第20話
「さあ、着きましたよ。ここが、俺の店『やすらぎの隠れ家』です」
俺は、どこか得意げな気分でそう言った。
セレスティーナ様はまだ目の前で起きた不思議な現象から、立ち直れていないようだった。
彼女は店の素朴な木造りの外観と俺の顔を、何度も不思議そうに見比べている。
「ここが、そうなの。思ったよりも、ずいぶんと小さくて質素な店なのね」
彼女は、少しだけがっかりしたような感想を正直に口にした。
まあ彼女が普段暮らしているあの豪華な屋敷と比べれば、無理もないことだろう。
ここは、掘っ立て小屋にしか見えないのかもしれない。
「見かけで、判断しちゃいけやせんぜお嬢様」
ガルドが、にやりと笑いながら店のドアをゆっくりと開けた。
カラン、コロン。
ドアベルの軽やかで心地よい音が、森に響き渡る。
俺たちは、一人ずつ店の中へと足を踏み入れた。
店の中は、いつものように温かい光とコーヒーの香りで満たされていた。
カウンターの中では、エリナさんとルナリアが楽しそうに談笑している。
ゴブきちは、テーブルの上を小さな布巾で一生懸命に拭いていた。
床では、ぷるんが自分のペースでのんびりと転がっている。
いつもの、平和で穏やかな光景だ。
だがその平和は、俺たちの登場によってあっけなく破られることになった。
店の入り口に突然現れた豪華な服装の一行を見て、店の中にいた全員がぴたりと動きを止める。
エリナさんは、驚いて目を丸くしていた。
ルナリアは貴族であるセレスティーナ様のそのすごい威圧感に、完全に怯えてしまっている。
彼女はびくっと体を震わせると、カウンターの陰にさっと隠れてしまった。
ゴブきちも、初めて見る人間に驚いて固まってしまっている。
「あら、ずいぶんと賑やかなのね」
セレスティーナ様は、そんな店の中の様子を興味深そうにきょろきょろと見回した。
彼女は床を転がるぷるんを見つけると、その青い瞳をきらきらと輝かせる。
「まあ、なんて可愛らしい使い魔なの。ぷるぷるしていて、とても美味しそうね」
とんでもないことを、このお嬢様は言い出した。
ぷるんは彼女のその言葉に危険を感じたのか、すごい速さで俺の足元まで転がってきて隠れた。
次に彼女の視線は、カウンターの陰から恐る恐るこちらを覗いているゴブきちに向けられる。
「緑色の、小さな子もいるわ。あれも、あなたの使い魔かしら」
「いえ、彼はゴブきちと言ってこの店の大事なウェイターです」
俺が、そう説明する。
セレスティーナ様は、ふーんと感心したようにうなずいた。
彼女は、次にカウンターの中でまだ固まっているエリナさんに目を向ける。
「あなたは、もしかしてガルドが言っていた銀閃のエリナ様かしら」
「は、はい。いかにも、私がエリナですが」
エリナさんは、少しだけ緊張した様子でそう答えた。
Aランク冒険者である彼女でさえ、この国の宰相の娘であるセレスティーナ様の前では自然とそうなってしまうのだろう。
「ふーん、噂通りの美人なのね。まあ、私には及ばないけれど」
彼女は、相変わらずの上から目線だった。
そして最後に彼女の視線は、カウンターの陰に隠れているルナリアを捉えた。
「そこに隠れているのは、エルフのメイドかしら。なかなか、悪くない趣味をしているのねケンジ」
彼女の、その言葉にルナリアの肩がびくりと震えた。
俺は、少しだけむっとした気持ちになる。
「彼女は、メイドではありません。ルナリアさんと言って、俺の大切な仲間です」
俺が、きっぱりと言うとセレスティーナ様は少しだけ驚いたような顔をした。
「あら、そうなの。ごめんなさいね」
彼女は、意外にも素直にそう謝った。
もしかしたら、彼女は思ったよりも悪い人間ではないのかもしれない。
ただ、少しだけ世間知らずでわがままなだけなのだろう。
「さあ、いつまで突っ立っているの。早く、私を席に案内なさいな」
すぐに、いつもの調子が戻ったようだが。
俺は、やれやれとため息をつきながら彼女を一番眺めの良い窓際の席へと案内した。
ガルドと護衛のオーギュストも、その近くの席にどっかりと腰を下ろす。
「さてと、ご注文は何になさいますか」
俺が、メニューを差し出しながら尋ねた。
セレスティーナ様は、そのメニューには目もくれずに尊大な態度で言う。
「決まっているじゃないの、ガルドが自慢していた奇跡のコーヒーとやらと魔法のケーキとやらを両方すぐに持ってきなさい」
「かしこまりました」
俺は、そのあまりに偉そうな態度に少しだけあきれながらも静かにうなずいた。
俺は、厨房へと向かう。
ルナリアが、心配そうな顔で俺の後ろをちょこちょことついてきた。
「あの、ケンジさん。あの方は、一体どなたなんですか」
