泡に消える ―Transient Bubbles―

@komoreclair

プロローグ


 スタジオの照明が眩しく輝く中、五人の若者が横一列に並んでいた。カメラの向こう側には数百人の観客が詰めかけ、手には色とりどりのペンライトが握られている。歓声と拍手が途切れることなく響き渡り、まさに人気絶頂を物語っていた。


「それでは改めまして、本日のゲストをご紹介いたします。今最も注目を集める五人組バンド、Transient Bubbles(トランジエント・バブルズ)の皆さんです!」


 司会者の高らかな声に合わせて、観客席からは一層大きな歓声が上がった。最前列にいる女性ファンたちは涙を流しながら手を振り、男性ファンたちも興奮を抑えきれずにいる様子だった。


 バンドメンバーたちは慣れた様子で手を振り返した。 センターに立つ男性ボーカルのユウマは、整った顔立ちに人懐っこい笑顔を浮かべている。その隣に立つ女性ボーカルのサラは、長い黒髪を揺らしながら上品に微笑んでいた。ギター担当のカズキは少し照れたような表情を見せ、ドラムのソウタは片手を上げて観客に応えている。一番端に立つベース担当のリョウは、クールな表情ながらも目には温かみがあった。


「さあ、まずはバンド名の由来から教えていただけますか?」司会者がマイクを向けると、佐伯ユウマが一歩前に出た。


「Transient Bubbles(トランジエント・バブルズ)、日本語で言うと『儚い泡』という意味なんです」彼の声は澄んでいて、スタジオ内に心地よく響いた。「僕たちが歌いたいのは、すぐに弾けてしまうような、でも美しい瞬間の想いなんです。恋愛でも、友情でも、青春でも。そういう一瞬一瞬を大切に歌っていきたいという思いを込めました」


 観客席からは「素敵!」「かっこいい!」といった声が飛び交った。司会者も感心したように頷いている。


「なるほど、とても詩的で美しい名前ですね。結成されてから約二年ということですが、あっという間に人気バンドになられました」


「本当に驚いています」今度は女性ボーカルが答えた。彼女の声は透明感があり、話すだけでも人を惹きつける魅力があった。「最初は地元の小さなライブハウスから始まって、こんな大きなステージに立てるなんて夢のようです」


「地元はどちらなんですか?」


「静岡県の清水市です」新藤カズキが答えた。「海の近くの、本当に小さな町なんです。でも僕たちにとってはとても大切な場所で、今でも時々帰って地元のファンの方たちとお会いしています」


 司会者は手元の資料に目を落とした。「プロデューサーの方も同郷だと伺いましたが」


「はい、田村さんも清水の出身で」ユウマが答えかけた時、隣のサラがわずかに身を硬くしたのを、テレビカメラは捉えていた。しかし、それは一瞬のことで、すぐに彼女は笑顔を取り戻した。「田村プロデューサーには本当にお世話になっています。僕たちを見つけてくださって、ここまで育ててくださって」


「田村プロデューサーといえば、音楽業界では知らない人はいないほどの敏腕プロデューサーですよね。どのような経緯で皆さんと出会われたのでしょうか?」


 メンバーたちは互いに顔を見合わせた。ソウタが口を開く。


「僕たちが地元のライブハウスで演奏していた時に、偶然聴いてくださったんです。その時はまさか田村さんだとは思わなくて」


「声をかけてくださった時は本当に驚きました」リョウも続けた。「『君たちには特別な何かがある』って言ってくださって。今思えば、あの日が僕たちの人生の転機だったんです」


 司会者は満足そうに頷いた。「素晴らしいサクセスストーリーですね。 そして、ここで最新曲『Winter Fragments(ウィンター・フラグメンツ)』を披露していただきましょう」


 照明が暗くなり、静寂がスタジオを包んだ。メンバーたちはそれぞれの楽器の前に移動し、ユウマとサラがマイクの前に立った。


 イントロが流れ始めると、観客席からは小さなどよめきが起こった。美しくも切ないメロディーラインが、冬の恋の終わりを歌った歌詞と完璧に調和していた。


『雪が降る夜に 君は言った

もう会えないと 涙流して

僕の手を離し 振り返らずに

白い息だけが 残されてた』


 ユウマの歌声は感情豊かで、聴く者の心を掴んで離さなかった。サラがハーモニーを重ねると、その美しさに観客席のあちこちですすり泣く声が聞こえてきた。


『でもね 君のことを忘れない

雪解けの春が来ても

心の中に降り続ける

君との想い出という雪を』


 楽器陣の演奏も息が合っていて、五人が一つになって音楽を作り上げている様子が伝わってきた。カズキのギターソロは技巧的でありながら感情に溢れ、ソウタのドラムは楽曲に深みを与えていた。リョウのベースラインは全体を支える土台として完璧に機能していた。


