この世界には人智を超えた力がある。人々はそれを聖なる星の力「聖星力（せいせいりょく）」と称し、その恩恵を受けながら生活している。

　聖星力を元とした「聖星術（せいせいじゅつ）」には全部で十二の属性がある。人間は生まれながらそのどれかひとつを上手く扱うことができる。どの属性が扱えるかは生まれた月で決まり、覆ることはない。

　そして俺も、そんな人間のひとり。

　なのだが。

　　　＊＊＊

　黄金色のレンギョウやサクラソウが咲き乱れ、頬を撫でる風が春の訪れを感じさせる今日この頃。世界の中心からまっすぐ伸びるレールをたどって、人と貨物を乗せた汽車が風を切って走っていた。

　窓ガラスに映る自分の顔がかすかに風景と同化する。

　紺色というには淡い髪。鏡のように光を反射する銀の眼は少し細いつり目。白いカッターシャツに黒のベストと、胸もとには水色に近い透明なクリスタルのペンダント。そのペンダントを、無意識に右手でいじっていることをガラス越しに気付いた俺は慌てて手を離す。知らぬ間に緊張していたようだ。

　流れゆく風景が都会を思わせる人工物から木々や草花が生い茂る自然へと変わり、かすかな落ち着きを見せ始めたちょうどその時、運転手が終点を報せた。それを合図にして乗客が下車の準備を始める。俺も倣って、脱いでいた群青色のダブルボタンジャケットを羽織った。

　しばらくも経たない間に汽車は終点にたどり着き、乗客が一斉に汽車を後にする。その流れに乗る形で駅へと降り立てば、膝まであるブーツが地面を蹴って音を鳴らした。同時に、後身頃だけがやたら長い、一風変わった作りのカッターシャツが風になびいて揺れる。

　ここはプリモタウン。世界の中心レリクイアカプト地方の最南端に位置し、小さくも栄えている町といわれている。

　駅から出て町へと踏み出した俺を待っていたのは整備された石畳の道だった。少し歩けば視界が広がり、目に入ったのは太陽に照らされて輝く大きな噴水だった。多分ここが駅前広場だ。

　俺はとある人の頼みで、とある依頼をこなすためにこの町にやってきた。俺が初めて訪れる町になることから、依頼主がわざわざ迎えに来てくれると言われた。その待ち合わせ場所は駅のすぐ近くにある噴水の広場だと告げられていた。

　そして肝心の依頼主だが、その人はどうやらこの町を統括している神父らしい。神父と言えば修道服。何となくその類の衣装を想像しながら辺りを見渡していると、思いの外時間をかけないうちにそれらしい人物を見つけた。

　歳は俺より十ほど上と思しき三十路近くに見える。相応に落ち着きのある茶色い髪は程々に短く切り揃えられており、清潔さを感じる。身を包む修道服は黒、いや、光の具合では紺色にも見て取れる。そのなかに散らばる金色は華やかながらも威厳があり、肩から流れるストラと胸元で光るロザリオは神秘を思わせた。

　だが当の本人はこちらに気付いていないようで、彼は彼で周囲を見回していた。この汽車に乗ってくることを想定していたのだろうか、駅から出てくる人々を中心に視線を躍らせていた。

「あの」

　近付いて声をかけると、彼は気持ち程度高い目線を落としてまっすぐに俺を見てきた。光の射さない深い緑の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。

「もしかして依頼した傭兵か？」

　落ち着いた声で問われ、言葉を返す代わりに首肯を返す。すると神父は正面から向かい合うと右手を差し出してきた。

「ルークスだ。依頼を引き受けてくれたこと、心から感謝する」

「アルシド・ニクスです」

　同じように手を差し出しながら流れるように名乗る。少しだけ大きな手を握り返しながら、ふと聞き取った名前に既視感を感じた。しかしその正体を見付ける前に神父は続ける。

「世話になる、アルシド」

　ああ、と思う。聞いていたとおり、堅い口調に落ち着いた雰囲気はまさに堅物神父という言葉が似合う。ただ、名を呼ぶ際の物言いはどうにもぎこちなかった。アルシドとは呼びづらいのだろう。その気持ちよくわかりますよと思った俺は口を開いた。

「呼びにくいならアルでどうぞ」

「そうか。ではアル、よろしく頼む」

　神父はそっと手を離して頷いた。そうして「こちらだ」と歩き出した。

「拠点となる教会はこの町の南に位置するためにまだ距離がある。少し歩いてもらうがいいか」

「はい」

　短く応え、足早な神父の後を追う。広場を抜けた先にも石畳は続き、そのきれいな作りがこの町の治安の良さを物語る。やがて賑やかな市場を抜け、人の気配が少なくなってきたところで、神父は「さて」と切り出した。話を聞くため、歩調を合わせて隣に立つ。

