第34話 温泉!

きさらぎ荘ダンジョンは、草原、森、洞窟という三つの異なる癒しを提供することで、もはや「癒しの聖地」としての地位を確立しつつあった。

ダンジョンポイントは有り余るほど貯まり、俺の銀行口座の数字もサラリーマン時代には考えられなかった額にまで膨れ上がっていた。


「しかし、まだだ…まだ、究極の癒しには、何かが足りない…」


俺は、さらなる高みを目指す経営者として、自室で腕を組み、思索に耽っていた。


自然、動物、静寂。

これらは確かに素晴らしい癒しだ。

だが、日本人が古来より愛し、その心と体を癒し続けてきた最強の癒しコンテンツがまだこのダンジョンには存在しない。


「そう…温泉だ!」


俺は膝を叩いた。

温泉。

これ以上の癒しが、この世にあるだろうか。いや、ない。

俺は確信した。次の拡張は、温泉エリアの追加で決まりだ。

これがあれば、俺のダンジョンは、名実ともに世界最高の癒しスポットとなるだろう。

俺は、興奮に打ち震えながらアプリのショップ画面を開いた。




ショップの「特殊エリア拡張」のカテゴリーを検索すると、すぐにお目当てのアイテムが見つかった。


『★★★★★ 日本庭園付き源泉かけ流し露天風呂エリア』


「星5つ! これしかない!」


値段は過去最高の10万DP。

しかし、今の俺の財力をもってすれば、決して払えない額ではない。

むしろ、安いとすら思える。

俺は、迷うことなく、この最高級の温泉エリアを購入した。


設置場所は、これまでの101号室から103号室とは別棟になるようなイメージで、アパートの裏側にあたる物置部屋に設定した。

これにより、温泉エリアは、他のフロアとは完全に独立した特別な空間となる。


そして、詳細設定の画面へと移った。

ここで、俺はダンジョンマスターとして、そして、一人の成人男性として、絶対に譲れない設定を施す必要があった。


「もちろん、混浴は断固として禁止だ」


俺は健全な経営をモットーとしている。

風紀を乱すようなことは絶対にあってはならない。


俺は、「性別による自動振り分け機能」をオンにした。

これにより、男性が入場しようとすれば男湯へ、女性が入場しようとすれば女湯へと自動的にゲートが切り替わる仕組みになる。


「これで、プライバシーも安心安全、完璧な設計だ」


さらに、俺は細部にまでこだわって、最高の温泉空間をプロデュースしていった。


まず、泉質。

選択肢には「単純温泉」「硫黄泉」「塩化物泉」など、様々な種類があったが、俺は肌に優しく、美肌効果が高いとされる「炭酸水素塩泉」を選択した。

通称「美人の湯」だ。

これは、女性客に絶対に喜ばれるはずだ。


次に、風呂のデザイン。

「岩風呂」「檜風呂」「石風呂」などがあったが、俺は、最も風情がある「岩風呂」を選択。

周囲には、手入れの行き届いた美しい日本庭園を配置し、夜には庭園がライトアップされる機能も追加した。


そして、脱衣所。

清潔感のある畳敷きで、もちろん鍵付きのロッカーを完備。

洗面台には、費用はかさむが高級な化粧水や乳液、ドライヤーなども完備させ、アメニティも充実させた。


「完璧だ…俺が入りたい…」


俺は、自分で設定しておきながら、その完璧な温泉空間にうっとりとしてしまった。

しかし、ここで、俺はあのパン屋の時と同じ、悪夢のような注意書きを発見してしまったのだ。


『※注意:ダンジョンマスターは、当エリアを利用することはできません』


「ですよねええええ!」


俺の絶叫が、きさらぎ荘に木霊した。

わかっていた。わかってはいたが、やはり、この現実は、あまりにも残酷だ。

俺は、最高の温泉をプロデュースしておきながら、その湯に指一本浸かることすら許されないのだ。


「まあ…俺が男湯に入ってるところを常連さんたちに見られたら、それはそれでまずいしな…」


俺は、無理やり自分を納得させた。健全経営のためだ。

これは必要な犠牲なのだ。


「それにしてもだ…」


俺は、一つの事実に気づいて、ふと、我に返った。


「男女で自動で振り分けられる設定にしたけど…よく考えたら、うちのダンジョン、今まで女性客しか来たことねえな…」


そう。

俺のダンジョンは、その癒し特化のコンセプト故に、オープン以来、ただの一人も男性客が訪れたことがないのである。


「まあ、いいか。将来的に、男性客が来た時のための先行投資ってことで…」


俺は、少しだけ虚しい気持ちになりながらも、この究極の癒しエリアが常連客たちにどんな至福をもたらすのか楽しみに待つことにした。



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明日から隔日投稿(2日に1話更新)になります。

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