第二十話『特別損失(エクストラオーディナリー・ロス)』
街が復興の槌音で活気に満ちる中、商業ギルドの建物だけが、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。かつては陳情や商談に訪れる人々で賑わった豪華な応接室も、今は主であるヴァレリウスが一人、ぽつんと座っているだけだった。
扉がノックされ、許可なく入ってきたのはコウスケだった。
「何の用だ、街の英雄殿。敗者を笑いに来たか?」
ヴァレリウスは、力なく吐き捨てる。だが、コウスケの表情に嘲りの色はない。彼はただ、仕事に来た事務員のようだった。
コウスケはヴァレリウスを糾弾しなかった。脅しも、罵倒もしない。 ただ、一枚の羊皮紙を、静かに彼の前のテーブルに置いただけだった。 そこには、こう記されていた。
【商業ギルド連合:特別損失 報告書】
「…なんだ、これは」
ヴァレリウスが訝しげに尋ねる。
「あなたが『安い』と信じてきた建築がもたらした、本当のコストです」
コウスケは、淡々とその内訳を説明し始めた。
「まず、項目1。東地区における倒壊家屋の損害賠償請求額。概算で金貨三千枚」
「なっ…!」
「次に、項目2。あなたのギルドから離反した職人たちによる、契約不履行に伴う逸失利益。今後五年間の予測で、金貨一万二千枚」
ヴァレリウスの顔から血の気が引いていく。彼は商人だ。その数字が、決して大げさなものではなく、むしろ控えめな見積もりであることさえ理解できてしまった。
だが、コウスケは最後の項目を指さした。
「そして、最も大きい損失がこれです。項目3、信用の失墜」
羊皮紙のその欄には、金額ではなく、ただ一言、こう書かれていた。
――『算定不能』
「あなたのギルドは、『安かろう悪かろう』の代名詞になった。その評判を覆すのに、どれだけの金と時間が必要か…私には積算できません。おそらく、あなたの生涯をかけても、不可能でしょう」
それは、宣告だった。 暴力でも、魔法でもない。 絶対的な、揺るがすことのできない「数字」という事実によって、ヴァレリウスの築き上げてきた全てが、砂上の楼閣であったことを証明する、冷徹な報告書。
「…………」
ヴァレリウスは、崩れ落ちた。 膝からではない。魂が、その椅子に沈み込むように。 彼は、コウスケの顔を見ることができなかった。ただ、テーブルに置かれた一枚の羊皮紙に記された、己の破綻を、呆然と見つめることしかできなかった。
コウスケは、静かに踵を返す。 彼にとって、これは個人的な復讐ではない。間違ったシステムを、正しいシステムで更新した。ただそれだけのことだった。
「さらばだ、ヴァレリウス殿」
その背中に、もはや言葉を返す者はいなかった。 商業ギルドの時代は、こうして静かに、しかし完全に、終わりを告げた。
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