バニラガールの供述
「佑月汐のところへ行くんだ。最悪もう殺されてるかもしれない」
事態は火急と言われ、相棒の言葉だけを頼りに、太陽はコウモリの姿で窓から飛び立った。
向かう先は月生に言われた寺の霊園。
最速の飛翔動物としてハヤブサが有名だが、彼らのトップスピードは重力に任せた垂直降下時。
水平飛行の最速記録保持者はブラジル原産のオヒキコウモリ、その速さは時速160㎞に達する。航空力学的に優れた体型と長く狭い翼の賜物だが、吸血鬼の筋力で羽ばたけばそれを優に超える。
何故佑月汐が、真昼の叔父が狙われていると言えるのか、向かえと言われた場所の根拠も太陽にはうかがい知れないまま。
そうして、墓地上空へと到着した太陽は地上を見下ろし、吸血鬼の視力で汐を見つけることに成功した。スマホで誰かと話している。真昼の声だ。
加賀美ライラの姿はあたりに見えない。立ち並ぶ墓碑や、少し離れた木の陰に潜んでいるわけでもないようだ。彼のすぐ目の前へ舞い降りる瞬間、破裂音と共に何かが飛来した。
狙われる、月生の言葉。汐の頭を抑えて伏せさせる。間一髪、数センチ上を何かが掠めていく。
「撃たれた?」
「な、何ですかっ!?」
『太陽、どうなった、大丈夫か?』
地面に落ちたスマホから月生の声がする。話し相手は真昼じゃなかったか。汐は混乱の渦中だが太陽もわけがわからない。
次の瞬間、二発目が来た。やはり汐を狙ったらしいそれを、今度は寸前で受け止める。筋肉をぎゅっと固めた手のひらに刺さったのは、白い光沢を帯びた牙。
発射元を睨む。木の上に何やら直方体の箱が設置されている。鳥の巣箱と思ってしまいそうだが、正面下部にはさっきの牙が穿ったと思しき風穴が二つ見える。
「木に箱ある!! そっから攻撃してきた」
『……なるほど、多分、そこに加賀美ライラが隠れてる。佑月汐は墓石の陰にでも隠れさせろ。……そいつも絶対に逃がすな』
「う、うん」
逃がすな? 狙われていたじゃないか。彼も共犯者? 仲間割れ?
それに、隠れているというが箱は高さ三十センチほどだ。コウモリになって潜んでいる?
さっきの技は知っている。口腔内の圧力で牙を発射したのだろう。
あれは人間態じゃなきゃできない技のはずだ。
一足飛びに距離を詰める。人間なら登るのも一苦労な高さまで軽々と跳躍。三発目を警戒しながら木箱へ手を伸ばす。
針金を引き千切り、地上に降りて蓋を外すと、驚愕すると同時に何が何やらわからなかった相棒の言葉に合点がいく。
吸血鬼は脳幹を聖銀や日光で失わない限り死なない。
吸血鬼は血を吸い続ける限り死なない。
吸血鬼の吸血は食事というより儀式だ。生物的な消化吸収のメカニズムは存在せず、ただ牙で血を吸う行程を踏めばそれでいい。この儀式を行う限りは生きていられる。
たとえ心臓も肺も失っても。脳幹が欠損せず、牙で血を吸えるなら。
たしかに、加賀美ライラがそこにいた。
コウモリに変身して収まっているのではない。人間態のまま、しかし新生児でも収まりそうのないサイズの箱に、彼女は身を潜めている。
生首として。
彼女の白い顔は、全てを諦めたような表情で太陽を見ていた。
「生きてる……? ねえ…………何か言ってよ」
『喋れないんだろ。肺がないから』
電話越しに、まるでこちらが見えているかのように月生が答える。
『佑月真昼は、首だけになった加賀美ライラを持ち歩いて犯行に及んだ。リュックにでも入れて日光から守りつつ、ターゲットに押し当てて、布地ごと皮膚を貫き血を吸わせたんだろう』
それこそが、加賀美ライラとしての目撃証言がないまま犯行を繰り返せた理由。現場をうろついていたのは常に佑月真昼だったのだ。
「自分で首切ったってこと? 血吸うために?」
『ちがうだろうな。多分全ては、彼女が生首になったことに始まる』
・・・