「この国の、宰相閣下のお嬢様だよ。名前は、セレスティーナ様だ」
俺が、小声でそう教える。
彼女は、それを聞いてさらに顔を青くさせていた。
無理もない、ことだろう。
俺は、そんな彼女の頭を優しく撫でてやった。
「大丈夫だ、気にすることはない。いつも通りにしていればいいさ」
俺の言葉に、彼女は少しだけ安心したようにこくりとうなずいた。
俺は、気を取り直して調理の準備を始める。
まずは、最高のコーヒー豆を心を込めて丁寧に挽いていく。
ゴリゴリという心地よい音と、豊かな香りが厨房に満ちていった。
次に、ショーケースから作り置きしておいた自慢のショートケーキを取り出す。
もちろんこのケーキに使われているイチゴは、ルナリアが愛情を込めて育てた特別なものだ。
以前のものよりも、さらに甘くてみずみずしい。
俺は、淹れたてのコーヒーとショートケーキを美しいお皿に乗せた。
そして、それをセレスティーナ様のテーブルへと慎重に運んでいく。
「お待たせいたしました」
俺が、テーブルの上にそっと置く。
セレスティーナ様は目の前に置かれたコーヒーとケーキを、最初は少しだけ疑うような目で見ていた。
「これが、そうなの。見た目は、別に普通のコーヒーとケーキじゃないの」
彼女は、そう言いながらも銀のフォークを手に取った。
そしてショートケーキを小さく切り分けると、それを上品に口の中へと運ぶ。
その、瞬間だった。
セレスティーナ様の、動きがぴたりと完全に止まった。
その美しい青い瞳が、信じられないというように大きく、大きく見開かれている。
そして彼女の体からエリナさんやガルドが体験した時と同じように、淡く優しい光がふわりとあふれ出した。
「な……な……」
彼女の、桜色の唇がわなわなと震えている。
「な、なんなのよこれはあああああっ」
次の瞬間、店内に彼女の甲高い絶叫が響き渡った。
「おいひいいいいいっ、なんなのこのケーキは。今まで食べたどんなお菓子よりも、圧倒的に美味ひいいいっ」
彼女は、完全に我を忘れていた。
さっきまでの、あの気取ったお嬢様の態度は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
彼女は、夢中になってケーキを頬張り始めた。
その食べ方は、お世辞にも上品とは言えない。
口の周りに真っ白なクリームをたくさんつけながら、まるで飢えた獣のようにケーキをかき込んでいた。
あっという間に、一つ目のケーキを平らげてしまう。
そして、今度はコーヒーカップを手に取った。
ふーふーと、猫のように息を吹きかけて冷ます。
そして、こくりと一口それを飲んだ。
今度は、どんな反応を見せてくれるだろうか。
俺が、固唾をのんで見守っていると。
彼女は、しばらくの間目を閉じてその味をじっくりと味わっていた。
そして、ゆっくりとその目を開ける。
その美しい瞳から、はらはらと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「……温かい……。なんて、優しくて温かい味なの……」
彼女は、静かにそうつぶやいた。
さっきの、ケーキを食べた時の大騒ぎがまるで嘘のようだった。
彼女はまるで大切な宝物に触れるかのように、カップを両手で包み込む。
そして一口また一口と、ゆっくりとコーヒーを味わい始めた。
その横顔は、ひどく儚げで美しく見えた。
もしかしたら彼女は今まで心の底から安らげる場所というものを、知らなかったのかもしれない。
宰相の娘として常に周りから期待され、窮屈な思いをしてきたのかもしれない。
このコーヒーの温かさが、彼女の凍てついた心を少しだけ溶かしてくれたのだろうか。
俺は、そんなことを思った。
やがてコーヒーを全て飲み干した彼女は、ふぅと満足げな息をついた。
そして、顔を上げて俺の方をまっすぐに見る。
その顔には、一点の曇りもない最高の笑顔が浮かんでいた。
「ケンジ」
彼女が、俺の名前を呼ぶ。
「決めたわ。私、この店の常連になる」
「は、はあ。それは、どうもありがとうございます」
俺が当たり障りのない返事をすると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ、それだけじゃだめだわ。いっそのこと、この店ごと私が買い取ってあげる。そして、ここを私の専用の別荘にするのよ」
とんでもない、爆弾発言がまたしても飛び出した。
このお嬢様の、思考回路は本当にどうなっているのだろうか。
俺とガルドは顔を見合わせて、大きな大きなため息をつくしかなかった。
これから先が、思いやられる。
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