日替わり異能、24時間後には人間以下

森鷺 皐月

第一章 日替わり異能編

第1話 異能ガチャと一目惚れ

 ——洛陽市。人口およそ八十万。


 駅前には再開発された複合ビルと商業施設が立ち並び、通りには買い物袋を提げた主婦や学生、スーツ姿のサラリーマンが行き交う。


 その中に、炎を灯す手品のようなパフォーマンスを披露する青年や、宙に浮く荷物を操っている配達員の姿もある。


 そんな光景を誰も振り返らないのが、この街の日常だった。


 異能者は珍しくない。

 法律に基づく登録制度があり、登録証となるIDカードは就職やイベント参加にも必須だ。


 市民はこう噂する。「異能で悪さをすれば、必ず因課が来る」と。


***


 朝八時ちょうど。


 市役所の一角にある【国家異能者登録・管理課】、通称"因課"のオフィスには、コピー機の低い唸りとキーボードを叩く音、そしてコーヒーの香りが満ちていた。


「どもー、おはようございまーす」


 黒髪短髪の男、九重言真ここのえことまが軽く手を上げて入ってくる。


「九重さん、また始末書の件で部長から呼ばれてますよ」


 デスクで書類を整理していた髪の長い茶髪の女性、滝口梢たきぐちこずえが振り返る。


「あー、昨日の『燃えろ』の件か。ちょっと派手になっちゃったからな」


「ちょっとって……街路樹三本焼いたじゃないですか」


「でも犯人は捕まったし」


「それとこれとは別問題です」


 言真の異能、言霊律令ことだまりつりょうは、発した命令を現実化する力。

 強力だが、その分、後始末も多い。


「そういえば今日も澪くんの報告書たんまりですよ」


「あー、また異能が変わったからか。登録し直しだなぁ……」


 言真は机の下から缶ジュースを取り出し、プシュッと開ける。


「はい、梢さんの分」


「ありがとうございます」


 梢が缶を受け取り一口飲むと、オフィスの電話が甲高いベル音を響かせた。


「はい、異能管理課です」


『あ、滝口さん。水瀬結衣みなせゆいです。また財布を…握り潰してしまいました』

「また? 今月何回目ですか、結衣ちゃん」


『三回目です。すみません』

「まったく……気をつけてください」


 電話を切った梢は小さく笑う。

 異能者の管理とは、こういう日常的なトラブルの積み重ねだ。


***


 一方、その頃。


「よいしょっと……っと、今日のは軽いな」


 引っ越し現場で分厚い木製タンスを軽々と持ち上げる青年がいた。

 黒と白のツートンヘア、前髪にはオレンジのメッシュ。

 彼の名は綾瀬澪あやせみお


「澪くん、やっぱすげーな! 俺ら三人がかりだったぞ」


「流石は異能者だ!」


 同僚たちの声に、澪は照れ笑いを返す。


「昨日は草むしりで植物操作だったけど、今日は力持ちなんだよな。明日になったらまた違う能力。言わば、異能ガチャ的な」


「相変わらず不思議な能力だよな、職輪転化ジョブ・スイッチって」


「便利だろうな。毎日違う能力使えるんだから」


 澪は肩をすくめた。

 便利と言われれば、確かにそうだ。

 だが、その後に訪れる"代償"を思えば、素直に喜べるものではない。


「よし、三階のもの運び終わったら休憩にするか」


 現場監督の声に、澪は「はーい」と返事をした。

 足音が聞こえてきた。


「あ、すみません」


 振り返ると、灰がかったロングヘアの美しい女性が段ボールを抱えていた。

 静かな眼差しと涼やかな雰囲気が印象的だ。


 澪の心臓が、一拍飛び跳ねた。


(なんだ、この人……)


 しかし——


「あっ……」


 彼女が持っていた段ボールがミシミシと不穏な音を立てた。

 次の瞬間、箱が握力で潰れ、本や小物がガラガラと転がっていく。

 古本の独特な匂いと紙の擦れる音があたりに広がる。


「大丈夫ですか?」


 澪は反射的に散らばった荷物を素早く回収した。


「ありがとうございます。助かりました」


 彼女は頭を下げたが、どこか困ったような表情を浮かべている。

 その落ち着いた美しさに、澪の胸が熱くなった。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろう。


(やば……この感情は……)


