狂い咲き乙女ロード (Remaster Edition)
黒井真事
第1話 序章
「僕はホモなんかじゃない!」
大失敗をやらかしてしまった。こともあろうに教室中に響き渡る大声で叫んでしまったのだ。嗚呼、クラスメイト全員が僕を見ている。好奇やら軽蔑やらの眼差しで僕を見ていやがる! そして彼も…、彼にだけはそんな目をして欲しくはないのに…。
止めろ、お願いだから止めてくれ。違うんだ。そんな目で僕を見ないで。死にたい。切実な願望。
どうしてこんなことになってしまったんだ?
何がいけなかった?
ちくしょう、僕の生涯の人生設計が大きく狂ってしまったじゃないか! 本当なら僕は誰にも注視されない地味な男として高校、大学を卒業してそこそこな会社に就職して社会の歯車となって一生を終える予定だったのだ。それがどうしてこんな目に遭わなければならないんだ。
一体僕が何をした?
ふう、取り乱していても埒が明かないのでここに至った経緯を説明しよう。事件の発端は四時限目の体育の授業が終わって級友たちとランチをしている時のことだった。そこそこに仲の良い三人と談笑しつつランチをしていると一人がこんなことを言い出した。
「なぁ、今日体育の時気付いたんだけどさ」
その表情と口調には卑猥な気配が漂っていた。僕はまたかと思った。どうせ思春期男子高校生にありがちな女子生徒視姦トークが展開されるのだろう。この手の会話には正直うんざりしてきていた。が、すぐさまに他の二人が食いついてきた。
「なんだよ、なんだよ。もったいぶらないで聞かせろよ」
「実はさ、グヘヘ(以下略)」
僕はこの時点で話を聞くのを止めていた。僕はどうもこの手の話には興味を持てなかったのだ。聞いている振りをしつつランチに集中していると、いつの間にかクラスの誰が一番かわいいのかという話題に移っていたようで、様々な女子生徒の名前が次々と挙げられていた。学級委員のなんとかやら、チア部のなんとかやらなどなど。その女子たちの顔を思い浮かべてみると確かに高校生にしちゃぁなかなかの美人なのかもしれない。でもなぜか僕はそれほど心惹かれないのだ。そんな風に考えていると突如として話を振られた。
「本山田はどうよ?誰が一番だと思う?」
僕は深く考えずに答えてしまった。今思うと軽率な発言だった。僕は単に話の流れを変えたかっただけだったのだ。
「うーん…、あんまそういうのは興味ないんだよねぇ」
「あー、そっか。本山田ってマジメだからなー」
「っていうかさ、かわいいって言ったら佐藤とかもそうじゃない?」
「佐藤かぁ。確かにユニフォーム姿とかいいよな」
「いや、そっちじゃなくて」
「へ?」
「佐藤千秋の方。男子の方だよ」
うちのクラスには佐藤姓が二人いた。一人は男子の佐藤千秋。もう一人は女子の佐藤瑞希。この二人がいたのだった。佐藤瑞希の方はラクロス部に所属していてなかなかの美少女として有名だった。ラクロス部が練習していると彼女のユニフォーム姿を見たいがために野次馬が集うという程だったのである。しかしこっちの佐藤は大して問題じゃないのだ。もう一人の佐藤、男子である佐藤千秋がいけないのだ。女子とも間違えそうな名前。身長は百五十ちょい。華奢な体つきに、後ろから見たらショーットカットの女の子と見間違うような長めの髪。顔立ちもどこかあどけない少女のような要素を多分に含むアイツがいけないのだ…アイツだけがいつもいつも僕の心を掻き乱すのだ。
僕は体育の時間に女子たちの姿には目もくれず、千秋のことばかりを眺めていた。努めてそうしていたのではないと思いたい。気が付くとなぜか千秋の方ばかりを見ている自分がいたのだ。今日はバスケのトーナメント戦の日だったのだが、僕の所属するチームは早々と一回戦負けになっていたので、校庭の隅の花壇に腰掛けて他の試合を見物していたのである。千秋のいるチームは順調に勝ち上がっているようだった。
「千秋ィ、ヘイ、こっちパース!」
その声に合わせるように正確なパスを繰り出していく。一連のしなやかな動きに僕は目を奪われた。また空中でボールを受け取る瞬間に一瞬ではあるが体操服が捲くれて肌が見えた。僕は思わずその光景に生唾を飲み込んでしまったのだった。汗を拭う姿も肩で息をする姿も僕は目に焼き付けんと必死になっていた。やはり千秋には他の男子とも女子とも違う魅力が有るのを僕は確信して、
「いいね」
思わず呟いてしまった。
正直に言う。僕が心惹かれる相手はなんと男だったのだ。しかし僕はこんな気持ちに気付かない振りをしていた。にわかに信じ難かったのだ、同性を愛してしまったということが。無闇に倒置法を使ってみたくなるほど正直認めたくはなかった。若さ故の過ちと言ったって物事には限度というものがあるじゃないか。道を誤るどころかもう新世界への扉が開かれつつあるような感じになっているし。
先ほどの場面に戻ろう。僕の発言は彼らに大きな衝撃を与えたようだった。
「「「おまえ」」」
と、トリオで叫んだ。
ざわ……ざわ……
どこからかそんな効果音が聞こえてきそうだった。彼らは椅子から立ち上がって僕から距離をとった。
「本山田、お前まさか『コレ』だったのかぁ!」
「ちょっと待て、頼むから話を最後まで聞くんだ!」
時は既に遅かった。外野連中たちも争いの匂いを嗅ぎ付けたようで、僕の周囲に人だかりが形成され始めていたのだった。
「なになに、どうしたのよー」
「なんか本山田がどうにかしたっぽいよー」
「どうにかってなによー」
「なんか男に興味あるっぽいよー」
「うは、ホモかよー」
「ちょ、マジか」
なにこの奇妙な団結力…
クラスメイトたちは早々と好き勝手に誇張表現を用いて話を広げ始めていた。
これはマズい。実にマズい。
幸いなことに千秋はこの教室にはいない。確か購買部に行っているはずだ。彼が帰ってくる間の僅かな時間でこの事態を収めなければならない。
僕に果たしてそれが出来るのか?