真昼の通う高校、彼女の所属するクラス。室内には月生と呼び出した球地、そして犯人である真昼の三人だ。
太陽を墓地へ向かわせると、月生は学校へ急いだ。真昼を確保するために。
すでに墓地に向かっているかもしれないが、学校にいるなら吸血鬼の加賀美ライラを連れ込むのは不可能だ。絶対に彼女一人。自分たちだけで確保できる。
教室の窓は大きく開け放たれ、冷たい風が吹き込んでいる。恐らく、この方角に墓地があるのだろう。
直接見ることはできなくとも、そちらを眺め、その瞬間をライラと共有したかったのではないか。
しかし、ライラの犯行は太陽に阻止され、自身もこうして現場を押さえられている。
「加賀美ライラ、首だけなんすか?」
『タマちー!? うん、生首が箱に入ってる。月生、何でわかったの?』
もはや言い逃れようがないと悟っているのか、真昼は何の反論もしてこない。
犯人がこういう態度だと推理を披露する必要もないが、逮捕権を持つ球地をちゃんと説明せず連れてきてしまったから、納得してもらわねばならない。
「首だけになったって、もしかして、お母さんが殺された時っすか?」
「そうだ。詳しい経緯までは知らないけどな。剣なのか矢なのか弾なのか、ハンターたちの銀の武器を浴びせられて、加賀美ライラは首から下を切り離され、その部分は永久に治らなくなった。
朝海さんの首の破裂は、潜り込んだ加賀美が内部で人間態に戻ったからじゃないかって話、あっただろう。
俺は否定したが、あれが正解だったらしい。
ただし人間態の首じゃ呑み込めない。コウモリになっても全身はデカすぎる。
コウモリの首なら、口に隠せる。呑みこめる。
そして、母親を探しに来た娘の前で、声も出せず存在を知らせる手段のない加賀美は、コウモリへの変身を解いて姿を現した。その結果があの傷だ」
球地は目をぱちぱちと瞬かせる。それじゃあと言う。今の話が意味することに気づいたようだ。
隠れるではなく隠す。真昼の前で姿を現す。その後、二人が共犯となってハンターたちを殺して回る。これらを説明できるシンプルな答えは。
「加賀美はもとから朝海さんに匿われてたんだ。血も当然、彼女からもらっていた。あの牙痕は襲われたからじゃない。自分から吸わせたんだよ。朝海さんは連中から隠して守るために、死の間際、加賀美を丸呑みした」
朝海の夫が太っていて、彼の死後に今度は朝海が激太りしたのもこの真相で説明がつく。
彼らは、ライラに血をやるために太っていたのだ。
毎日数百mlの血を抜かれるのは大変な負担だが、体格が大きければ、太れば相応に血の量も増える。血の量が多ければ失血の負担も相対的に低下する。
負担の軽減のために太っていたのだとしたら、加賀美ライラは夫婦ぐるみで匿われていたことになる。夫は妻の負担を減らすために太ったし、妻は成長期の娘の負担を減らすために太った。
しかし、ハンターに嗅ぎつけられ、朝海は殺される。最後の最後で、文字通り我が身を盾にライラを守って。
「朝海さんの死後、二人はハンターたちに復讐を始めた。
銀十字に入ったのは当然ターゲットの動向を把握してチャンスを伺うため。牙痕を敢えて残したのも、ターゲットの油断を誘うためだろう。
奴らは吸血鬼が自分たちを狙ってると考える。その時に『正体不明の吸血鬼』じゃあ近づく全てを警戒されて、武器を向けられるかも知れない。
加賀美ライラという犯人が明確になって十歳の女児の外見が知れ渡れば、そうじゃない相手へのガードは緩くなる。身長は変装でごまかすのも難しいからな」
「三件目も、あのバスの中に?」
「ダウンジャケットの、髪の長い女、多分あれが彼女だ。背負ってたリュックに加賀美の首が入っていた。当然、本来は最後尾に乗ってたハンターを狙って、ダウンとカツラもカメラ対策の変装だろう」
