第4話
「いらっしゃいませ、エリナさん」
俺が笑顔で迎えると彼女は少し驚いたように目を開いた。
「わたくしの名前を……覚えていてくださったのですか」
「もちろんです。記念すべき最初のお客様ですから」
その言葉に彼女は嬉しそうに頬を緩ませる。
今日の彼女は満身創痍だった姿が嘘のように綺麗で整った格好をしていた。
鎧はピカピカに磨き上げられ髪も艶やかに結い上げられている。
どうやら一度街に戻っていたらしい。
「どうぞ、お好きな席へ」
俺が促すと彼女は前回と同じ席に静かに腰を下ろした。
ゴブきちがおずおずと水を運んでいく。
その動きは以前より少しだけスムーズだった。
エリナさんはその様子に微笑みながら「ありがとう」と声をかけた。
ゴブきちはまたぷいっとそっぽを向いてカウンターに戻ってきてしまう。
相変わらず照れ屋なやつだ。
「ご注文はお決まりですか?」
俺が尋ねると彼女は迷うことなく答えた。
「コーヒーとショートケーキをお願いします」
「かしこまりました」
やはりそれを頼むと思った。
俺は手際よく準備を始め淹れたてのコーヒーと切り分けたケーキを彼女の元へ運んだ。
「どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
彼女はまずコーヒーの香りを楽しみそしてゆっくりと一口含んだ。
その瞬間、ふわりと体が光に包まれる。
「はぁ……。やはりここのコーヒーは別格ですわね……。街で溜まった疲れが全て吹き飛んでいきます」
心底、幸せそうな表情だ。
続いてケーキを一口。
「美味しい……。この優しい甘さがたまりません」
彼女は本当に美味しそうにケーキを頬張る。
その姿を見ているだけでなんだか俺まで嬉しくなってくる。
しばらくの間、彼女は黙々とコーヒーとケーキを味わっていた。
俺もその時間を邪魔しないように黙々とカウンターの中の片付けをする。
ぷるんは床の隅々まで丁寧に掃除して回っていた。
穏やかな時間が店の中を流れていく。
やがて全てを食べ終えた彼女がぽつりと呟いた。
「……実はこのお店のことをギルドで報告したのです」
「ギルドですか」
冒険者ギルド。
冒険者たちを取りまとめる公的な組織だ。
俺も転生特典の知識でその存在は知っている。
「はい。森の奥で不思議な治癒効果を持つ飲食物を出す店を見つけたと。ですが……」
彼女はそこで言葉を区切った。
そして申し訳なさそうな顔でこちらを見る。
「……誰も信じてくれませんでした」
「……でしょうね」
俺は苦笑した。
まあ当然だろう。
そんなおとぎ話みたいな報告、信じろという方が無理だ。
むしろ頭がおかしくなったんじゃないかと心配されるのが関の山だろう。
「『疲れて幻覚でも見たんだろう』と笑われてしまいました……。わたくしがあれほど真剣に話しているというのに」
エリナさんは少し悔しそうに唇を噛んだ。
彼女ほどの腕利きの冒険者がそんな嘘や冗談を言うはずがないのに。
ギルドの連中は見る目がないな。
「それで……わたくし、少し意地になってしまって」
「意地ですか?」
「はい。『それなら証拠を見せてやる』と啖呵を切ってしまったのです。それで腕利きの冒険者仲間を何人か連れてもう一度ここへ向かおうとしたのですが……」
彼女はバツが悪そうに俯いた。
「……この店の場所が分からなくなってしまったのです」
「え?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「あれほど確かにこの場所にあったはずなのに……。森の中を三日三晩さまよい続けました。ですがどうしてもこの『やすらぎの隠れ家』にたどり着くことができなくて……」
なるほど。
それで前回から少し間が空いたのか。
これはおそらくダンジョンの機能の一つだろう。
(どうしてエリナは仲間を連れてこれなかったんだ?)
