Chapter:021
追いついて数分。俺とイージオはプリモタウンの最北端にたどり着いた。エリーは少し手前で足を止め、地面に巨大で複雑な聖星陣を描く準備に取りかかった。
俺たちは手近にある木に登り、少し高い場所から更に北を見つめる。その先に見えたものに俺たちは揃って息を零した。それと同時に、おぞましい気配が感知術となって警鐘を鳴らす。
「ちっ……」
「うわぁ……」
ゼークトがどこでどの程度のアンデッドを見たのかはわからない。しかし今、目の前に押し寄せてきている大量のアンデッドは、本当に町ひとつを呑み込みかねないくらいの数を有していた。一体どこからこんな数が現れたのか。
「というかこの数、昇華詠唱術で何とかなるのか……」
いくら穢れに効果があるとはいってもだ。幾百、幾千ものアンデッドを
「何とかするための作戦だろ? エリーと自分の力を信じようぜ」
そう言ってイージオはしゃがみ込んだ。俺たちが失敗するなんて微塵も思っていないその様子が本当に頼もしい。
両の手を左の腰に持っていき、右手は腰に携えている藍色の剣の柄を、左手は剣を治めている鞘を握る。地平線の彼方まで続いていそうなアンデッドの大群をまっすぐに見つめながら、イージオは携えた剣を一気に抜き放つ。木漏れ日が反射して勇ましく輝く藍色の剣は、まさに彼の強さの象徴だ。
「じゃあ援護よろしく。アル」
「ああ」
俺が頷くとイージオは抜身の剣を一瞬で逆手に持ち変えた。しかし
刹那、突き刺した剣によって浄化され、アンデッドだった結晶が砕ける乾いた音が響く。だが、乾いた音は一度では止まず、その後も立て続けに鳴り響いた。いつの間にか大群の前に立つイージオは、宣言した通り憂さ晴らしでもするように嬉々として剣を振るっていた。
それでも相手は夥しいほどひしめくアンデッドの群れ。当然イージオひとりでは対処が間に合わない。
俺は右手でペンダントを弓に変え、左手で矢を生成する。瞬く間に番えた矢を、イージオの刃が届かなかった群れの端に狙いを定めて放つ。すると矢は音もなく屍を貫き、地面に深く突き刺さった。須臾の間に冷気が屍を覆い、前方に迫り上げるようにやってきたアンデッド諸共凍らせる。
剣で、弓で、俺たちはひたすらに穢れの塊を昇華していった。しかし押し寄せるアンデッドは、減るばかりか増えるような錯覚を覚えるほど次から次へと沸いてくる。やはり各個撃破では埒が明かない。
それでもエリーの準備が整うまでは。何とかそれだけに目的を絞り、ひたすら弓を引いていく。やがてどれだけ昇華させたのかもわからなくなってきた頃。
「アル!」
ようやくエリーが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「いつでもいい、発動させてくれ!」
そう木の上から叫び、エリーが陣の方へ走っていったことを確認した後、俺は再び前方を見る。一向に数が減った気がしないアンデッドの中に紛れるイージオを確認し、最後に一発氷の矢をその周辺にあて、こちらにも叫ぶ。
「しばらく一人で耐えろよ!」
「おっしゃ任せろ!」
その言葉を皮切りに勢いが増したイージオは、再び獰猛な、或いは心底楽しそうな笑みを浮かべて剣を振りかぶった。
振り返り、エリーの様子を伺う。彼女は絵とも模様とも言えない、とてつもなく大きく複雑なものが描かれた聖星陣の外側に立っていた。直後、身の丈よりわずかに長い杖棍棒を頭の上で回し、杖を陣が描かれた地面に突き刺した。
刹那、大地に刻まれた聖星陣が
あまりの大きさに瞠目していると、今度は球体の水の塊そのものが水色に輝いた。次いで、ゆっくりと塊が天に向かって動き出した。それは生い茂る樹々の上まで行くと上昇を止め、今度は前へ、アンデッドたちの方へと動き出した。
「お願い!」
後ろから聞こえたその声に応えるようにして、俺は弓を構えようと矢を弦に引っかけた。清々しいほどに晴れ、その全身で太陽の光を浴びて眩しいほどに輝く水の球体を睨むように見つめ、狙いを定める。
しかし、その直後。
気味の悪い生温かさが、指先、手のひらを浸食し、あるはずのないそれが俺の手を赤く、紅く染めていく。独特のぬるりとした感覚に背筋が凍る。
俺は反射的に瞬きをした。赤く紅いそれは、実際には存在しない。俺の手には何も着いていない。そもそもあるはずがない。
しかし「しまった」と思ったその時には、もう始まっていた。
