七章 十月(蜂蜜が花嫁になるまで、あと五ヶ月)
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「それでは、学園祭のクラスの出し物を決めていきたいと思います」
五時間目、ロングホームルーム。
学園祭実行委員の
黒板の側では、
「学園祭は十一月一日と二日なので、今からちょうど一ヶ月後ですね。私たちは高校三年生なので、最後の出し物になります。ぜひ、思い出に残るような出し物を、クラスのみんなでつくりあげましょう!」
桜河さんの力強い言葉が、クラスにゆっくりと熱気を生んでいく。ホームルームが始まる前は、「受験があるのに学園祭なんて」というような声も教室から聞こえてきたのだが、今は勿論そんな言葉は聞こえてこないし、それどころか温かな雰囲気が漂い始めている。流石だな、とわたしは桜河さんの笑顔を見つめながら感じた。
出し物か、と思う。わたしは特にやりたいことはないけれど、一体どんなものに決まるのだろうか。王道なところでいくと、飲食物の販売とか、お化け屋敷とかだろうか? ぼんやりと考えながら、わたしは桜河さんの次の言葉を待った。
「まずはアイデアをもらって、最終的には投票によって決定したいと思います。では――何かアイデアのある方は、挙手してくれますか?」
「はいっ!」
隣から大きな声が聞こえてきて、驚いて蜂蜜の方を見た。彼女は腕を天井に向けて真っ直ぐに伸ばして、桜河さんの方を見据えている。
蜂蜜は何か、学園祭でやりたいことがあったのだろうか……? 全く知らなかった。
桜河さんは少し驚いたようで、それからふふっと嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、筒井さん! ぜひ、アイデアを聞かせてください」
その言葉を受けて、蜂蜜が席から立ち上がった。背筋をぴんと伸ばして、可愛らしく笑いながら口を開く。
「私は、『メイド執事喫茶』がいいと思います」
メイド執事喫茶……!?
わたしはぎょっとして、蜂蜜の方を見る。彼女の眼差しは至って真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。クラスメイトたちもびっくりしたようで、途端に教室の中がざわざわとし始める。
桜河さんは、少し困ったように微笑んだ。
「なるほど……つまり、コスプレってことですか? ちょっと、綴ヶ岡の校風には合わないかもしれな――」
「桜河さんは、ヴィクトリア朝をご存知でしょうか?」
「え、ヴィクトリア朝?」
ぽかんとした顔をする桜河さんに、蜂蜜は「そうです」ときれいな声で肯定する。
「一八三七年から一九○一年までの、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた時代のことです。この頃、メイドや執事は地位を大きく上昇させ、必要不可欠な仕事となったそうです。世界史について勉強していたらこの事実に辿りつき、深く調べていくにつれ、社会の大切な歯車となっていたメイドや執事という仕事に強く感銘を受けました」
すらすらと語る蜂蜜に、桜河さんは興味深そうに「へえ……」と声を漏らした。
蜂蜜は澄んだ川のように、流麗に話し続ける。
「メイドや執事の仕事は、『生きていく』上でとても大切なものばかりなんです。学園祭でメイド執事喫茶を行うことで、私はみんなと思い出をつくりながら、より丁寧に『生きてい』けるようにしたいんです。きっと、とても楽しく、学びのある出し物になるかと思います」
桜河さんが、根岸さんが、クラスメイトたちが、雪野先生が、蜂蜜の話に聞き入っているのがわかった。
蜂蜜は美しい顔立ちをより一層美しくするように微笑んで、告げる。
「――どうか、皆さんの大切な一票を、メイド執事喫茶に入れてくれたら嬉しいです」
「……知りませんでした」
放課後。寮のベッドに仰向けに寝転がっている蜂蜜を見下ろしながら、わたしは言った。
蜂蜜は読んでいた漫画から顔を上げて、「何が?」と言って首を傾げる。
「蜂蜜が、ヴィクトリア朝のメイドや執事に興味を持っていたことです。同じ部屋に住んでいる恋人同士でも、意外と知らないことってあるんですね……」
告げながら、わたしは先程のホームルームで、メイド執事喫茶が結局クラスの票の過半数を占めたことを思い出す。蜂蜜の丁寧な説明がなければ、桜河さんの「コスプレ」「校風には合わない」という言葉に引っ張られ、票を集めることはできなかっただろう。
そもそも蜂蜜が今も多くのクラスメイトから憎まれていれば、票は入らなかったはずだ。大切な恋人が段々と悪意から遠ざかっていることに、確かな安堵を覚える。
そんなわたしの耳に、蜂蜜の言葉が届いた。
「ああ、あれは嘘だよ?」
そう言ってからりと笑う蜂蜜に、わたしは「……え!?」と驚きの声を漏らす。
蜂蜜は漫画をぱたんと閉じて、ベッドの縁に座った。
「私はただ、メイド執事喫茶をやりたかっただけなの。そこに、それらしい理由を考えておいて、付け加えただけ」
「な、なるほど……」
わたしは頷きながら、教室での蜂蜜の話を思い出す。まさかあの話が心からのものではなく、「それらしい理由」のために生み出されたものだったとは、全く気が付かなかった。蜂蜜の演技力の高さを尊敬すると同時に、わたしにはいつだって彼女の中にあるそのままの気持ちをぶつけてくれたらいいな、と密やかに考える。
「……ところで」
「ん?」
わたしの言葉に、蜂蜜が小さく首を傾げる。元々可愛らしい顔立ちだから、上目遣いされるとさらに可愛さが増して、何というか破壊力がすごかった。見つめていたいのに、思わず目を逸らしてしまう。ちょっとずるいと思う。
視線を合わせずに、わたしは蜂蜜へと問いかけた。
「どうしてあなたは、そんなにメイド執事喫茶をやりたかったんですか……?」
「え。いのりちゃん、わからないの?」
「……はい。よくわかりません」
頷くと、蜂蜜は「ふうん、わからないんだ?」と言って立ち上がる。
そのまま、わたしの耳元へと、ほんのりと赤い唇を近付けた。
「――いのりちゃんの可愛い姿を、見たいからに決まってるでしょう?」
透き通っていて、甘い、儚く色付いた琥珀糖のような声。
そんな響きでささやかれて、身体の奥深くからぞくぞくとしてしまう。
ばっと顔を離すと、わたしの表情を見た蜂蜜がくすくすと笑った。
「いのりちゃん、顔赤くなっちゃったね? 可愛いね?」
「……からかわないで、ください」
「どうして? こんなに可愛いいのりちゃんに可愛いって伝えて、何がいけないの?」
どんどん顔が熱くなっていく心地がする。蜂蜜にこれ以上自分の表情を見せたくなくて、素早く歩いて自分のベッドの布団に潜り込んだ。
「あー、いのりちゃんが隠れちゃった! だめでしょう、出てきなさい!」
「断固お断り、絶対拒否です」
「もー、いのりちゃんったら。……ふふふっ、おかしい。ねえ、何してるんだろうね、私たち?」
「……さあ」
わたしは布団を剥ごうとする蜂蜜と攻防を交わしながら、ちょっとだけ口角を上げた。
○
「――三年二組の出し物は、メイド執事喫茶に正式に決定しました」
数日後、帰りのホームルームで、教壇の上に立った桜河さんがそう告げたとき。
小声で「おめでとう」を伝えようとして蜂蜜の方を見ると、彼女もわたしの方を見ていた。
マリーゴールドの花畑のような、可憐で温もりのある微笑みを浮かべる恋人。
その表情を一瞬でもひとりじめできていることが、嬉しかった。
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