 思考が真っ白になる。

 気がつくと、口が勝手に動いていた。


「え、好き……」


「……は?」


 女性の目がわずかに細くなる。

 今会ったばかりの相手に告白されれば、当然の反応だ。


「突然、何を言っているんですか」


「あ、ごめん。つい本音が……!」


 澪が慌てふためく間に、女性は距離を置こうと一歩引く。


「待って! 怪しくない!俺、怪しいものじゃありません!」


「怪しい人達は、全員そう言います」


 女性は明らかに警戒していた。

 初手から最悪だ。このままでは、『危険人物』というレッテルが貼られてしまう。

 それだけは何としても避けたい。


「俺、綾瀬澪っていいます。今日、引越しのバイトしてて……」


「もしかしてさっきタンス運んでた……」


「それです! ほら、IDカードも」


 そう言って澪が見せたのは、異能者登録必須のIDカード。


「職輪転化……」


「最新のバイトで得た能力を二十四時間引き継げるんです。二十四時間以内に別のバイトしないと……まあ、ちょっと人間以下になりますけど」


「人間以下……?」


 それ以上は苦笑いで澪は誤魔化す。

 女性もポケットからIDカードを取り出し見せる。


「水瀬結衣です。異能は鋼腕こうわん。平たく言えば怪力です」


 淡々とする結衣に澪は、「ああ」と納得する。


「だから、さっき段ボールが……」


「はい。恥ずかしい話ですが、さっきも財布握り潰しちゃって」


 落ち込んだように溜息を吐く結衣が時計を見る。


「あ、休憩時間終わりですね」


 そう言うと、段ボールを軽々と抱え直し、すたすたと去っていった。


「あ、そうか。同じバイト……」


 彼女が持っていた段ボールは、澪が運んでいた物と同じ種類のものだった。

 偶然の一致が、妙におかしく、そして少し嬉しかった。


***


 翌日、昼


 バイト終了してから二十四時間が経とうとしていた頃、部屋の中で澪は重い頭を支えてソファに沈み込んでいた。


「あ、来る……安全、確保……」


 そう言った瞬間だった。


 澪は夏の熱で溶けたアイスクリームのように、脳の中身までどろどろに溶けていく感覚に襲われた。

 物理的にではなく、意識そのものが崩れ落ちていく。


 これが職輪転化の代償。通称『脳とろ状態』


 思考は完全に停止し、言葉すら出ない。

 全能力が消え、身体能力も知能も著しく低下する。

 もはや人間以下。多分、鶏のほうが賢い。


「開け」


 その言葉と同時に鍵が解錠され、コンビニ袋を下げて入ってきたのは、九重言真。

 ソファでどろどろに溶けた澪を見て「あらら」と苦笑いを浮かべる。


「一歩遅かったか。ご飯食べてから溶ければ良かったのにね」


 言真は冷蔵庫に買ってきたコンビニ弁当とお茶を入れながら、澪の様子を気にかけて振り返る。

 澪の頬をそっと突くも、溶けた様子で焦点の合わない視線が返ってくるだけだ。


「俺の言霊律令でも起きないんだもんねぇ……」


 言真の声に、普段の軽快さの中に少しの心配が混じる。


「毎回これ見てると、さすがに可哀想になってくるよ。でも、解決策は……ま、ないか」


 テレビをつけてバラエティ番組にチャンネルを合わせると、コンビニ袋をガサガサと漁ってスナック菓子を取り出す。


「今日は引越し作業のバイトだったから、とろとろ時間は三十分ってところかな」


 炭酸飲料のペットボトルの蓋をひねりながら、時折、隣で電池切れになっている澪の様子を気にかける。


「脳とろが終わったら、次のバイトまで非能力者の一般人。澪くん、異能に生活サイクル奪われて大変だなあ」


 そう言いながらも、言真は澪の肩に軽く手を置く。

 ソファで溶けたまま動かない澪と、その隣で静かに見守る言真。

 脳とろ特有の静けさと、テレビの笑い声だけが部屋に満ちていた。


 こうして今日も、洛陽市の片隅で……少し特別な一日が終わる。

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