もちろん、バスの車内で殺すつもりなどなく、追跡する中でターゲットにバスに乗られてしまったからにちがいない。
「それで何で全然関係ない人を?」
「開けられそうになったから」
答えたのは、ずっと黙り込んでいた真昼だった。机に置かれた、映像と同じリュックを擦りながら言う。よく見ると補修テープのようなものが張られている。恐らくアレを剥がすと、殺害時に空いた牙痕が隠れているのだろう。
「あの人が、リュック開けようとしたから、ってライラは言ってた。何でそんなことしたのか意味分かんないけど。そういう痴漢?」
「多分、バニラの匂いのせいだ。香水の」
月生の答えに、真昼はわけがわからないという顔をした。
「斎藤は重度の大麻中毒だった。
大麻は青臭いような独特の匂いが特徴だが、匂いの感じ方はけっこう人によってちがうらしい。甘い、バニラに似た匂いって声もある。斎藤はそう感じる側だったんじゃないか」
大麻依存の結果、妄想が激しくなり判断力の低下した斎藤は、すぐ近くの客のリュックから放たれる大麻の匂いに思わず手を伸ばしたのだろう。欲しくてたまらない薬が入っている、と。
恐らくそれは、リュックの中のライラの匂い。ライラもあの香水をつけていたのだ。イギリスで百年以上続く銘柄、ライラが人間時代から慣れ親しんだ香りでもおかしくない。
「加賀美はリュック内にいながら鋭敏な聴覚で斎藤の動きを察知した。ファスナーを開けられれば瞬間に日光で死ぬことになる。声を出せないからパートナーに危機を知らせることもできない。加賀美は身を守るためにリュックに触れる手に牙を突き立て、斎藤を殺した」
真昼の体が揺れたのは恐らく、ライラがリュック内で人間態に戻り、不意に重量が増してバランスを崩したからではないか、と月生は考える。
「その時のキミがどこまで事態を把握してたかわからないが、この直後のイベント会場手前で本来のターゲットが降りて、キミも後を追って降りた。向かう先があまりに人の多い場だから殺すのを断念したんだろうが、他に大勢の客が降りたからこそ斎藤の死の直後に降りたキミにも別段注目されなかったわけだ」
全てのきっかけは、香水のバックボーンとライラの出自が、香水の香りと大麻が結びついたことだった。仮にあのバッグ内にライラがいたとしたら、バッグに収まったまま人間態に戻って吸血を行えるとしたら……そのことと、朝海の首の傷が符合し、真相が頭に浮かんだのだ。
トリックを解けば加賀美ライラの居場所がわかるかも――球地の放言が的中した形だった。
「……すっごいね。合ってるよ、全部」
何もかもどうでもいいという調子で真昼が認める。
静かだった。遠くからホルンの音色や運動部の掛け声が聞こえる。生徒にも教師にも普段通りの放課後にちがいない。生徒の一人が連続殺人を暴かれているなんて知る由もなく。
『そこまでして、復讐したかったの?』
静寂を破ったのは太陽の声だった。
『ちょっと間違ったらリュックを開けられて死んでたかも知れないじゃん。お母さんがライラを守ってくれたのに』
「やめろ。太陽」
電話越しの糾弾を遮る。
「球地。自供してるんだ。逮捕してくれ」
「……そうですね。真昼ちゃん」
「気づいてるんだね、探偵さん」
強引に終わらせようとする月生の焦りを、その動機を、犯人は察したようだった。
取り調べ、裁判と続けばこの秘密は絶対に明かされることになる。あの男を許すわけにはいかない。それでも、今は、この流れで触れるのは酷すぎると。
「気、遣わないでよ。意味ないから、もう」
何故そこまでしてハンターたちを狙うのか。
単純に、そうしなければ生きられないからだ。
彼らを獲物に選んだのは復讐にちがいないが、そもそもライラは、真昼ではない誰かから血を吸わねば生きられなかった。
何故、真昼は母のように自分の血を吸わせなかったのか。頭部のみとなったことで必要量ははるかに減っているのに。
