勇者に盾は必要か?
ふじの白雪
第一話 勇者の背中
ユグドラシア大陸の南、『アークテラス王国』の一角に、かつて漁村として栄えた『シオス村』があった。しかし、王権統一戦争の激化は村の様相を一変させた。男たちは兵士として駆り出され、アレクの父もまた、彼が幼い頃に兵士となり命を落とした。
夜闇に包まれた『シオス村』に、逃亡兵たちが現れる。彼らはわずかな食料を奪うだけでなく、若く美しい娘や、アレクの母まで連れ去ろうとした。
「母さんの手を離せ!」
アレクは、母を引きずる兵士の腕に噛みついた。しかし、幼いアレクの力では彼らに敵うはずもなく、無情にも振り払われ、地面に叩きつけられる。兵士たちは倒れたアレクを踏みつけ、容赦はなかった。
「だ…誰か!助けて」
アレクの母の悲痛な叫びが響くが、村に残るのは女、子供、そして老人ばかり。誰もがただ見ていることしかできなかった。
このまま殺されてしまうのか——その時だった。
「ぐあっ!」
鈍い悲鳴とともに、兵士の一人が地面に倒れる。残りの兵士たちが振り返ると、そこには赤い髪の男が立っていた。彼の両手には、黒く磨かれた二本の剣が握られ、月明かりを反射して鋭い光を放っていた。
「貴様は!」
「後ろからとは卑怯者!」
兵士の罵声に、男は肩をすくめて嗤った。
「寄ってたかって子供を踏みつけるようなヤカラに卑怯者と言われたくはないな」
兵士たちは一斉に男へと斬り掛かったが、男は二本の剣を巧みに操り、素早い動きで彼らの攻撃をかわし、いなしていく。
一人が「な!なんだこいつ!動きが見えねえ!」と叫んだ隙を見逃さず、男は左手の剣で兵士の足元を払い、もう一方の剣を腹部に叩き込んだ。
残る兵士たちは次々と赤髪の男の剣技の前に崩れ落ちた。
「ぐっ…覚えていろ!」兵士が呻く。
「生憎だが覚えが悪いんでな」男はそう言い放った。
「オヤジ様!」
一人の若い男が駆け寄ってきた。
既に全ての兵士が地面にに転がってるのを見て、若い男は呆れたように言った。
「私が出る幕はなかったですね」
赤髪の男は誇らしげに胸を張った。
「まだまだワシの腕は鈍っちゃあいねぇぞ」
アレクの母は泣きながら我が子を抱きしめていた。男はそっと膝をつき、アレクの傷を確かめる。
「大丈夫だ、命に別状はない」男の言葉に、母は安堵の涙を流した。
「おい、アンタ。助けてくれたのはありがたいが、一体何者だ?」
村の長老が尋ねる。
男は立ち上がり、ゆっくり振り返る。彼の瞳は、燃え盛る炎のように輝いていた。
「ただの通りすがりだ。だが見過ごせなかっただけのこと」
男は若い男に目配せし、村を後にしようとする。
「待って下さい!せめてお名前だけでも!」アレクの母の叫びに、男は振り返ることなく答えた。
「名乗る程の名前でもない…」
そうして二人は夜の闇に消えていった。
アレクは夜が開ける頃に目を覚ました。彼は自分を救ってくれた英雄の話を母から聞いた。
「いつか僕も強くなって、誰かを守れるようになりたい」
アレクの小さな胸に、二本の剣を操る赤髪の男への憧れと、新たな決意が宿った。
王権統一戦争が終結し、幾月かの静寂が流れた。シオス村の男たちも生き残った者は故郷へ戻ったが、村の景色と人々の心には、癒えぬ傷跡が残っていた。
12歳になったアレクは、戦死した父の代わりに母を支えるため、そしていつかあの双剣使いのように強くなるための冒険の旅への資金を貯めるため、領主の屋敷で日々の通いとして奉公を始めた。
アレクは厩の最年長であるロペス爺さんの厳格な指導のもと、みるみるうちに仕事を覚えていった。
やがて、伯爵お気に入りの上級使用人であり、気さくな兄貴分でもある御者のモリスとも親しく言葉を交わすようになる。
ある日の昼下がり、モリスがアレクに将来の夢を尋ねた。
「へぇ、お前、勇者になりたいのか?だが、なんで勇者だ?今時、御伽話の魔王退治でもあるまいし」
アレクは俯き、自らの心の奥底にある記憶を語り始めた。
「俺がまだ幼い頃、脱走兵に襲われたんです。その時、どこからか現れた双剣使いが、一瞬でそいつらを倒してくれた。その人ように、俺はなりたいんです」
モリスの顔色が一瞬変わった。
「双剣使い……?もしかして……そりゃあ赤髪の……」
「モリスさん……知ってるんですか?」
アレクは身を乗り出す。
「知ってるも何も、ソイツは……」
「おい、モリス!」
近くで馬の手入れをしていたロペス爺さんが、鋭い眼差しで二人を射抜きながら口を挟んだ。
