転生したらぬいぐるみとかアリですか

石濱ウミ

前編 ぬいぐるみは竜であると知る



「たとえどれほど私に尽くそうとも、公然と君を愛しむとかは、出来ない」


「…………まあ、そうでしょうね?」










 転生したからには、オギャア、と産声を上げてみたかった。



 これまでの常識に当てはめ、有り得ない髪色をした両親に現実を否定してみたり、目の前の如何にもファンタジー然とした世界に慄いたりしながら、生まれ変わりというモノは徐々にそれを受け入れたりするものではないだろうか。


 あるいは、ある日突然高熱で生死を彷徨ってみたり、なんの拍子か階段から落ちて寝込み、前世を思い出すのでもよい。

 そこから鏡と向かい合って、己れの悪役令嬢っぷりやヒロインの可憐さや安定のモブ感に、驚いたり安堵するまでが一連の流れというものだろう。


 だからという訳ではないが、自由にならない身体を持て余し、灰色の埃の塊を見つめている現状に、そっと溜め息を吐く。


 視界の隅に映る頭上に吊り下げられた装飾の素晴らしい数多の布類から考えるに、衣装部屋と思わしき部屋の片隅だった。

 更にはおそらく、掃除が行き届いていないところを見れば、今は使用されていない衣服を仕舞ってある部屋なのだろうか。


 積み上がる箱で窮屈な中、動かせる範囲内で眼球を動かせば、人間の身体とは掛け離れた短い手足が視認出来た。



 むっちりと綿の詰まった水色の布。

 くびれのない胴体。

 所謂これは、アレだ。



 どうやらそれが、今生の『わたし』の身体らしい。


 何とかして、この場の脱出を試みるほかなかった。

 目玉が動かせるのだ、身体が動かない訳がないのだ。如何せん皮膚感覚が鈍いため、動けない理由が四方を箱で囲まれているからだと気づくのに遅くなったのは否めないが。


 小さく、ビリっと布地の破れる音がした。

 身体の向きを、どうにか変えた際に何かに引っ掛けてしまったらしいが、どこだろう。こういうとき皮膚感覚が鈍いのは困る。綿の出てしまうくらい大きなものだったら、中身が減ってしまうではないか。私見ではあるが、ぬいぐるみは断然だるだるより、むっちりのが良い。だとしたら後でしっかり縫い合わせなければならないゾと考える。

 ん? 針と糸で? 

 想像して、ぞくりと身体を震わせた。であれば、皮膚感覚が鈍いことを感謝しなければいけないなと直ちに考えを改める。うむ。痛みを感じ難いとは素晴らしいではないか。


 試行錯誤の末に、ようやっと自由に身体を動かせるようになって、やはりここは衣装部屋であることを確認したあと、さてさてと、壁の一面を占めるほどの大きな鏡に向かう。

 

 果たしてそこには、竜がいた。


 水色の布で作られた、むっちりとした身体に短い手足。飛べそうにもない小さな翼を背に持ち、アーモンド型の瞳は、お月様のような色をした宝石で出来た竜。


「あー、えー……………………可愛い……と見ようによっては言えなくもなくもないかもだからまあ、ヨシと」


 するしかないのだ。

 が、竜である。

 それも、90センチはあろうかという大きめの、ぬいぐるみの竜。

 小さな翼の片方が取れかかっているが、先程のことだろう。

 パタパタと動かせるから、きっと暫くは大丈夫。だが自分では届きそうもないので、近く誰かに縫い付けてもらうほかない。


 むちむちの身体を眺めながら、せめて、人型のぬいぐるみであれば何か違っただろうかと思うも、即座に、違わないなと思考を放棄した。


 所詮ぬいぐるみだもの。


 まずは置かれている状況を把握するためにも、衣装部屋を出てみることにする。

 

 そうやって出てすぐに、人と出会うなんて思ってもみなかったのは、わたしが迂闊に尽きるからである。

 死んだふりならぬ、単なるぬいぐるみの振りをする暇もなかった。

 なんならもう、がっつり動いているのを見られていたし、バッチリ目もあっていた。


「……や、やあ?」


 先手必至とばかりに、片手を上げ声を掛ければ、一瞬動きを止めたその人は、美しく整った顔の表情筋を死滅させたまま、何も見ていなかった聞こえなかったを地でいくつもりらしかった。

 しかしながら、さっと方向転換をして来た道を戻る辺り、動揺は全く隠せていなかったけれども。


 加えてさすがに無理があると思うのは、こちらも、おのれバレたからには逃してなるものか、と彼の人の長い脚に飛びつき、ひしと掴まっていたのであるからして。


 ぬいぐるみは幻影であるとばかりに、無遠慮な足運びで、そのまま運ばれて行かれれば彼の私室らしき場所だった。

 壁の装飾は見事だが、絵や花の一つもない無機質で前衛的なギャラリーのような前室を通り過ぎ、扉を潜ると高い天井まである大きな窓の並ぶ広い書斎兼応接室のような部屋。その部屋の奥にはもう一つ扉が。薄く開いた隙間からは見えるのは、寝室だろうか。

 

「………………なんの呪いだ?」


 その人は脚にぬいぐるみを着けたまま、身体を投げ出すようにして、一人掛けの肘掛け椅子に座り、頭を抱える。


 え、話しかけられてる? わたし呪われてるからぬいぐるみなの?


