【秘境（ゼロ）】

　天空図書館が水没したかのように薄青色に染まる。

「誰といようがどこにいようがお構いなしってか。しっかしまぁ、やっぱりあの水音は転移の前兆みたいだな」

　――ピチャンッ――

　ココとの対話中、ルカの脳内に反響した水音はかつての転移を想起させた。その予想は的中し、ルカの任意とは関係なく再び秘境（ゼロ）に強制転移をさせられた。

「『首を突っ込むつもりなら相応の覚悟を持たなきゃ、取り返しのつかないことになる』……ね。サキノが一人で戦ってることを知って、俺の覚悟はもう揺るがない。例えサキノとすれ違おうとも」

　ルカは早急に学園の階段を降りて街へと飛び出した。

　まるでルカの位置を特定していたかのように眼前に現れたのは、禍々しく前方にうねり突き出す極太の二角を持つ巨牛。

「この前のバジリスクよりデカいな……四メートルに及ぶ四ツ目の牛……山みたいに険しく尖った背中――秘境に現れるのが空想上の幻獣モチーフだとするなら巨牛クジャタってところか？」

『ンボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「ちょうどいい、天下統一のための第一歩――貴重な戦闘経験最初の礎になってもらうぜ」

　ビリビリと震動する空間で、ルカの決意を撃ち砕こうと真っ先にクジャタが動いた。

　その一蹴りは地を砕き、爆発的な加速力でルカとの距離を縮める。

「っとぉッ！　この巨体を正面から受け止めるのはどう考えても悪手。巨体とは言え建物に衝突すりゃ隙くらい出来るだ――ろ……？」

　横へと飛び退き回避したルカは巨牛への反撃を狙い澄ますも、しかしクジャタは微塵も速度を緩めることなく建物へと突撃して破壊を止めることなく突き進んでいく。

「マジか……街の造りはレゴブロックじゃねぇぞ」

　破壊するためだけに生を授かったかのような破壊獣は、紆曲しながら次々と建造物を薙ぎ倒し、再びルカへと急迫する。

「今の俺の戦闘レベルは生まれたての小鹿レベル――だけどこれだけ攻撃が直線的なら試行にはもってこいの相手だ。まずは『創造』――二刀短剣」

　ルカはその場から駆け出し、両手に漆黒の短剣を具現化した。

　その瞳は紫紺。

「いつの間にか脳に知識を刷り込まれてた違和感はあるが、能力は本物だな。長剣――短機関銃（サブマシンガン）――」

　二刀短剣を消失させ、長剣を創造。続いて長剣を消失させ、短機関銃を創造。

「うっし、想像に通り武器に差異なし。結界、近接武器、銃――『俺の想像に基づく創造』がまず一つ目の能力。複数を同時に創造は出来ない『単一』の縛りはあるが、使いようと知識によっては強力な能力に――っと来たな暴牛！　人智の結晶短機関銃を喰らえッ！」

『オォオオオオオオオオオオオンッ！』

「剛毛に阻まれて全然効いてないっ！？　まあ攻撃は簡単に避けられるんだけど」

　奇襲ではない突撃をひょいと躱したルカは、再び漆黒の長剣を手に創造して追走を始めた。

　ルカの追走に勘付いたクジャタはドタバタと地鳴りを上げながらＵターン。長剣を携えたルカへと再び突貫する。

「実弾一発も創造扱いで魔力が必要――つまり外す可能性のある銃はコスパが最悪……それに対して近接武器は創造した時点で魔力の消費も抑えられるし戦闘の主軸は近接ってところか。はあぁッッッ！」

　クジャタの突進による角を躱し、すれ違いざまに両手に握った黒剣を一閃する。

　黒い軌跡を宙に刻みながら剛毛を切り裂き、肉に刃が食い込んだ。

　が。

「うっ！？　突進の勢いに弾かれてっ――あがっ！？」

　高威力に腕を取られ、ルカは後方に吹き飛ばされる。すぐに起き上がり体勢を整えたルカは、痺れを通り越す嫌な腕の痛覚に唇を噛んだ。

「いってぇ……！　加速しきる前の突進でこの威力……っ！　しかも相打ちどころか、クジャタにはなんも効いてねぇのかよ……！」

　己の一撃に傷痍を被った巨牛は苦鳴も漏らさなければ堪えた様子も見られない。

　ただただ破壊を続けるクジャタにとって、ルカの攻撃は塵芥に過ぎなかった。

「舐めてた訳じゃないが、相手にしてるのは一撃が致命傷の化物だってことか……でも身体能力が向上してる異世界なら創造の最大の利点も充分に活かせる筈――一撃で決めるッ！」

　失敗は死（デッドオアアライブ）。

　創造。ルカの足下から出現した民族柱『トーテムポール』はルカを高位へと運び、最接近したクジャタの直上へと飛び上がった。

『ブモッ！？』

「創造の最大利点は『規模の自由化』だ。つまりこの刃（・）渡（・）り（・）七（・）メ（・）ー（・）ト（・）ル（・）の長剣がお前を切り捨てる――沈めッッ！　【幻胡蝶（ゲンゴチョウ）】！！」