「今回の依頼内容は、このプリモタウン周辺で確認されてるアンデッドの討伐だ」

　アンデッドとは、自ら死ぬことを許されない生ける屍を指す。存在そのものはこれといって珍しいものではなく、むしろ見ないことの方が珍しい。ことこの数年の間は特に。

　というのも現在、世界の各地でアンデッドの大量発生が相次いでいるのがその理由だ。故にどこに行ってもそれらの討伐が戦闘職への依頼になることが多い。それはここも例外ではない。神父は言葉を継ぐ。

「世界の中心であるレリクイアカプトとはいえ、この町はさほど大きくない。だが如何せん数が多く、私一人では手に負えない。そのため今回は何名か増援を頼むことにした」

　なるほどと俺は頷いた。確かにそれは有効打になり得る。神父の言うことは最もだった。敵の数が多いというのであれば、俺も同じ立場でことを考えるなら増援も視野に──いやまて。

「え？」

　俺は思わず声を出す。何名かの増援、ということは俺以外にもこの依頼を受けた人がいるというのか。そんな話は聞いていない。

　大量発生とはいえ今回のそれは特別大がかりなものではないと聞いて俺はこの町に来た。神父の言うようにここはそこまで大きな土地ではない。だからこそ、この依頼を引き受けたのはきっと俺だけだと思っていた。というより今回の依頼に対して人を派遣させたのはあの人だけだと思っていた。

「じゃあ俺以外にも雇った人がいると」

「ああ」

　頷く神父に俺は小さく唇を噛んだ。 一人だと思ったから依頼を引き受けたというのに。

　俺はできるなら他人と関わりたくない。俺一人であってもこなせそうな依頼だからこそ選んで請け負ったのに、まさか同業者がいるとは。

「……わかりました」

　やっぱり帰りますという言葉をぎりぎり飲み込む。受けてここまで来てしまった以上、今更断ることなどできなかった。

　その後は道すがらにある町の各主要施設を案内され、流れのまま目的地に到着した。先にあったのは、町の規模を考えると少し大きい教会だった。

「この町は宗教信仰が深いんですか」

　前触れなく俺が口を突いた質問に対し、神父は「いや？」と少しだけ声の色を変えた。しかしそれも一瞬で、すぐに今までの声音に戻して続ける。

「特にそういうわけではない。信仰についてはひとりひとり程度は異なる。それに私は信仰心の底上げも布教もする必要はないと思っている」

「じゃあ……」

　何故なのか。今の話が本当なら、こんなに大きな教会が建つのはいささか可笑しな話だ。資金がなければ元も子もない。その資金は信者から寄付されるものではないとでもいうのか。俺がそんなことを考えていると、神父がおもむろに口を開いた。

「信仰は薄いが、恐らく穢れなき神父の存在が大きいのだろう」

「あ……」

　たまらず目を瞠る。そしてようやく気付いた。神父の名前を聞いて感じた違和感のようなものの正体を。

「あなたが、そうだったんですね」

　思い出した。神父の名前には耳に覚えがあった。本名は確かルークス・ヴィリディス。通称、穢れなき神父。

　この世界には身を危険に晒す「穢れ」というものが存在する。しかし穢れは基本的に誰でも少しは内包しているものだ。俺も多少は身に持っているが、この神父はどういうわけかその穢れをまったく持っていないといわれている。これは極めて異質であると世界中で大騒ぎされた。ただ、騒がれた時代の俺はまだ幼子で、何がすごいのかもわからなかったのだが。

　しかしなるほどと思う。そういうことなら納得できる。そんな希少で有名な存在が町を執り行うなら、資金が集まるのも道理だ。

「すみません、気付かなくて」

「構わん。むしろ持てはやされる方が困る」

「そう、ですか」

　眉間にしわを寄せる神父に、返せる言葉は少なかった。が、直後その表情が少しだけ柔らかくなる。

「この町を統治して長いが、長期間ここで生活できるのはこの町の人たちが狂信的ではないからだ。そういった存在が、この町を見てくれているだけで充分というように」

　へえ、と思う。存在の大きさが人を必要以上に行動させないのだろう。あとは、この人自身がきちんとしているからというのも含まれるだろうか。

　話が終わり、俺たちは再び歩き始める。目の前にあった大きな扉は祈りを捧げる祭壇に続くものらしい。ただ目的地はここではない。俺たちが向かうのはもう少し奥にあるという教会で勤める者たちの居住区だ。

　先に進めば、人が住んでいるというだけあって閑散としながらも、もの悲しさのない雰囲気が辺りを包み込んでいた。神父はその一番近くにあった扉まで歩いて振り返る。

「この続きはまとめて聞いてもらう。入れ」

　促されて中に入ると視界が大きく開けた。きれいに並べられた多数のテーブルと椅子、そして奥には厨房らしきものが見える。どうやら食堂のようだ。

　その真ん中より少し手前には、青年と少女が一人ずつ座っていた。二人とも目が合った瞬間に立ち上がり、にこやかな微笑みを向けてきた。

「どーも、初めまして」

　先に口を開いたのは似たような年頃と思しき青年。

「オレはイージオ。イージオ・ドラド。よろしくな」

　にこやかに笑う彼のその背丈は俺とさほど変わらない。違うのは服装と人柄。赤いジャケットとベージュのズボンは、中に同じ色の黒いベスト着ていることを差し引いても、俺には似合わない色だ。そしてにこやかな笑顔といい、無邪気そうな声といい、俺とはまったく異なる人柄。