 曲が終わると、スタジオは一瞬静寂に包まれた。そして次の瞬間、嵐のような拍手と歓声が響き渡った。観客席の最前列にいた女性は完全に涙を流しており、隣の友人に肩を抱かれていた。


「素晴らしい!」司会者が興奮を抑えきれずに叫んだ。「これが今話題の『Winter Fragments(ウィンター・フラグメンツ)』ですね。この楽曲に込められた思いを教えてください」


 ユウマが答えようとした時、サラが先に口を開いた。


「この曲は…」彼女は一瞬言葉を詰まらせた。「大切な人を失った痛みと、それでもその人への愛は消えないという思いを歌ったものです。冬という季節に、人は特に孤独や別れを感じやすいけれど、それでも心の中には温かいものが残り続けるということを伝えたくて」


 その言葉には、他のメンバーたちも真剣な表情で頷いていた。しかし、カメラは彼女の目に浮かんだ涙の粒を逃さなかった。それは演技や演出ではない、本物の感情のように見えた。


「とても深い楽曲ですね。ところで、来月には待望の全国ツアーが始まりますが」


「はい!」今度はソウタが元気よく答えた。「ファイナルは僕たちの地元、清水でのライブになります。今まで支えてくださった地元の皆さんに、僕たちの成長した姿をお見せしたいんです」


「チケットはすでに完売と伺いましたが」


「ありがたいことに、発売開始から数分で売り切れてしまいました」カズキが苦笑いを浮かべた。「申し訳ない気持ちもあるのですが、その分、会場に来てくださる皆さんには最高のライブをお届けしたいと思います」


 司会者は時計を確認した。


「残念ですが、お時間となってしまいました。最後に、ファンの皆さんにメッセージをお願いします」


 五人は再び横一列に並んだ。佐伯ユウマが代表してマイクを取る。


「僕たちTransient Bubblesを愛してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。これからも、皆さんの心に届く音楽を作り続けていきたいと思います。そして…」彼は一瞬、何かを言いかけて止まった。「僕たちは、いつも真実の気持ちで歌っています。それだけは忘れないでください」


 観客席からは惜しみない拍手が送られた。メンバーたちは手を振りながら、カメラに向かって深々とお辞儀をした。


 番組が終わり、観客が帰り始めると、スタジオの雰囲気は一変した。先ほどまでの華やかさとは対照的に、どこか重苦しい空気が漂い始めた。


 メンバーたちは楽器を片付けながら、あまり会話をしなかった。時折交わされる言葉も、業務的なものばかりだった。


「お疲れさまでした」


 声をかけてきたのは、四十代半ばの男性だった。田村プロデューサーである。痩せ型で神経質そうな印象を与える顔立ちをしているが、目は鋭く光っていた。


「田村さん、今日はありがとうございました」ユウマが答えたが、その声にはさっきまでの明るさはなかった。


「良い番組だったね。視聴率も期待できそうだ」田村は満足そうに頷いた。「来月のツアーに向けて、いいプロモーションになった」


 サラが楽器ケースを持ち上げようとした時、手が震えていることに田村が気づいた。


「大丈夫か?」


「はい、少し疲れただけです」彼女は慌てて手を隠した。


「無理をしてはいけないよ。君たちは大切な商品なんだから」田村の言葉には、どこか冷たい響きがあった。「特に来月のファイナルライブは重要だ。あれは特別な意味を持つライブになる」


 メンバーたちは田村の言葉の真意を測りかねて、困惑の表情を浮かべた。


「特別な意味、ですか?」カズキが尋ねた。


「まあ、その時になれば分かるよ」田村は意味深な笑みを浮かべた。「君たちの本当の姿を、世界中の人が見ることになるからね」


 その言葉を最後に、田村はスタジオを後にした。残されたメンバーたちは、互いに不安そうな視線を交わし合った。


 スタジオの片隅で、一人の刑事がこの様子を見つめていた。彼の名前は佐伯真一。偶然にも、バンドの男性ボーカルと同じ名字だった。彼は番組関係者として潜入していたが、その目的は誰にも知られていなかった。


 佐伯刑事は冷静な表情でメンバーたちの様子を観察していた。職務として、彼らの一挙手一投足を記憶に刻んでいく。表向きの華やかさの裏に何が隠されているのか、それを見極めることが彼の使命だった。


 スタジオの照明が一つずつ消され、静寂が戻った。しかし、この平和な表面の下には、誰も知らない秘密が渦巻いていた。


 来月のファイナルライブまで、あと三十日。


 誰もが知らないうちに、運命の歯車は既に回り始めていた。

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