いや、やらねばならない。ここでしくじれば僕は一生ガチホモ野郎のレッテルを貼られて生きてかねばならない。残り一年半はある高校生活が極めて辛いものになることは間違いない。
さぁどうする?どうやってこの逆境を跳ね除ければいい? 敵は多数。こっちは僕一人。はは、無理だね。
多勢に無勢と昔の人は言いました。いいこと言ってますね、ホント。
結局成す術の無い僕はただひたすら立ち尽くすしかなかった。周囲の好奇の視線、無責任な嘲笑、侮蔑、憐憫、軽蔑、差別。迫害へと到る幾つもの要素がここに揃った。
嗚呼、神よ。我を救いたまえ。悪魔たちを蹴散らす力を僕に下さい。天に祈りを捧げ、僕は奇跡が起きるのを待った。だがその願いは虚しくも届かない。
「あれ、みんなどうしたの?」
そして最悪のシナリオが展開されてしまった。このタイミングで千秋が教室に入ってきたのだった。さぞかし異常な光景だっただろう。一人の罪無き男子生徒が精神的火炙りに処されていたのだから。
「一体何があったの?本山田君がどうかしたの?」
「本山田がお前のことかわいいってさー」
「本山田がお前に興味あるってさー」
「本山田がお前のこと好きだってさー」
誰が何時何分何秒地球(テラ)が何回回った時にそんなことを言ったって言うんだ。捏造にも程があるぞ!
あ、でも確かにかわいいとは言ったか。くぬぅ、一生の不覚だ。周囲の弛緩した雰囲気に流されて余計な事を言ってしまった。
しかしそこで千秋の反応がまた僕の精神を追い詰める。顔を赤らめながら、
「え、本山田君が…、まさか…、ホントに?」
などと言いやがるのだ。これで心揺さぶられないヤツは男じゃねぇ。
ああもうかわいいな!
いいじゃん、かわいいじゃん。千秋かわいいよ千秋。お前らひょっとしてわからないのか? このかわいさを理解出来ないと申すか。は、それなら言ってやる。貴様らにもわかるように言ってやろう。
『千秋はかわいい』
これは人類にとって根本的な普遍の原理なんだ。これだけは例え世界が終わりを迎えようと何しようと覆ることはない。そういうものなのだ。
それなのに!わかりきったことなんだ。もはや自明の理なんだ。それでも僕は素直になれなかった。自分の気持ちに、溢れ出るパッションに、魂の雄叫びに、応えてやることが出来なかった。
「僕はホモなんかじゃない!」
そう叫んだ後の記憶ははっきりしていない。僕はただ死にたいと思った。いや、本山田武という人間はこの時をもって死んだ。
生まれてきて、すいません。
恥ずかしい人生でした。
惨めったらしい人生でした。
だからさようなら。
僕は…、僕は…、僕は…、もう生きていてはいけない。
気が付くと帰りのホームルームも終わっていて僕は一人教室に取り残されていた。校庭には日が傾き世間は全面的に夕焼け。ここ数時間の記憶というものがほとんど無かった。ショックがあまりにも大きすぎた。僕はもう魂の抜け殻のようになって虚脱していた。
嫌われた。絶対に嫌われた。
それだけが事実だ。どうしようもない現実だ。非常に残酷極まりないが、自業自得であるところがほぼ百パーセントなわけで、なおのことやりきれなかった。
さて、死のうか。
いっそ学校の屋上から飛び降りてやろうか。でもグチャグチャに潰れて死ぬのはなんか嫌だなぁ。処理費用とかもかかりそうだしこれは駄目だ。死んでまで人様に迷惑はかけたくないし。同じ理由で鉄道自殺もバツ。他になんかあったかな。首吊りも嫌。いろんな汚物がドッパーってなるから。後は睡眠薬とかリスカとか練炭とかかな。ここは一つ練炭でいってみるか。実際のところは楽に逝けるらしいしな。よし、決めた。
こんな風に自殺の段取りを具体的に考えていると、突如教室のドアが勢いよく開け放たれ、一人の女子生徒が入ってきた。彼女は窓際の僕の席までやって来ると、夕日をバックに満面の笑みを浮かべて言った。
「一人じゃないよっ!」
そう言って親指をグッと立てて見せた。
こうして僕らは出会ってしまった。
その彼女の名は森裕子。僕のクラスメイトであり、我が校最凶の腐女子にしてミニコミ部(うちの高校は文芸部と漫研が無い代わりにこんな部があった。非常に個性的な女性たちが集う魔窟)の副部長。
賽は投げられた。
一人の女っぽい男。
一人の男っぽい(?)男。
そして一人の腐女子。
僕らが紡ぐ物語はここから幕を開ける。
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