モリスは口を噤み、軽く肩をすくめた。
「まぁ…それは、お前が冒険に出て、自分の目で確かめるためのお楽しみですってやつだな」
それ以来、モリスはアレクの夢を応援するため、師として剣を教えることを買って出た。
だがモリスはアレクが本当に冒険の旅に出るとは思っていなかったのだ。それは勇者になりたいという少年の夢を壊さない為の純粋な
思いだった。
ある日の夕方、『シオス村』の広場に、見慣れない男の姿があった。年の頃は三十手前、くたびれた皮の鎧をまとい、腰には使い込まれた片手剣を差した風来坊といった出立ちだ。しかし、その立ち居振る舞いには、どこか手練れの雰囲気があった。
男は広場の一角で、子供たちを相手に、諸国での冒険譚を語り始めた。
「ゴブリンどもは、本当に人語を解するのかって?ああ、奴らは狡賢い。だが、その頭を吹き飛ばせば、後はただの肉塊さ!ゴブリンなんてものは、可愛いもんだ。夜には災害級のモンスタ―が出る。コイツは厄介だ!」
子供たちは身を乗り出して話に聞き入る。仕事を終え、広場に駆けつけたアレクの瞳には、憧れの炎が燃えていた。
男は、自分を『旅の冒険者』だと名乗った。
「お前たちもいつか冒険に出たいか?それなら、『中央都市サントゥス』だ。あそこにはな、冒険者ギルドがある。そこで登録をして、クエストをこなす。それが、腕を磨く一番の近道だ」
アレクは勇気を振り絞って声をかけた。
「お兄さん!俺、いつか勇者になりたいんです!あの……その、赤髪の双剣使いのことを知っていますか?」
男は、少し芝居がかった仕草で顎を撫でた。
「ほほう、赤髪の双剣使いときたか。そりゃあ、有名な話だ。知っているも何も、そいつは俺の……古い知り合いさ」
「やっぱり!その人は今、どこに?」
アレクは更に身を乗り出す。
「それがな、話すと長くなる。それに、俺は今夜の宿も決まってない。この続きは、もう少し落ち着いたところで話そうか」
男は言葉巧みにアレクの好奇心を刺激した。
興奮に駆られたアレクは、我を忘れ、男に自宅での宿泊を申し出た。
その夜、アレクは母に懇願し、冒険者と名乗る男を家に泊めた。男は食事の席でも威勢よく語った。
「赤髪の奴とは、『サントゥス』で何回か酒を飲んだ仲でな。奴は、ちょっと変わり者だが、腕は確かだ。それに、義理堅いところもある。お前さんの話を聞けば、きっと喜ぶだろうよ」
アレクは、男の言葉の一つ一つを、彼の夢を具現化した真実だと信じて目を輝かせた。
翌朝、アレクが目を覚ますと、部屋はもぬけの殻だった。男は、礼を言う書き置きと、飲み残しの水筒だけを残して静かに村を去っていた。
「本当に、夢みたいな人だったな」
アレクは水筒を握りしめ、余韻に浸った。
その日の昼過ぎ、領主の屋敷。
アレクは、興奮冷めやらぬ様子で、一晩の出来事をモリスに語った。
「モリスさん!昨日、村に冒険者が来たんです!サントゥスで活躍している人で、赤髪の双剣使いの知り合いだって!」
モリスは、静かに馬車を点検する手を止め、かすかに表情を曇らせた。
「…そうか。赤髪の双剣使いが、サントゥスで酒を飲んだ知り合い、ね」
モリスは確信した。この男が語った
『冒険者ギルド』などの情報は、自身の知る真実とはあまりにもかけ離れている。アレクは、まんまと騙されたのだと。
しかし、モリスはアレクの持つ木剣を握る手と、その眼差しを見つめた。
この少年が抱く偽りの希望は打ち砕く真実を語れば、彼の夢は裏切られた記憶へと変わってしまう。モリスは、真実を明かす勇気が持てなかった。
モリスは、ぐっと唇を結んだ。
「…そうか」
モリスは、努めて明るい声で言った。
「『サントゥスか』やはり、中央は違うな。いい話を聞いたじゃないか、アレク」
「はい!」
アレクは、モリスの言葉に満足そうに頷いた。
「俺、『サントゥス』のギルドで、赤髪の人のように強くなります。そして勇者になる」
「ああ、そうしろ。そのために、今はここで、その剣を磨け」
モリスは、アレクの肩を力強く叩いた。
モリスは、アレクの瞳に映る偽りの英雄像を、あえて否定しなかった。彼の優しさは、真実を隠すという、痛みを伴う選択をさせた。
アレクは、詐欺師の言葉を確かな道しるべだと信じ、木剣を握りしめた。
(次話『夢への代償』へ)
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