「知ってるよね!!?? おじさんもさあ!! わかるよね!!?? 何でライラに血をあげれないか!!!」
推理が始まってから蚊帳の外だった汐を、これから殺そうとしていた男を呼ぶ。たしかに、一番事態についていけていないだろう彼だが、その点については誰より、答えを知っているにちがいない。
「見つかっちゃうから……全部」
表情を歪ませ、涙声になる。球地も察した風に目を見開き、クソ野郎と小さく毒づく。
予感があったのは、事務所に来た時からだった。叔父と姪、にしては行き過ぎに思えるスキンシップ。真昼の強張った表情。太陽に触れられた時の反応を聞いて、予感は強固になった。
それでも予感の域は出ない。気軽に触れていいことではないと思って、遠回しに探りを入れるような形になってしまったことを今は後悔している。
牙痕があればすぐさま見つかってしまうような行為を、汐にされていた。
犯行が常に昼間なのは、夜は外に出してもらえないから。
ずっと汐の相手をさせられるから。
汐を殺せなかったのはライラの安息の場所を守るため。
吸血鬼は、家主の許しを得た建物にしか入れない。
真昼はあの家の主だ。ただし、未成年の真昼があの家を母から相続し、所有できるのは汐が後見人になっていたから。
だから、真昼はライラのために殺人を繰り返し、そして成人を迎えたこの日、用済みとなった叔父を殺すことにしたのだろう。自分自身が学校にいる、明確にアリバイのある時間帯に、吸血鬼とも無縁に見える方法で叔父を殺害する計画を立てた。
「ちなみにさあ、吸血鬼探偵さん」
何もかもを暴かれ、失った犯人は、へらりと笑いながら続ける。
「何で、アンタんとこわざわざ依頼行ったと思う?」
『えっ……』
「本当は止めて欲しかったから…………じゃ、ないでーっす! 期待した!? 言われたかった!?」
「血を盗むため」
あまりの痛々しさに、月生は割って入る。
「今日の計画が何かの理由で頓挫して、まだ血を吸えない日が続いた時の保険に。
吸血鬼はだいたい住処を隠してる。ハンターに狙われないようにな。
そんな中で、ウチはサイトにも吸血鬼がいると載せてる。
そして、二人だけの事務所の割には建物は広すぎる。
住んでるんじゃないかとあたりをつけた。そうすれば血液パックも保管されてる可能性が高い。それで、盗みの下見として依頼を口実に事務所へ来た。場所も確認できたから怒った体で帰った」
太陽は空き巣みたいな手口だったと言っていた。
みたいな、ではない。空き巣だったのだ。
違和感はあった。
太陽曰く、真昼は窓を割る日を、事務所のサイトを見て決めたような口ぶりだったらしい。
しかし、最初に事務所を訪れた日、彼女は吸血鬼がいるなんて知らなかったかのように、太陽の登場に激昂した。
サイトの調査員紹介ページにははっきりと太陽の記載があるのに。
真昼は、一縷の望みを託したはずの事務所をネットで調べもしなかったのか。
実は演技、最初から知っていたのではないか――そう思ったのは太陽から話を聞いた時だ。
襲撃のために下調べをしたのだろうと片付けてしまっていた。
そこまでする割に本当の殺意があるようには見えない。真昼のチグハグさの正体にもっと速く気づくべきだった。
「血は盗めないし、バレるし……全部裏目だね。あんたらのとこさえ行かなきゃ……。
ライラ、神様はやっぱ、うちらのこと嫌いっぽい。
ヘマしてごめん。無理だった。この世界、汚いまんまだね」
はらはらと涙を流しながら、開きっぱなしの窓に手をかける。
「真昼ちゃんっ!」
「おい」
「地獄で待ってる」
窓から乗り出し、夜空にその身を躍らせた。
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