　あまりの気さくさに言葉を詰まらせていると、今度は隣の少女が前に出た来た。金の髪が柔らかく、眩しく揺れる。

「初めまして。エリノア・サージュと言います。どうぞエリーと呼んでください。よろしくお願いします」

　金の髪は背中まで伸びていた。ふわりとしたブラウスは白く、ベストもコルセットもブラウンを基調としている。そのなかでひと際映えるのが、胸もとと両目で光る碧。空の色とでもいうのだろうか。半ば呆然と彼らを見ていると、青年が肘で少女をつつく。

「エリー、ため口でいいって」

「そ、そうかな」

「おうよ、な？」

　戸惑う少女を納得させようとする青年の言葉が続く。その最後は俺への問いかけたものだった。にこやかな金色の瞳が、瞬きもせず見つめてくる。

「好きにしろ」

　目を逸らし、俺はそう素っ気なく答えた。気にするものでもない。というか、そんなのどうでもよかった。それ以上に話をすることそのものがどうでもいい。

「そっか」

　俺の言葉を肯定と見なしたらしい反応に俺は顔を上げた。目の前には、眩しいくらい笑う少女がいた。

「じゃあ、よろしく」

　ご丁寧に握手までしようとする少女に対し、俺は何もしなかった。仲良しごっこなどするつもりはない。差し出された手は握り返さなかった。

「アルシド・ニクスだ」

　代わりに必要最低限の情報だけ提示し、適当な椅子に座る。こうすれば下手に近付いて来たりはしないだろう。実際に俺の態度で何かを察したらしい二人は、互いの顔を見合わせたが結局何も言わずに腰を落とした。

　そうして、ことの成り行きを見守ってた神父が再び口を開く。

「お前たちがアンデッド討伐における増援メンバーだ。別に仲良くしろとは言わないが、仕事に支障は来すなよ」

　三人にまとめて言ってはいるが、仲良くしろという言葉は俺に向けられたものだとすぐに気付いた。それでも俺は沈黙を貫いた。

「大丈夫だってルーさん、オレが強いの知ってんだろ？」

「ほう、では後で久しぶりに手並みを拝見しよう」

「いいぜいいぜ、ばっち来いだ」

　自信満々に返す青年。やけに親しげな様子をからして知り合いなのだろう。にこにこと笑う青年にひとつ頷くと、神父は改めて俺たち全員に向けて話し出した。

「では本題に入る。依頼の概要は個人に話した通りアンデッドの討伐だ。ただ、増援を呼んでおきながらこんなことを言うのも何だが、アンデッドは常に現れるものではない。そのうえ何か周期があるわけでもない」

「え？」

　青年が素っ頓狂な声を上げ、俺は無言で目を瞠る。続けて少女が挙手をしながら小さく訊ねた。

「それだと後手に回るんじゃ……」

「だろうな」

　あっさり不利な状況を認めながらも、神父は顔色も声音も一切変えない。

「そのため、この町には結界を張っている」

「結界？ そんなもんあったっけ？」

　青年が首を傾げれば神父は頷いて続ける。

「目視はできない。この町には穢れが強い者は入ることが許されない。アンデッドなどは特にな」

「それがあるなら大丈夫じゃん。オレら要らなくない？」

　続けざまに青年が質問をぶつけると、今度の神父は首を横に振った。

「数えられる規模であるならば私ひとりでも対処は可能だ。だが最近は襲い来るアンデッドの規模が想像の範疇を越え始めてきた。となれば、私だけでは完全討伐は難しくなる。だから今回、討伐依頼という形で増援を頼んだ」

　へえ、という青年の声が相槌代わりになり、神父はひと呼吸入れて再び口を開く。

「結界の外にもう一つ聖星術を施してある。特定の場所に強い穢れをまとったものが現れた場合、どこに現れたかわかる感知型だ」

「へえ！」

「ただ、わかるのは侵入した場所と穢れの強さだけだ。追尾することはできない。そのため、感知した瞬間の気配をたどって探してもらうことになる。アンデッドについては、基本的にお前たちに一任することになる」

　存在に気付いた後は探さなければ見つからないが、それでも出現を報せてくれるというのは非常にありがたい。それも出現に法則性がないというのならなおのこと。おかげで常に気を張る必要がなくなる。

　他に何か訊きたいことはあるかと問われ、俺たちは揃って首を振った。

「なら、基本的な話は以上だ」

　そう言って立ち上がった神父は外へと指をさし、続ける。

「依頼期間中は隣の宿舎を開放してある。一階が男性部屋、二階が女性部屋だ。部屋に置いてある物も自由に使ってくれて構わない」

　最後に「私は基本教会にいる。何かあったら呼ぶといい」と言うと、神父は踵を返して食堂から出て行った。