第2話
翌朝、安アパートの軋むベッドの上で目を覚ました俺、相田景都は、スマホを手に取ってあくびを一つした。そして、画面に表示されたネットニュースの見出しを見て、思わず眉をひそめる。
『【衝撃】新人配信者ももち、ゴブリン三体を無傷で討伐! 天才少女、伝説の始まりか』
『“奇跡の原石”ももち、デビュー配信でスパチャ総額五百万円超え!』
『専門家も絶賛「彼女の動きは偶然ではない。計算された無意識の戦闘術だ」』
「……大げさだなあ」
どの記事も、昨日の桃華さんのパニックぶりを「冷静沈着な立ち回り」と絶賛し、やけくそで振った剣を「必殺の一撃」と褒めそやしている。俺が撮った映像が見事に切り抜かれ、彼女が天才であることの「証拠」として繰り返し再生されていた。
もちろん、そう見えるように編集したのは俺だ。だが、それにしても世間の熱狂ぶりは異常だった。
電話の着信音が鳴る。画面には、話題の中心人物の名前が表示されていた。
「景都さん!見ましたか、ニュース!私、すごいことになっちゃってます!」
「ああ、見ましたよ。すごいですね、バズってて」
「えへへ……なんだか、夢みたいです。でも、これも全部、景都さんが最高の映像を撮ってくれたおかげですから!」
「いえ、俺は仕事をしただけです。それより、何か用ですか?」
「はい!あのですね、今日の配信なんですけど……」
電話の向こうで、桃華さんが少しだけ言いにくそうに言葉を濁す。
「昨日の配信のコメント、全部読んだんです。そしたら、『すごい!』っていうコメントに混じって、『でも相手はただのゴブリンでしょ?』とか『本当に強いのかはまだ分からない』みたいな声もあって……」
悔しそうに唇を噛む音が、受話器越しに聞こえてくる。
「私、このままじゃ終われないです!私が本物だって、証明したいんです!だから……次はもっと難しいダンジョンに挑戦させてください!」
彼女の口から飛び出したのは、予想外の言葉だった。
「……もっと難しい、というと?」
「はい!『嘆きの洞窟』です!他の配信者さんがよく行ってるのを見て、私もいつか行ってみたいって!」
『嘆きの洞窟』。Fランクダンジョンだが、ゴブリンしか出ない昨日の『始まりの洞窟』とは少し違う。視界の悪い暗闇が続き、道が入り組んでいる。そして、主に出現するのは、素早い動きで奇襲を仕掛けてくるホーンラビットだ。
初心者が次に挑むには、少しだけハードルが高い。
俺は思わずため息をついた。勘違いが、とんでもない方向に加速している。
「……ももちさん、あのダンジョンはかなり暗いですよ。照明機材を追加でレンタルしないと、まともな映像にはなりませんけど」
「お願いします!私、もっと頑張りますから!」
熱意に押され、俺は渋々頷いた。
「……分かりました。面白い画は撮れそうですね。準備して向かいます」
電話を切り、俺は機材リストを頭の中で組み立て始めた。
天才の証明、か。つまり、また俺が徹頭徹尾、最高の映像を撮るためのディレクションをしなければならないということだ。
面倒だが、時給のためだ。やるしかない。
ダンジョンの集合場所に指定されたのは、午後十四時。
俺が追加の照明機材のセッティングをしていると、桃華さんはすでに配信用の可愛らしい冒険者服に着替え、やる気に満ちた表情で素振りをしていた。
「景都さん、今日もよろしくお願いします!」
「はい、よろしく。今日は昨日より少し暗いんで、こまめに光の調整をします」
「わあ、ありがとうございます!頼りになります!」
その時だった。
「……あの、すみません」
不意に、背後から凛とした声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、知的な眼鏡をかけた、美しい女性だっ
た。ギルド『ヴァルハラ』の若き天才アナリスト、氷室雫だった。
「撮影担当の、相田景都さん、でよろしいですね?」
「は、はい。そうですけど……」
「昨日の配信映像を拝見しました。いくつか、確認したい点が」
「え、ああ、はい。どうぞ」
「まず、ゴブリンの棍棒を回避したシーン。あの場面、カメラは被写体の回避先を0.2秒早く捉えていました。まるで、攻撃が来ると分かっていたかのような動きです。どうやって予測を?」
「予測?いえ、あそこは背景の光の入り方が一番綺麗だったんで、そっちにカメラを向けただけです。構図の基本ですよ。ゴブリンが偶然フレームインしてきたのは、まあ、ラッキーでしたね」
「……ラッキー。では、二体目のゴブリン。あなたは被写体に、眉間を狙うよう指示を出している。音声記録で確認しました。ゴブリンの弱点は心臓、というのが定説のはずですが」
「弱点?さあ、知りません。ただ、あの角度からだと、眉間に当たった方が血飛沫の代わりに派手な光のエフェクトが出るかなと。映像の見栄えの問題です」
