罪の旅路

結城 春

執行編

一話

 戦争があった。

 始まりは些細なことだった。その小さな火に人々は群がり、火は燃え移りやがて炎の奔流となって世界を呑んだ。鎮まるころには荒野となり、あるのは亡骸だけだった。

 

 だからこそ今の世界も地獄だった。

 荒野では作物は育たず、空気は濁り、緑が消え、気温は容赦なく上がった。おかげで人々は骨格がわかるほどに痩せ、呼吸をするだけで苦しみにもだえ、体が火照り汗に濡れていた。


 そうして苦しんだ末に、彼らは死んだ。

 

 死という結末は人々の心を酷くむしばんでいった。体だけでなく、精神こころまでもが音を立てて崩れていく。

 だから、それに抗うように、死にたくない人々は生きるすべを見つけた。

 それは戦い、奪い、勝ち取ること。

 何もしなければ死という結末が素早く自分の首を刈り取ってくる。その結末はだれも望んでいない。だから頭に浮かんだのだ、生きるために戦うしかなかったあの戦争が。

 やがて一部の人々は本能のままに奪い合った。それはかつての戦争よりも醜く、暴力的な地獄を生み出した。


 そんな地獄で人々は二分化された。

 力ある者は奪い、弱き者は受け身となる。

 世界は弱肉強食の混沌の世と化した。


 そしてこの美しい月明かりの下で、今日もまた醜い争いが行われていた。遠くには壁で囲まれた国が見える。

 その国を見下ろす崖の上に、男はひとり静かに佇む。黒いマントが夜風にたなびき、白く光る髪が月光に反射している。その隻眼せきがんは冷たく、しかしどこか何かを決意したように見えた。

 男はあの壁に向かって歩みを進めた。




 夜の暗闇を、月明かりのみを頼りに歩く。

 薄く照らされた地面には無数の骸が転がって山積みにされている。そのどれもが服すら着ておらず、髪の毛の一本もなく、からだは赤黒く染まっていた。

 男は時折、目の前を横切るはえを払い、手を顔に当てて悪臭を遮りながら、流れるように、しかしじっくりとそれらを見ていた。

  「—————」

 この骸も、かつては笑い、話し、愛した人間だったのだろう。そんな考えが、男に唇をかませた。

 血が滴り、地面に暗い染みを広げていく。

 しかし男はその痛みには目もくれず、ただ胸に押しかかる重い鉛のようなものに潰されまいと、足を一歩ずつ前に出すだけだった。

 彼は歩き続けた、フラフラと目的地まで。



 今の彼は、自身の過去に酔っているようだった。

 だから、彼のおぼつかない足がつまずき転びそうになっても、その酔いは覚めることなく男を支配し続けていた。

 そして時折、「お前のせいだ」「つぐなわなければ」などと、言い聞かせるようにつぶやいていた。

 そんなだから、いよいよ男は地面に勢いよく頭をぶつけた。

 そして足に違和感を覚えた。

 体をひねって足を見る。


 

 そこには自分の足を掴む老婆がいた。月明かりに薄く照らされた顔は、やけに不気味に男の目に映る。

 片目と右腕を失い、骨ばった老婆が地面に這いつくばっていた。

 「——————は、あ」

 声にならない、つぶれた音が喉から突いて出る。

 男は無理やり掴まれた足を振りほどくと、素早く上体を起こした。

 そして運悪く、月明かりがスポットライトのように、老婆の姿を夜の暗闇に映し出した。

 無論、その姿は写真のように鮮明に、男の目に映り、脳を焼く。



 同校が極限まで開かれる。

 老婆にはがないのだ。

 「タ‥‥‥ス、ケテ」

 老婆は泣きつくように言った。

 両足からは大量に血が出ている、盗賊か何かに襲われたのだろう、もう長くはないはずだ。

 「タ、ス‥‥‥イタイ」

 唯一残った右腕を伸ばす。

 男はその手を取る。


 唇を噛む。


 血が滴る。


 黙り込み、そのまま微動だにしない。


 永遠とも思える沈黙、それを震えた声で破る。

 「俺のせいだ、―——償うから、

 男はそう言って、左手を天にかざした。

 「万物を我が手に。

 光の一を為す。」

 まるで詩のような言葉を発した。

 すると天にかざした手の中に、短いナイフが握られていた。ナイフが月光を受けてギラリと光る。


 

 刹那、老婆の首が飛んだ。

 殺したのだ、一息に。

 男は手を握ったまま動こうとしなかった。そうして、十分、二十分と時間は過ぎていった。やがて、男は思い出したように立ち上がると、もう一度あの二節の詩を読み上げ、十字の剣を握ると老婆の体の近くに刺してやった。

