この村でたった一つの鍛冶屋を営んでいる、頑固な親父のバルガスさんだ。

筋肉が盛り上がったたくましい体に、いかつい顔つきをしている。

原作のゲームでは、主人公の武器や防具を何度も鍛え上げてくれる、とても重要な人物だった。


「バルガスさん、こんにちは」

「おう。お前さん、最近は森で魔物狩りをしているそうじゃないか。村の連中が噂していたぞ」

どうやら、俺の行動は少しずつ村人の間でも知られ始めているらしい。

「ええ、まあ。ちょっとした護身術の練習みたいなものですよ」

「ふん、感心なことだ。だが、使うもんは相変わらず、そんな錆びたナマクラなのかい」

バルガスさんは、俺が腰に差しているショートソードを指差した。

そして、まるで馬鹿にしたかのように、にやりと笑う。

「こいつが、なかなか手に馴染んでいまして」

俺がそう言うと、バルガスさんは呆れたように大きなため息をついた。

「まあいい。もし新しい武器が欲しくなったら、いつでも俺の工房に来な。ちっとばかし、まけてやるぜ」

そう言って、彼は自分の工房へと帰っていった。

言葉は乱暴だけど、根はとても優しい人だ。

彼のような村人たちを、絶対に死なせるわけにはいかない。


俺は再び、村の中をゆっくりと歩き始めた。

すると、路地裏の方から、小さな子供の泣き声が聞こえてきた。

気になってそっと覗いてみると、三人のガキ大将が、一人の男の子を取り囲んでいた。

弱い者いじめをしているところだった。

「おいティム、お前の父ちゃんは病気で働けないんだってな」

「お前んちは、すごく貧乏なんだろ。これを食ってろよ」

ガキ大将の一人が、地面の泥を乱暴に掴んだ。

そして、ティムと呼ばれた男の子に、それを投げつけようとする。

俺は、思わずその腕を強く掴んで止めていた。


「な、なんだよお前は」

ガキ大将が、鋭い目で俺を睨みつけてくる。

俺は何も言わずに、ただ低い声で一言だけ言った。

「やめとけ」

俺の目には、自然と強い力がこもっていたらしい。

レベルを上げて魔物と戦ってきたことで、以前の俺とは放つ空気が違っていたのかもしれない。


ガキ大将たちは、俺の気迫に押されたように、一瞬だけ怯んだ。

「ち、ちぇっ。行くぞ、お前ら」

捨て台詞を吐くと、三人はそそくさとその場から逃げていった。

残されたのは、泥だらけのまま泣いているティムだけだった。

俺はゆっくりとしゃがみ込み、彼と視線を合わせる。

「大丈夫か、怪我はないかい」

ティムは、こくりと小さく頷いた。

だけど、彼の涙はまだ止まらない。

俺はアイテムボックスから綺麗な布を取り出して、彼の顔を優しく拭いてやった。


「もう大丈夫だ。あいつらも、もう何もしないと思うよ」

「うん。ありがとう、アッシュ兄ちゃん」

ティムはしゃくり上げながら、ちゃんとお礼を言った。

どうやら、俺のことは知っているらしい。


「ティム、だったな。どうしていじめられていたんだ」

「父ちゃんが、病気だから。みんな、僕と遊んでくれないんだ」

ティムは俯いたまま、ぽつりぽつりと事情を話してくれた。

彼の父親は、元々は村でも腕のいい猟師だったらしい。

だが、数ヶ月前に重い病気にかかり、今ではずっとベッドで寝たきりの状態だという。

薬を買うお金もなく、日に日に弱っていくばかりだと、ティムは悲しそうに話した。


それを聞いて、俺は胸が強く痛んだ。

この世界では、病気はすぐに死につながってしまう。

ポーションは怪我は癒やせるけれど、病気を治すことはできないのだ。

何か、今の俺にできることはないだろうか。

俺は、ティムを家まで送っていくことにした。

彼の家は、村のはずれにある、今にも崩れそうな小さな小屋だった。

家の中に入ると、薬草の匂いと、重たい空気が漂っている。

部屋の奥にあるベッドに、ティムの父親が横になっていた。

顔は青白くて、呼吸もとても浅い。

医者ではない俺が見ても、かなり危険な状態だとすぐに分かった。

俺は、鑑定スキルを使ってみる。


【アルマン:猟師 レベル15】

【状態:呪病(衰弱)】


呪病、という文字が見えた。

それは、魔物の呪いによって引き起こされる、とても特殊な病気だ。

普通の薬では治せず、放っておけば確実に死んでしまう。

治す方法は、教会で高額な解呪の儀式を受けるしかない。

あるいは、特定のとても珍しい薬草を煎じて飲ませるかだ。

もちろん、今のティムの家にそんな大金はないだろう。


「あんた、誰だい」

ベッドのそばで看病していたティムの母親が、怪訝そうな顔で俺を見た。

「こんにちは。ティム君を送ってきました、アッシュです」

「そうかい、それはどうもすまないねえ」

母親の顔にも、深い疲労の色がはっきりと浮かんでいる。

俺はティムの父親の様子を見て、一つの覚悟を決めた。


「奥さん。旦那さんの病気、俺が治せるかもしれません」

「えっ」

彼女は、俺が何を言っているのか分からない、という顔をした。

それは、無理もないことだ。

いきなり現れた見ず知らずの若者が、医者でも治せない病気を治せると言っているのだから。

「少しだけ、時間をください。必ず、薬になるものを見つけてきますから」

俺はそう言い残すと、ティムの家を後にした。

ティムが、とても心配そうな顔で俺を見送っている。

俺は彼に向かって、力強く頷いてみせた。


呪病を治す薬草の、その名は「陽光の花」。

原作ゲームでは、とあるダンジョンの奥深くにしか咲かない、超レアなアイテムだ。

だが、俺はその花が、ごく稀に別の場所でも手に入ることを知っていた。

それは、ゲームの開発者が見逃してしまった、システムの穴のようなものだった。

エリル村の近くにある、名もなき小さな丘。

そこの、ある特定の時間にだけ、陽光の花が咲くポイントがあるのだ。

俺は時計代わりに太陽の位置を確認しながら、その丘へと急いだ。

襲撃まで時間がない中で、道草をしている余裕はない。

だけど、目の前にある命を見過ごすことなんて、俺にはできなかった。

これは、ただの俺の自己満足なのかもしれない。

それでも、俺はやらなければならないと思った。


丘の頂上に着くと、ちょうど夕日が地平線の向こうに沈もうとしていた。

俺が探しているポイントは、頂上にあるひときわ大きな岩の影だ。

太陽が完全に沈んで、月が昇り始めるまでの、ほんの数分間。

その短い時間だけ、その場所には特別な魔力が満ちるのだ。

俺は息を殺して、じっとその時を待った。

やがて、最後の太陽の光が地平線から消える。

世界が、蒼い闇の色に包まれた。


すると、俺の目の前の地面から、ぽうっと淡い光が灯った。

光の中から、ゆっくりと黄金色の花が芽吹いていく。

そして、それはとても美しい花びらを開いた。

「陽光の花、あったぞ」

俺は慎重にその花を摘み取ると、アイテムボックスにしまった。

これで、ティムの父親はきっと助かる。

俺は安堵のため息をつくと、急いで村へと引き返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る