矢を握る左手が震え、弓を持つ右手の力が抜ける。不安定な木の幹で身体を支えている膝が笑う。中途半端に開かれた口は、震えによりかちかちと歯が勝手に音を立てる。痛いほど心臓が鳴り、樹々や葉を揺らす風の音が消える。なのに何の音だかわからない何かがけたたましく鼓膜を叩く。
すべてを理解した瞬間、これは恐怖だと悟った。
もともと俺は「失うことが怖いと思う人」を作らないために、他人と深く関わることをやめた。
だがあの二人、イージオとエリーは。いや、二人だけじゃない。この町で深く関わることになった人たちはみんな、俺が口外したくない何かを察したうえで強い繋がりを持った。繋いだ縁を深くしていった。
他人を遠ざけていたはずなのに、いつの間にか誰かと一緒にいる方が心地好くなっていた。それどころかひとりが寂しいと思う時まであった。知らぬ間に俺は彼らがいることが当たり前だと思うようになっていた。
だからこそ間違えるのが怖い。暴走するのが怖い。誰かを傷つけてしまうのではないか。また人を殺してしまうのではないか。またこの手で大切な人を失ってしまうのではないか。ありえないかもしれない、しかしどこかで起きてしまうかもしれないそれが怖いと思った。それが恐怖を加速させる。
あるはずのない生臭い鉄のにおいが、恐怖を煽り、思考力を奪っていく。
息が上がる。力が抜ける。あの時の光景がフラッシュバックする。嫌な汗が頬を伝う。そのくせ、震えはいつの間にか全身を襲い、狙いなどまるで定まらない。荒々しく呼吸を繰り返す喉は乾ききって声は出ない。こんな状態では、切り札の昇華詠唱術はおろか、矢を射ることすらできない。
しかし俺がやらなければ。俺が何とかしなければいけない。けれど怖い。誰も失いたくない。でも怖い。俺の力で誰かが死ぬのが。
怖い。怖い。
成す術なく人々がアンデッドに呑まれるのも、救いの力が逆に人々に死をもたらすかもしれないことも、そのすべてが怖くなってしまった。
俺は唇を噛んだ。やるべきことはわかっている。それが俺にしかできないことだということもわかってる。俺が成さねばならなことだと、理性が必死に語りかけてくる。それでも本能が否定する。怖い、怖いと。俺の力が原因で失いたくない。何もしたくないと。
ゆっくり──ゆっくりと俺は腕を下ろした。
「アル!?」
エリーの困惑した声が聞こえる。
「どうした!?」
イージオの動揺した声が聞こえる。
だが俺には何もできなかった。ただ唇を噛みしめ、目をきつく瞑り、突っ立っていることしかできなかった。
どうしようもない。何もできはしない。俺に誰かは救えない。誰も救えはしない。俺には──お前には過ぎたことだったんだ。
乗り越えたと思っていた。大丈夫だと思っていた。もう俺は独りではない。信じてくれる人がいる。支えてくれる仲間がいる。それは紛れもない事実で、確かな自信になっていた。そのはずだった。
だがそれは俺が、お前が、そう過信していただけなのだ。
どこからともなく誰ともつかない誰かが、現実を突きつけるように言葉を紡ぐ。恐怖以外のあらゆる思いが削がれた今、その声に抗う気力はもうない。ああ、そうか。そうだ。俺には何もできない。何も救えない。何も。何ひとつとして。
──いいえ。
ふと、きれいな声とともに、両肩に誰かの手のぬくもりを感じた。
あなたは……誰?
声にならない声でそう訊ねると、耳元に優しい吐息の感触が訪れ、泣きたくなるほど優しい声が聞こえた。
──大丈夫。その力は誰も傷つけない。誰も殺さない。あなたと、あなたが守りたい大切な人たちを守ってくれる。
暖かくて、優しくて、儚い声だった。それはまるで凍てついた心を溶かすようで、冬の太陽のようで、夜を迎える直前の黄昏時のようで。
恐怖はいつの間にか消え失せていた。あれほどやかましかった心臓も、呼吸も、思考も、今は何もなく穏やかだ。俺は導かれるように再び腕を上げ、まっすぐエリーが発動してくれた聖星術に狙いを定める。震えは、不安は、もうない。
溜め込んでいた空気を吐き出し、すうっと大きく息を吸う。
「理から外れた者たちに、希望に満ち満ちた安らかなる眠りを与え給え──
最善を尽くすために使うことになった昇華詠唱術を、かつて暴走させたことで唯一無二の両親を殺めてしまった
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