アルヴェニア帝国物語─絡繰の皇妃─

夜明

星が降る夜に

1.絡繰の糸の先


『どこへでも行き、二度と帰ってくるな』

─その命令を受けたのは、約2時間前のこと。

唯一持っている学校の制服を着て、17歳の少女─如月咲良きさらぎさらは街中を彷徨っていた。


お金も、行く場所もない咲良の心は何故か凪いでいて、口から出る白い息が、視界を彩る。


─幼い頃から、静かな広い家で暮らしていた。

たまに来るお手伝いと、こちらを見もしない両親。

そもそも両親自体仲が悪く、それぞれに恋人がいることも知っていた。


どうすれば良いのか教えてくれれば、それだけで良かった咲良は、特にわがままを言った記憶もない。


両親が咲良に求めたのは、少なかった。


『容姿を完璧に保つこと。誰もが認める美を保ち、いつか芸能界にでも入って、お母様を頂点へ連れていきなさい』

『馬鹿で、醜い子と仲良くしないで。貴女の品が下がるわ』

『私のことは、お母様と呼ばないで。娘がいると、都合が悪いの。優美花ゆみかさんと呼びなさい』

─これが、母親。


『成績は勿論、運動の面でも、常に1位を保て。その他など認めん。養ってあげているのだから、それくらいは当然のこと』

『お前はあの女に似て、見た目だけはいい。結婚のことは私が決める。お前は何もするな』

『馬鹿な同級と付き合うな』


─これが、父親。


なお、ふたりで共通しているのは。

『私達に逆らうな。泣くな』であった。


それが物心ついた時、否、もしかしたら、物心つく前からかもしれない。当たり前だった咲良の記憶に、自分が泣いた姿がない。


『如月さんって、不気味よね』

『お人形みたいというか』

『そういえば、お父さんが─……』


学校で色々言われても、無視をする。

反応をしない。相手を認めない。

両親の言うことには、逆らわない。


「……どうしようかな」


突然、糸を切られた絡繰人形マリオネット

真っ暗な空を見上げて、考える。

……でも、何も思いつかない。

言われるがまま生きてきたから、急に糸を切られても、歩く道すら儘ならない。


優美花さんは消えたし、父親には出て行けと言われ、新しい母親には迷惑そうに睨まれた。

ふわふわのワンピースに身を包んだ可愛らしい、同い年くらいの異母妹らしい女の子は、咲良を見て、哀れんだ顔をしていた。


そんな異母妹を抱きしめて、『この無愛想な子とは違い、姫花ひめかは本当に愛らしいな』と、父親は幸せそう。


『─17年間、ありがとうございました。御命令に従い、失礼させていただきます』


一言だけ残して、何も持たずに出てきてしまった。

多分、それは父親の言う“愚かな行為”。


「……」


徐に立ち上がって、とりあえず、月を追いかけてみよう、と、咲良はその場を離れた。



☪ ‎


─歩き続けて、どれくらいの時間が経ったろう。

途中から木々の間の道無き道を歩くようになり、そろそろ喉も乾いてきた。


人の気配などなく、夜は深まり。

月を追いかけるように歩いてきた咲良は漸く、周囲を見回して、違和感を覚えた。

何も無い山道……月を追いかけるように歩いてきたからといっても、、あの都会からこんな場所へ辿り着くはずがない。


「……」


本当ならこの時、もっと焦るべきだったのだろう。生憎、焦り方が分からない咲良は綺麗な池を見つけて、覗き込んだ。明らかに飲むことはダメだろうが、他の余計な光源がないからか、キラキラと輝く水面はとても綺麗だった。


綺麗で─……水面に映るのは。


「……私だ」


まるで、自分の姿じゃないみたい。

キラキラと輝く銀色の髪、瞳は淡く、空をそのまま象ったような瞳は、?を映している。


「……」


咲良は別に、ハーフでもなんでもない。

それに、先程までは普通の黒い髪に黒い瞳だった。

だから、少し歩いただけでこんな風になってしまっている理由が─……。


「─……あれ!?」


月を見上げてみると、その前を通り過ぎる何か。

同時に、その場で響く声。


目を瞬かせながら、月を眺める。

最初に見ていた月より、少し大きな月。

輝いて美しいけど、どこか物悲しい……。


「こんばんは」


ぼんやりとしていると、知らない人が隣にいた。

箒を手に、にっこりと笑っている。

長い髪の毛を三つ編みにして肩に流す女性は、


「あなたは異世界からのお客様?」


と、微笑みながら、首を傾げた。


「……異世界?」

「うん。違うの?こんな月が大きく、青く光る夜は何かしらの異変を引き起こすと言われてるんだけど、あなたが、その異変じゃないのかなって」

「……あなたは?」

「私?私はね、ライラよ。今は見回り中だったの」


胸に手を当てながら、彼女は笑う。


「これでも一応、強い魔女なのよ。困っているなら、私があなたを保護するわ」

「魔女……、保護?」

「ええ。─時折ね、この国には異世界からお客様がいらっしゃるの。それを丁重に出迎えて、国の中で変なことに巻き込まれないように、国が保護して、あなたの生活を保証する」

「……」

「あなたは、20年振りくらいかしら?私の友人にね、あなたと同じように異世界から迷い込んだ男性がいるわ。その人が最後ね」

「………………帰れないんですか?」


風が咲良の頬を撫でて、音を鳴らす。

正直、帰れるかどうかは別にどちらでも良いが、一応、聞いておこうと思った。

そもそも、ここがどこかすら把握出来ていないし、考えることはそれなりにある。


「─帰りたい?」


ライラさんの顔を見て、察してしまう。

─帰る術が今はまだ、見つかっていないのだと。


「いえ。聞いてみただけです。─特に行く場所もないので、お世話になってもいいですか?」


咲良がそう言いながら立ち上がると、彼女は目を細め、優しく微笑みながら、咲良の頬に触れた。

─風が吹き荒れる。木々が揺れる。

どこかから、猫の声がする。


月明かりが輝いて、ライラさんの目が見開かれる。


「あなた……」


彼女は徐に咲良の髪をひと房取り、言葉を失う。


「急に、この色に変わっちゃって。元々は全然違う色だったんですけど」


何かおかしいところがあるかと目を瞬かせる。


「……とりあえず、今は魔法で隠しておきましょう。このままだと、ろくな事にならないかもしれないから」

「そうなんですか?」

「ええ。私が魔法で隠してあげる。何色がいいかしら……元々の世界の色?」

「じゃあ、それで……」

「わかったわ。気分が変わったら言ってね。いつでも違う色に変えてあげられるし……本来の髪色、思い浮かべてくれる?」


彼女の言う通り、自分の最後の髪の色を頭に浮かべる。すると、あっという間に元通り。


(元々、この色だしな……変な気分)


こちらの世界では銀色が、咲良の色なのだろう。


「─よし!じゃあ行きましょう!」


魔法をかけてくれたライラさんは、咲良の姿を確認すると、満足そうに笑って、手を握ってくれた。


「あなた、お名前は?」

「咲良です」

「サラ?─とっても素敵な名前ね!」

「あ、ありがとうございます」


小走りで走り出したライラに手を引かれるままついて行くと、彼女は箒を取り出して、そのまま、空へ─……箒に一緒に引き上げられて。


「サラ!アルヴェニア帝国へようこそ!」


─それが、物語の始まり。

とある国の、とある出会いのお話。

あなたに出会うまでの、彼女のお話。


彼女の行く先は、幸か不幸か。

─それは、神様にすら分からない。




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