　狙うは斬首。

　重力を味方に付けたルカは縦一閃、特大の黒剣を振り下ろした。

『ンボァア――――――――ッッ！？』

　怪物の断末魔が一瞬にして黒閃によって掻き斬られる。

　

　勢いよく振り下ろした黒剣は地を割り、肉骨を完全に断った手応えを剣身から響かせた。

　盛大な血飛沫が終幕の雨を降らせ、振り下ろした体勢で固まるルカを祝福する。

「はぁっ、はっ……武器の巨大化は魔力を大量に食うのか……そりゃあ規模によって消費魔力は異なるわな……決定力はあるが一撃で仕留めないといけない以上、あんまりホイホイ使えないな」

　無闇矢鱈と巨大な長剣を創造したことに少しの反省をするルカの足元で、骸と化したクジャタは徐々に色を失い粒子となって浮遊していく。

「結局二つ目の力――極彩色の消滅剣（【エーテレイン】）のトリガーはわからなかったな……『創造』の能力とは別物なのか？」

「へー。色々と試しながら一人で幻獣を倒すなんて凄いじゃない、ルカ？」

「っスー……バレた？」

　突如現れたサキノはニコニコと笑みを浮かべて称賛してはいるものの、決して心から褒め称えている声音ではない。

「私が到着するまでに倒しきるなんて、随分気合入ってるね」

「だって学園降りてきたら目の前にいたもん」

「もん……ココもココよ……なんでルカを妖精門（メリッサニ）に通すかなぁ……私一人で十分なのに……」

「……なぁサキノ。なんでサキノはそんなに一人にこだわるんだ？　一人より二人、協力者が多い方が可能性は広がるだろ？」

「……『何かを犠牲にした正解は他者（ひと）の正解とは限らない』。これは大切な人が私にくれた言葉なの。ルカが傷つくこと、ルカの平穏がなくなることは私の正解じゃない。私は何も犠牲にしちゃいけないの」

「そこまで俺の事を想ってくれんのは素直に嬉しいけど、それを言ったら――」

「それにルカが異世界に関わることで私は大切なモノを失う」

「大切なモノ……？」

　ポツ、ポツ、と雨が降り始める。

　一滴の雨がサキノの紫紺瞳にぶつかり、まるで涙のように流れていく。

「それをルカが知る必要は無いよ。理解してくれないのなら私は一人で戦う」

「……理解しても一人で戦う事には変わんねーだろうよ」

「ん、そうだね。次は負けないから」

　雨脚が強くなる薄蒼都市、サキノは倒壊した建物の間隙へと去っていった。

「勝ち負けの問題じゃねぇだろうよ……大切なモノが何かは知らねーが、何を意地張ってんだサキノは……」

　秘境（ゼロ）に取り残されたルカは、モヤモヤとした感情を雨中に溶かすことしかできなかった。

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【モノローグ⇒サキノ・アローゼ】

（どうしてわかってくれないんだろう……）

　下界へと帰還し、水溜まりを踏みつける。

　普段ならば雑音で溢れる通りも、今は耳鳴りのように気持ち悪い音が頭を打っていて何も聞こえない。

「お姉さん服も髪もびちょびちょじゃないっスかぁ！　どっスか！　俺っちが提供するあっつあつなドリンク試飲してみないっスかぁ？　あったまるっスヨォ！」

「そんな気分じゃないし他を当たって。興味もないからもう話しかけないで」

「……っつれいしやした～……！」

　雨に濡れながら進むせいで集まる人目も知らない。憂慮の声がかかるのも、知らない。

　口が悪くなったのも……これは反省。

「あぁもぅ……」

　思わず頭を掻き乱し、不安定な情緒の冷静化を図る。

「どうして、わかってくれないの……？　ルカが言う事を聞いてくれれば全てが丸く収まる筈なのに……」

　ルカは日常を失うこともないし、私の『秘密』も守られる。

　誰一人として損のない提案の筈なのに、伝わらない。

「私は目的のためなら――証明のためなら、一人でも生きていくと心に刻み込んだ筈……だから一人で全てを完璧にこなすことを誓った筈……」

　時間を、生活を、大切なものを、失っても構わないと思っていた……筈だったのに。

「友達とすれ違っても、目的のためなら切り捨てると決めた筈なのに……――どうして、ルカを失うのがこんなにも怖いの……？」

　意志の対立。決定的な亀裂の原因。

　ルカが私のことを想って加担してくれていることもわかっている。

　私の本心は仲間を欲していることもわかっている。

「私は――お母さんが正しかったことを証明しなくちゃならない……！　例えルカを犠牲にしてでも……っ！」

　嫌だ。

　痛い。

　言葉にすると張り裂けそうな痛みが胸を襲う。

「何かを犠牲にしなくちゃいけないの……？　何かを犠牲にしないと私が望むものは得られないの……？　違う違う……！　お母さんの教えはそうじゃない……！」

　足元の水溜まりを見れば、波紋が相殺し合う中で水面に泣いている私が映っている。

　大粒の涙を流し、悲しみと苦しみに拉がれながら。

「『何かを犠牲にした正解は他者の正解とは限らない』……どうすればいいかわからないよ……」

　両手で顔を押さえ、震える声が漏れ出てしまった。

　雨音だけが響く世界。世界にたった一人だけのような孤独感に呑まれていく。