 男はその亡骸に一瞥いちべつしてからまたふらふらと歩き出した。



 目的地まであと半分ほどまで歩いてきた。

 あたりの景色は相も変わらず骸でいっぱいだった。目が暗闇に慣れたせいで、先ほどよりも一層はっきりと見える。

 悲鳴が聞こえる。笑い声も、祈る声も、助けを求める声も嫌でも耳に入り、へばりついて離れない。

 このあたりから人の気配がぽつぽつとわき始めた。それに伴って、当たり前のように戦場の音がするようになった。

 やはりこの世は醜く、この男の望みには程遠い。だからこそ、この男は罪を背負い、こうして生きていけるのだ。

 もし世界が平和なら彼はきっと、生きる意味を失い、過去に押しつぶされて死んでいただろう。

 だからよかったと思えるはずがない。今彼の頭に浮かんでいるのは、あの老婆だった。

 「不幸だ、あの人は」

 本当なら残りの人生を、家族に囲まれて幸せに終えられたはずだ。それを戦争という悪魔が奪い去ってしまった。

 「だから俺は、これ以上———あんな人を‥‥‥俺みたいなやつを出すわけにはいかない」

 男が急に足を止めた。

 そして、また詩を読み上げる。今度は手に西洋式の剣が握られている、あれはバスタードソードという剣だ。

 「そのために、お前らには死んでもらう」

 暗闇に彼は冷淡に告げた。



 次の瞬間、男は一息で背を向け、一太刀。背後にいた盗賊の胴が音を立てて割れ、血の匂いが夜風に混ざる。

 「全員でかかれッ!!」

 どこからともなく声が響き、四方の骸から複数の盗賊が姿を現し一目散に男に襲い掛かった。




 「が、———あぁァァァ」

 一分もたたないうちに、残ったのは独りだけになっていた。男の周囲には盗賊たちの亡骸が無造作に転がっており、地面に赤黒い水たまりを作っていた。

 一人残った盗賊は完全に腰が抜け、尻もちをついたまま動かない。いや、小刻みに恐怖に震えるくらいはできたようだ。

 男は切っ先を引き釣りながら、盗賊に近づいて行った。獲物を見る目はひどく冷たく、感情が欠如していた。

 「や、やめろ。くるなっ!!くるなぁ」

 喚く。

 もう遅い。

 男のマントが風で揺れる。そのたびに、マントの奥にある紋章が、月光を受けて輝く。

 それはかつてのを生き延びた戦士の証。

 「!!その顔、キュリアの英雄、!!」

 ライアと呼ばれた男は、正確で機械のような動きで剣を振るう。

 首は静かに落ちた。



 「はぁ、はぁ、はぁ」

 剣を落とす。

 血で染まった手が震えている。

 「あぅ、ああっ」

 声にならない声が漏れる。

 人を殺した事実に吐き気がする。なんどやっても、あやめるという行為に慣れる日は、来ない。

 その場にうずくまって、胃の中のものをすべて吐き出した。血と吐しゃ物の匂いで、頭がくらくらする。

 それでも、ライアは自分を俯瞰するように冷静に考えた。そして、これでいいと彼は思う。苦しめ、俺だけがそれを背負えばいい。

 「そうだ、これが贖罪しょくざいだ。俺の、すべきこと」

 刃に染まる血を見下ろし、彼は諦めにも似た決意を呟いた。

殺し、血にまみれ、苦しんで、俺のようなものをこれ以上生ませない──それが、との約束だから。

 ふと空を見た。すでに月は落ち、太陽がその姿を薄く見せている。

 自分の罪に夜明けは来るのだろうか。

 ライアは薄暗い道を走り出した。


 やがてライアは目的の場所についた。

 道中、何組もの盗賊に襲われたが、ことごとく斬り殺した。そのたびに震え、か弱く決意をつぶやいた。

 この数時間でライアはいくつもの苦しみを背負った。しかし、それは今に始まったことではない、それはきっとこれからもずっと続くのだろう。

 この、壁の内側でも。

 「これがアルド王国、か」

 ライアは壁の周りを歩き、城門を探した。しかし、一周してみたが城門はおろか入口すらない、まるで人の出入りを拒んでいるようだ。

 ならば、この壁を超えるしか手段はない。十五メートルはあろうかというその高さは、なら越えることすら叶わない。

 「よし」

 英雄と呼ばれた男は屈みこんだ。確かに常人ではこの壁は越えられない、しかし、これはライアという戦争を終結に導いた英雄の話である。

 心臓の鼓動が早まる。体の経脈に魔力が流れ、循環する。筋肉が小刻みに震えるようだ。

 足に魔力を集中させる。そして、それを一息で放出した。

 地面が吐き出されるような衝撃音とともに、ライアは跳躍した。大地が抉れ、風が凪いだ瞬間、彼は壁の上に立っていた。



 ライアが壁の上に立つと同時、夜が明け太陽が姿の全貌を現した。

 そして、眼下の景色が明らかになった。壁の内側は別世界だった。緑は濃く、空気は澄み、家々には生活の匂いが満ちている。骸の山など、そこにはない。振り返れば自分の歩いてきた荒れ地、血の匂いと骨の影が広がる。

 この壁を境に、まるで世界が違っている。

 「——————」

 だから、彼はこの国を潰す。

 それが彼の贖罪の道だった。

 

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