「誰が何の為に……そのうえ今更、あの時のぬいぐるみを持ち出すなど」


 あ、違うや。

 この人、喋って動くぬいぐるみを見て、自分が呪われてると思ってるのか。


 であるならば、と。


 自らのアイデンティティを生かす仕事が、目の前に落ちて来たその瞬間、わたしは心を決めたのだった。



 「幸せの呪いを掛けに来ました!」



 だったらもう、コレしかないでしょ。

 だって、ぬいぐるみなんだもの。

 この人のことも、自分がぬいぐるみであることも何故も何も全く分かってないけど、もしかしたら、この為に転生したんじゃないのかなって思ったから。


 単なる勘だけど。

 勘違いの、勘かもだけど。


 なので途端に、がしっと掴み上げられて乱暴に揺すられながら「それはどんな呪いだ! 誰の手先だ、吐け」と言われても「え……どんな? 幸福物質の分泌を促す、みたいな? 誰の……か、神様…………?」としか答えようがないのは誰のせいでもないと思う。

 たぶん。

 というわけで、わたしは彼を構い倒すことに決めたのである。



「さあ、一緒に寝ましょう! ぎゅっとしていいですからねって違うよね真顔で首締めるのヤメテ」


「おはようと言われて、何で嫌そうな顔をするんですか」


「相手はぬいぐるみとはいえ、誰かと一緒のご飯は美味しいでしょう? ええ、気のせいです。食べられないからって、そんなのちっとも羨ましくなんてないです。どんな味かなぁって思うくらいですよ……どんな味なんだろうソレ食べ物だよね?」


「見てください、夕日が綺麗ですよ。明日はきっと良い天気でしょうね。興味がなくても聞こえてるんですから頷くくらいはしましょうよ」


「お風呂から出たら髪を乾かしてください。それから、いつまでも色気剥き出しに胸元をはだけたままでは眼福……っじゃない風邪でもひいたら困るでしょ。は? 風邪という病はない…………だと?」


「眠れないんですか? ではひとつ寝かしつけに子守唄でも……え? 歌はもういらない? 夜中じゅう歌ってるから煩くて寝られないんだ勘弁してくれってそれってもしかしなくてもイビキか」


「あれ、ちょっぴり顔赤いですね。おやおや恋にでも堕ちましたかうそですごめんなさいってやっぱり風邪を引いてるんじゃないですか! 違う単なる不調だって鼻水垂らしながらきりっとした顔で何言ってんの。へ? 執務があるって? なになに……舟運の活用に於ける河川の航行を円滑にする為の利水魔術ってなんだコレこんなことまでやらされてんの? ほら、いいからおとなしく寝てくださいというか寝ろ」


 知って驚いたのは、彼が魔法の使える元王子さまで、ここは幼い頃から幽閉されている離宮なんだとか。


「へぇ……使用人が居ないのは、何でも自分で出来ちゃうからなんだ。器用なのも考えものですねぇ」


 食事が食べ物から掛け離れて見えるのは毒の混入を警戒する彼の自作であるから、らしい。

 栄養さえ摂れたら良いのだと、寝台の上で、緑色をしたどろりとするお粥のようなものを食べるのを見守りつつ、思わず考えてしまう。


 死んでくれて構わないが、生きていれば使いようもある。


 だから時折、思い出したように刺客が送られて来る、と呟くこの人は、それによって確かめようとしているのだ。自身の存在を。自分に向けられる感情を。たとえそれが、嫌悪や憎悪であるにしても、家族が彼に無関心ではないことを。

 或いはもしかしたらと、どこかで期待しているのかもしれない。有るか無きかの無いに等しい愛情を。


 幼い頃には居た少ない使用人も、一人減り二人減り、やがては誰も居なくなったのだそうだ。


 広いひろい離宮で、この人はいつから、ひとりぼっちなんだろう。いつまで、ひとりぼっちでいないといけないんだろう。


 いっそのこと、みんなが貴方を忘れて、ここから自由になれたら良いのに。そうしたら、誰でもなくなった貴方は、幸せを探しにどこまでだって行けるのに。


 それなのに、向けられる感情がそれしかないのだとしても、望まれていなくて疎まれていることを、憎まれていることを、生きるよすがにしているなんて、それっていったい何の呪いなんだ。




「さあさあ、食べ終わったら寝ましょうね。ほら、ぎゅっとしてあげますよってぐぇ中身が出そうだけど遠慮とは何か忘れたようなので合格を差しあげます」



 唐突に始まった、わたしと彼の普通とは掛け離れた日常は、穏やかに過ぎた。


 無表情だったこの人の瞳が、稀に、極々稀に、ほんのりと緩む。

 相変わらず表情筋は死滅したままだし呆れて蔑んだ眼差しを向けられる方が、まだ多かったけど。


 何かを言えば、ああ、と低い声で応えてくれることが増えた。

 繰り返すうちに、その『ああ』にも様々な種類があると聞き分けが出来ることになったことで危機管理能力があがった。逃げるが勝ちのときもある。


 そうしているうちに、ぬいぐるみの癖に寒がりなわたしを知って無言で抱き寄せてくれることが増え、わたしはご飯を食べないと分かっているのに食事の時には必ず向かいに席を用意し、本を読むときは一人掛けの椅子でなくて長椅子に座るようになって、夜は眠くなるまで話をする貴方が。

 こんなに分かり易く寂しそうな貴方を。


 好きにならないなんて無理な話だった。


 ぬいぐるみ、だというのに。


 ぬいぐるみ、でしかないのに。



 

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