後編 ぬいぐるみは微笑む






 ……そして、ここで漸く話は冒頭に戻るのである。






「たとえどれほど私に尽くそうとも、公然と君を愛しむとかは、出来ない」




 向かい合って食事をしている最中に、とはいえ食べているのは彼だけだが、急に何を言い出したのだと、思わず彼を二度見した。

 彼はわたしの視線を物ともせずに、安定のドドメ色をした激しく野生を感じる半流動食のようなスープを、麗しさ満載な仕草で口に運んでいる。


 公然と愛しむとは何だろう。

 大っぴらに愛するということか、いや、誰に憚ることなく大切にする、ということだろう。


 だったら、うん。ないな。無い。


 老若男女ぬいポーチで持ち運びも安心なマスコット人形溢れる前世ならいざ知らず、こちらの世で、良い歳をした男性が肌身離さず常時ぬいぐるみを持ち歩くだろうか。彼の容姿が整っているとはいえ、それが免罪符として機能する筈もなく、推しぬいなんてのも有り得ない世界である。可愛いも、カッコいいも正義にはならないのだ。誰かにでも見られたら、狂人と言われても仕方のない行為だ。

 とはいえ誰も来ないけど。

 たまに刺客が来るくらいだけども。

 そもそも、わたしは彼の推しでもないし。


 如何ともし難く、なんとも世知辛い。


 であれば「……まあ、そうでしょうね?」と、自身の我儘ボディを見下ろしながら当然と答えるほかはないのだが、その返答に不本意そうな顔をするのはやめて頂きたい。


 なんだその顔初めて見た。可愛いかよ。



「…………違うんだ。私と一緒に居たら、いつか君は、誹りを受けたり傷つけられてしまうことになるだろう」


 いやいや、ぬいぐるみだよ?


 それって、こんなぬいぐるみでも愛したいんだと言いたいみたいに聞こえて、勝手に脳内変換されちゃってるからやめようよ。

 加えて、そんなに哀しげな優しい目でこっちを見るなんて初めてじゃないかな犯罪的すぎる。もうすでに愛されているのではと勘違いしてしまいそうになるではないか。


 嗚呼、ぬいぐるみの妄想が過ぎる!

 

「誹りを受けるもなにも、ここには他の誰もいないし、物理的に傷つけられてもわたしの場合、針と糸があればどうにかなるのでは」


「………………いや、まあ……おそらくそうではあるだろうが、そうではない。私が言いたいのはつまり、君は自由に動けるのだから、こんなところに留まっている必要はないということだ。ならば君が尽くした分、いやそれ以上に君を愛しんでくれる誰かの元へ、私のことなど気にすることなくいつでもここから出て……行ってくれて、良い……のだと」


「はあぁぁぁああー?!?!!!」


 思わず野太い声が出た。

 なんだそれ。

 わたしを自由にするためってこと?

 どこかで誰かが、わたしを聢とぬいぐるみとして愛してくれるかもしれないから、出て行けと?

 ふうん?

 これまで見せたことのないわたしの剣幕に、びっくぅと身体を揺らす彼が笑えた。


 また、貴方はひとりに戻るというのか。

 この離宮で。

 わたしが貴方をひとりに戻すと思うのか。

 この監獄に。

 わたしは、こんなにも貴方と一緒に居たいのに。


 同情が、恋や愛に変わって何が悪い。


 綿が詰まっていっぱいの胸が痛むのは貴方が好きだからなんだと自覚した瞬間に、自分がぬいぐるみであることを、どれほど盛大に呪ったことか。涙も鼻水も出なかったけれど、号泣するほどに呪った。

 転生したらぬいぐるみなんて、ホントなんの罰だよ。


 

 きっと貴方は、夢にも思わないだろう。

 わたしが、綿と布で作られた水色の竜のぬいぐるみだから。

 これまで嫌悪と憎悪しか向けられてこなかった貴方はおそらく、わたしが貴方に、どんな感情を抱いているのかなんて考えたこともないのだろう。

 なぜなら、喋って動くだけの実もなく害もない、ぬいぐるみだから。


 温かくて美味しいご飯を作ってあげることも、朝晩に髪を梳かしてあげることも、本を手に取り渡してあげることも、貴方が熱で苦しんでいるときに濡らしたタオルを絞って身体を拭いてあげることも出来ない。


