第11話 水のかけ合い
新エリア「そよ風吹く小川」を追加して数日後。
俺のスマートフォンが今日も元気な来訪者を告げた。
モニターを覗くと、そこには桜庭結菜ちゃんと池田凪咲ちゃん、お馴染みの女子中学生コンビが立っていた。
「凪咲ちゃん、早く早く! この前来た時、奥に何か新しいのができてた気がするんだ!」
結菜ちゃんが凪咲ちゃんの手をぐいぐい引っ張りながら、興奮気味に話している。
凪咲ちゃんは「うん、わかってるけど、そんなに急がなくてもダンジョンは逃げないよ、結菜ちゃん」と、いつものように穏やかに、しかし嬉しそうに微笑んでいた。
二人は楽しげに会話しながら、ドアを開けてダンジョンの中へと入っていく。
俺は冷蔵庫から取り出した麦茶をグラスに注ぎながら、モニターの前で彼女たちの青春模様を見守る体勢に入った。
ダンジョンに入った二人は、まず「すやすや草原」のぷにぷにスライムたちに「やっほー、また来たよー!」と挨拶する。
すっかり懐いているスライムたちが二人の足元に集まってきて、ぴょんぴょんと跳ねている。
「よしよし、いい子だね」
凪咲ちゃんがスライムの頭を撫でていると、結菜ちゃんが草原の奥を指さした。
「凪咲ちゃん、あそこ!やっぱり、川ができてるみたい!」
「本当だ…行ってみよ」
結菜ちゃんは、再び凪咲ちゃんの手を引いて、新しいエリア「そよ風吹く小川」へと駆け出していった。
その姿は、宝物を見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。
小川のほとりに到着した二人は、その美しい光景に「わぁ…」と感嘆の声を漏らした。
「すごい、綺麗…。水が透き通ってる」
凪咲ちゃんが、キラキラと輝く水面に見惚れている。
「本当だね! ねぇ、足つけてみようよ!」
結菜ちゃんは好奇心を抑えきれない様子で、早速、靴と靴下を脱ぎ始めた。
凪咲ちゃんも少し躊躇いながら彼女に倣って靴を脱ぐ。
二人は制服のスカートの裾を少し気にしながら、川べりに並んで腰を下ろし、そっと足を水につけた。
「きゃっ! 冷たい!」
「でも、気持ちいい…!」
二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
その笑顔は夏の太陽よりも眩しい。
俺は麦茶を飲みながら、思わず「青春だなぁ…」と呟いてしまった。
しばらくパシャパシャと水遊びをしていた結菜ちゃんだったが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そして、両手で水をすくうと、隣に座る凪咲ちゃんに向かって、ぱしゃり、と水をかけたのだ。
「ひゃっ! も、もう、結菜ちゃん!」
不意打ちを食らった凪咲ちゃんが驚きの声を上げる。
しかし、その表情は怒っているというより、楽しそうだ。
「あはは、ごめんごめん! でも、凪咲ちゃんにもおすそ分け!」
結菜ちゃんが楽しそうに笑う。
それを見た凪咲ちゃんは、ふふっと小さく笑うと、「それなら、私からもお返し」と言って、結菜ちゃんに水をかけ返した。
それが、二人の無邪気な水遊びの始まりの合図だった。
最初はお互いに遠慮がちに水をかけ合っていた二人だったが、すぐに競争のようにエスカレートしていった。
「えーい!」
「きゃ! 待って結菜ちゃん、ずるい!」
「凪咲ちゃんだって!」
二人は川の中に立ち上がり、キャッキャと歓声を上げながら本格的な水のかけ合いを始めた。
制服の白いブラウスが水に濡れて肌に張り付いているのも、もはや気にしていないようだ。
ただ純粋に、目の前の親友との時間を楽しんでいる。
その光景は、見てはいけないものを見ているような背徳感と、心を浄化されるような清らかさが同居していて、俺の感情はぐちゃぐちゃになった。
「あはははは! 降参! 私の負けだよ、凪咲ちゃん!」
ひとしきりはしゃぎ回った後、結菜ちゃんが息を切らしながら両手を上げた。
凪咲ちゃんも、ぜぇぜぇと肩で息をしながら満足そうな笑顔を浮かべている。
二人とも、髪から水滴が滴るほど全身ずぶ濡れになっていた。
その時だった。
満足感からか少し足元がおろそかになっていた凪咲ちゃんが、川底の丸い石に足を滑らせ、「あっ」と短い悲鳴を上げた。
「凪咲ちゃん!」
バランスを崩して後ろに倒れそうになった凪咲ちゃんの体を、結菜ちゃんが咄嗟に、しかし力強く抱きとめた。
凪咲ちゃんは結菜ちゃんの腕の中にすっぽりと収まり、二人の顔は、またしても数センチの距離まで近づいていた。
濡れた髪、上気した頬、お互いの息遣いが聞こえるほどの距離。
時が、止まったように見えた。
「……」
「……」
モニターの前で、俺は飲んでいた麦茶を吹き出しそうになった。
「お、おいおいおい! 危ないだろ! っていうか、近い近い近い!」
完全に二人の世界に入っている彼女たちに俺の心の声が届くはずもない。
数秒間の沈黙の後、先に我に返った凪咲ちゃんが顔を真っ赤にしながら慌てて結菜ちゃんの腕から離れた。
「あ、ありがとう、結菜ちゃん…」
「う、うん…大丈夫? 凪咲ちゃん」
結菜ちゃんも、どこかぎこちない様子で答える。
先ほどまでのはしゃいだ雰囲気はどこへやら、二人の間には甘酸っぱいような気まずいような空気が流れていた。
「…そろそろ、帰ろっか。風邪、ひいちゃうし」
「…そうだね」
二人はその後、あまり会話を交わすことなく、濡れた服のまま静かにダンジョンから出て行った。
一人になった部屋で、俺はモニターに映る、きらきらと輝く小川を見つめていた。
「…俺の心も、なんだか洗われたような気がする」
彼女たちの純粋で、少し危うげな関係性。
それは、汚れきった俺の心には眩しすぎる光景だった。
「それにしても、ずぶ濡れだったな…。アプリのショップに『着替え用(有料)』とか追加しようかな…」
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