「……見栄え」
氷室さんは、眼鏡の奥の目を細め、何かを思考するように黙り込んだ。その目は、映像の専門家に向けるものとは少し違う。まるで、未知の生物でも観察するような、鋭く、探るような色をしていた。
「……あなたのその『判断』、ですか。非常に興味深い。本日は、その神業を、この目で見学させていただきます」
「はあ、どうぞご自由に……」
どうやら、彼女は今日の配信を見学に来たらしい。熱心なファンもいるものだ。
俺は少し変わった人だな、と思いつつ、彼女の存在をすぐに意識の外へと追いやった。今はそれどころじゃない。最高の配信を始める時間だ。
「はい、ももちさん! 配信開始まで、五、四、三、二……」
『みんなー!こんももちー!今日も元気にダンジョン探索、いっくよー!』
配信が始まると、桃華さんはプロの顔になる。いや、顔だけで、その足は小刻みに震えていたが。
案の定、『嘆きの洞窟』の内部は薄暗く、不気味な岩がそこかしこにそびえ立っていた。
「ひゃあ……なんだか、昨日の場所より怖いですね……」
「大丈夫です、ももちさん。こういう場所の方が、光と影のコントラストが映えて、いい映像が撮れますから」
俺がそういうと、すぐに脳内の【神の視点】が反応した。
――前方、分岐路。
――右ルート:撮影に適した光源なし。三メートル先に落とし穴の罠。
――左ルート:壁の苔が発光。被写体を神秘的に照らす絶好のロケーション。
「ももちさん、次の分岐、左に行きましょう。あっちの壁、苔が光ってて綺麗ですよ。きっと視聴者も喜びます」
「わ、本当ですね! さすが景都さん、よく見てますねー!」
桃華さんは素直に左の道を選ぶ。
しばらく進むと、暗闇から赤い目が二つ、こちらを捉えた。
「ピィィィ!」
甲高い鳴き声と共に、鋭い角を持つウサギ――ホーンラビットが、弾丸のような速さで飛び出してきた。
「ひゃあああああああ!?」
桃華さんは昨日と同じように、情けない悲鳴を上げてその場に固まる。
だが、俺は冷静だった。【神の視点】は、すでに最高の映像を撮るための完璧なシナリオを俺に提示していた。
――好機。
――被写体が後方の岩に躓き、転倒しながら偶然剣を突き出すことで、劇的な迎撃シーンが撮影可能。
――演出ポイント:転倒後、驚いた表情でカメラを見ることで、視聴者の「ギャップ萌え」を誘発。
「ももちさん!今です!後ろの岩にわざと躓いてください!派手に転べば、視聴者の同情を引けます!」
「ええええ!?こ、こうですかぁ!?」
パニック状態の彼女は、もはや俺の指示を疑う思考すらない。言われるがままに、彼女は後ろの岩に足を引っかけ、盛大にバランスを崩した。
「きゃあっ!」
体勢を立て直そうと無我夢中で振り回した剣が、偶然にも、天を衝くように突き出される。
グサッ!という鈍い音。
突進してきたホーンラビットが、自らその剣先に飛び込む形となり、赤い目を大きく見開いたまま動きを止めた。
『!?』
『今の何!?見えなかった!』
『転びながらカウンターだと…?これが天才…!』
コメント欄が、昨日以上の速度で流れていく。
「え?え?え?」
何が起きたか分からず、目を白黒させている桃華さん。
「完璧です!その表情、100点満点!」
俺は彼女のリアクションに満足し、カメラを回し続ける。
その光景を、洞窟の入り口付近の暗がりから、氷室雫が息を飲んで見つめていた。
「……ありえない。今の転倒に、戦闘上の利点は万に一つも存在しない。ただ、
視聴者の感情に訴えかけるためだけの動き。なのに、それが完璧な迎撃になっている。まるで、未来の全てを知っているかのような、完璧な『演出』……」
彼女はタブレットに何かを高速で打ち込むと、その冷徹な表情に初めて、人間らしい興奮の色を浮かべた。そして、カメラマン――相田景都を、まるで世紀の発見でもしたかのように、じっと見つめていた。
その日の配信も、大成功に終わった。
俺はいつものように機材を片付けながら、今日の映像の反省点をぶつぶつと呟いていた。
「ああ、くそっ!今日の転倒シーン、もう少し絞りを開けて背景をぼかせば、も
っと被写体が際立ったな……!まだまだディレクション能力が足りない!」
俺のそんな独り言が、すぐそばまで来ていた氷室雫の耳に入ったとは、知る由もなかった。
彼女が俺の「ディレクション能力」という言葉を、全く別の意味で捉え、確信に満ちた表情で頷いていたことにも、もちろん俺は気づいていなかった。
俺のカメラワークが神すぎて、ポンコツ配信者がSランクエースに勘違いされている件~本人は『全部ただの偶然です』って言ってます~ Ruka @Rukaruka9194
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