 どんなに、貴方の役に立ちたいと思ったことか。

 どうやったら、貴方に愛を伝えられるだろうと考えたことか。

 

 本当は、ね。

 とうに答えは出ていたんだよ。


「だったらいっそのこと、貴方も外に出ちゃいます? 得意な魔法を、ばばーんと使って。ほら、記憶を消す魔法みたいのないんですか? みんなが王子さまだった貴方を忘れたら、ここから自由になれますよ」



 ずっと、ずうっとさみしかったよね。

 でも、こんなところにいるひつようは、ないんだよ。もうひとりぼっちでいなくて、いいんだよ。



「忘却魔法か……考えもしなかったな」



 だいじょうぶ。あなたはもう、なにもできないちいさなこどもじゃない。

 でていこう、とおもったらいつでもでていけたんだよ。でていけるんだよ。



「範囲は宮殿が含まれるなら、どこまでだって良いんです。出来ますよ。国全体にだって。宝石や貴石が術の増幅や媒介になるなら、王族の威厳だかなんだか知らないけど外側ばっかり金ピカでキラッキラの悪趣味なこの離宮を、使わない手はないでしょう? ここを陣の中心にして。術を展開させたらいいんです。そうしたら貴方は、ほらもう、どこにだって行ける。誰にだってなれるし、どこでだって生きていける」


 貴方が待っていたのは、きっと、ちょっとの勇気と背中を押してくれる人だったんだよ。

 わたしは微笑む。


「ほらほら、陣の研究から始めますよ。天才だと言われているようなので、それをここで発揮してやるんです」


「そうだな……忘却の陣に加え認識阻害の陣も組み込めば………………あるいは……」


 飲みかけのヘドロスープ諸共テーブルの上の食器類が一瞬で消える。間を置かず、何冊もの本が現れた。

 彼は、すぐさま一冊の本のページを勢いよく捲った。目を通しながら、ぶつぶつと呟いていた彼が何かに気付いたように、はっと目を見開いたと思うとまた違う本へと手を伸ばす。何を探しているのか何を見つけたのか、あるいは何かが見つからないのか、次々と複数の本のページを同時に捲っては、眉間に皺を寄せる。


「………………しかし、これでは君も私を……いや、なんでもない」


 そうだね。


 貴方が自由になると同時に、わたしは、貴方を忘れてしまうだろう。

 貴方に向ける淡い恋心も、深い愛情も、すべて忘れてしまうだろう。


 けれども、その言葉を聞けただけで、わたしはもう充分だと思った。

 そしてごめんなさい。

 貴方が、わたしを忘れられないことを申し訳なく思いながらも、ズルいわたしは、ちょっぴりホッとしていたりもする。


 忘れてしまうのだ貴方を想って痛む胸も。

 覚えてはいないのだ貴方との時間も。


 ただ一つだけ、残念に思うことがある。

 ぬいぐるみでしかないわたしに出来る唯一のこと。まだ一度も泣いたことのない貴方の涙を、いつか拭ってあげられたらと思っていたのだけれど、どうやらそれも、もう無理みたい。


「大丈夫。ここを出て自由になった貴方は、幸せになります。だって、わたしが呪いを掛けたんですから」


 えっへん、と綿の詰まった胸を張る。


 そしたら奇跡が起こった。

 これまで死滅しているとばかり思っていた彼の表情筋が動いたのだ。


 ああ貴方が好きだよ、と伝えたくなる。

 でも言ったら駄目なことは分かっていた。

 寂しがりで優しい彼の足枷には、なりたくなかったから。

 彼がまだ見ぬ外の世界は、沢山の人がいて、こことは違って、色んな感情で溢れているのだから。

 きっとそこには、貴方に、愛を教えてくれる人もいる筈だから。


 彼は長い息を吐き、一度だけ目を伏せた。


 宙に陣が、描かれてゆく。

 一切の、迷いもなく。

 寸分の、狂いもなく。

 月夜に降る細氷のように綺羅と瞬いて見えるのは、魔術残滓なのだそうだ。



 わたしの役目が終わった瞬間だった。



 彼は出て行くのだ。

 ようやく、出て行けるのだ。

 この、監獄から。

 








さようなら。

ひとりぼっちだった、王子さま。


どうぞ幸せの呪いを、貴方に。










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