俺が内心で疑問に思うと、頭の中にコアの声が響いた。
『はい、マスター。このダンジョンは基本的にマスターが心を許した人物か、お客様として認めた人物しか認識できません』
やはり一種の結界のようなものか。防犯対策としては非常に優秀だ。
『しかし、例外が二つあります。一つは、魂の底から強い癒しを求めている人物。もう一つは、マスターやこのダンジョンの未来にとって、大きな助けとなる特別な才能を持った人物です。そういった人物を、ダンジョンが自ら引き寄せることがあるのです』
なるほどな。ただ拒絶するだけじゃないのか。
『残念ながら、エリナ様の仲間の方々は、その条件に当てはまらなかったようです』
コアの説明に俺は静かに納得した。
「そうだったんですか。それは大変でしたね」
俺はそんな事情はおくびにも出さず彼女を労った。
「いえ……。それで仲間たちからも『やはりお前は疲れているんだ』と完全に呆れられてしまいまして……。結局一人で街に戻りました」
彼女はがっくりと肩を落とした。
よほど悔しかったのだろう。
「ですがどうしても諦めきれなくて。今日もう一度だけ自分の感覚を信じて一人でこの森に入ってみたのです。そうしたら……不思議とすんなりここにたどり着くことができました」
彼女は不思議そうに店の周りを見回している。
「まるでこのお店がわたくしを呼んでくれたかのようでしたわ」
その通りです、とは言えないが。
「それは何よりでした」
俺はただ微笑んでおいた。
「それで……ケンジ様にお願いがあるのです」
エリナさんは居住まいを正すと真剣な目で俺を見た。
「このお店のこと、あまり他の人には言いふらさないでいただけないでしょうか」
「……え?」
それは意外な言葉だった。
もっとこの店の評判を広めてくれるものとばかり思っていた。
「もちろんわたくしがギルドの仲間たちに笑われたという個人的な感情もあります。ですがそれ以上に……この場所はこのまま落ち着ける隠れ家であってほしいと願ってしまうのです」
彼女は少し寂しそうな目でそう言った。
「わたくしのような冒険者は常に危険と隣り合わせです。心休まる時などほとんどありません。ですがここにいると……本当に心の底から安らげるのです。ここはわたくしにとって唯一無二の大切な場所になりました」
なるほど。
店の名前通り『やすらぎの隠れ家』として気に入ってくれたわけか。
「もしこの店の奇跡のような効果が世に知れ渡ればきっとたくさんの人が押し寄せてくるでしょう。それこそ国の偉い人やお金持ちの商人たちがこの力を独占しようとするかもしれません。そうなってしまっては……もうわたくしがここにこうして落ち着いてコーヒーを飲むことはできなくなってしまいます」
それは俺も望むところではなかった。
俺がやりたいのはあくまでも町の片隅でひっそりと営業する個人の喫茶店だ。
国やギルドを巻き込むような大それたことをするつもりはない。
「分かりました。俺もこの店が騒がしくなるのは本意ではありませんから」
俺が頷くとエリナさんはぱあっと顔を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ええ。だからエリナさんもあまり無理に宣伝しなくても大丈夫ですよ。こうしてまた来てくれるだけで俺は嬉しいですから」
「ケンジ様……! ありがとうございます!」
彼女は心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
まあ客が来なければ俺のダンジョンが干上がってしまうという問題はあるが……。
それはまた別の話だ。
エリナさんという常連客第一号ができただけでも大きな進歩だろう。
その時だった。
店の外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「がっはっは! こんな森の奥に店だとぉ? 胡散臭いことこの上ねえぜ!」
野太いダミ声だ。
続いてカランコロンとやけに乱暴にドアベルが鳴らされる。
そしてぎいと音を立てて扉が開かれた。
そこに立っていたのはいかにもという感じのドワーフの男だった。
身長は低いがずんぐりむっくりとしていて全身が筋肉の塊のようだった。
豊かな赤茶色の髭を編み込み背中には巨大なハンマーを背負っている。
ドワーフは店の中を品定めするような疑り深い目で見回した。
そしてカウンターに立つ俺と客席にいるエリナさんの姿を認めるとにやりと口の端を吊り上げる。
「ほう、先客がいたか。しかもなかなかの別嬪さんじゃねえか」
下品な視線をエリナさんに向ける。
エリナさんは不快そうにすっと顔をそむけた。
俺は少し眉をひそめながらも店主として声をかける。
「……いらっしゃいませ」
ドワーフは俺を一瞥するとふんと鼻を鳴らした。
「ちっ、なんだい、ひょろっとした兄ちゃんが店主かよ。まあいい。とりあえずそこで一番高い酒を出せ! 長旅で喉がカラカラなんだ!」
そう言うとドワーフはどすんと大きな音を立ててカウンターの席に腰を下ろした。
背中のハンマーが床に当たってごつりと鈍い音を立てる。
困った客が来たものだ。
俺はやれやれと溜息をつきながら答えた。
「申し訳ありませんがうちは喫茶店でして。お酒は置いていないんですよ」
「あぁ? 酒がねえだと? ふざけてんのかてめえ!」
ドワーフがだんと力強くカウンターを叩いた。
頑丈な一枚板のカウンターがみしりと嫌な音を立てる。
ゴブきちがびくっとして俺の後ろに隠れた。
やれやれ。
どうしたものか。
「コーヒーなら自慢のものを出せますが」
俺が提案するとドワーフはますます機嫌を損ねたようだった。
「コーヒーだぁ? そんな気取った飲み物飲めるか! 水でいい、水!」
「かしこまりました」
俺はコップに水を注いでその乱暴な客の前に置いた。
ドワーフはそれを一気に呷るとぷはーと大きな息を吐く。
そして改めて店の中をじろじろと見回し始めた。
「それにしても変な店だな。こんな森のど真ん中で商売になるのかねえ」
独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「ちっ、ようやく見つけたぜ。森の中で妙に温かい気配がすると思ったら、こんな所に店があったとはな。これも何かの縁か。おい、兄ちゃん」
こいつが例外のケースか、と俺は内心で納得した。
(なあコア、あのドワーフは、特別な才能の持ち主なのか?)
『はい、マスター。彼は”雷拳”のガルド。ドワーフ族最高の鍛冶師です。きっとマスターの大きな力になります』
最高の鍛冶師。なるほど、それは確かにダンジョンにとって有益な人材だ。
「……なんでしょうか」
「お前さん、ここで何ぞ変わったもんでも売ってねえのか? 例えばそうだな……飲めばたちまち力が湧いてくるような魔法の薬とかよぉ!」
ドワーフはにやりと笑いながらそんなことを言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます