第7話 【帰り道】

 深夜の街で最も覇気のない人影を探すと良い。それが僕だ。


 なんて自嘲じちょうをしながら駅までの道を歩く。


 結局、異世界に行こうがバイトに行こうがなのだ。


 それを強く実感させられた。


 店長には「あの時助けに入ったのはよかった。だがやり方が悪かったな」と言われた。


 理不尽に対して正論をぶつけようが、暖簾のれんに腕押しぬかに釘。


 今回だって逆上させて騒ぎを大きくしてしまうところだった。


相馬そうま君に怪我がなくてよかった」と、頬の傷跡をさすりながら、店長はそう言ってくれた。


 だが、僕の心中は穏やかではない。


 いつの間にか、僕は僕のことを特別な存在か何かだと勘違いしてしまっていたみたいで、それが何とも恥ずかしくて収まりが悪かった。


──やっぱ、戻ってこれなくなってもいいかもな。


 みじめな現実から目を逸らすように、僕は異世界のことを考えながら歩いていた。


 終電間際の繁華街は、駅へと向かう酔っぱらいの群れが生み出すざわめきが満ちている。


「せーんぱいっ」


 そんな空気を吹き飛ばすような、柔らかで、それでいて芯のある声が背後から聞こえてきた。


「可愛い後輩が声掛けたんだから、普通止まりません?」


 パタパタと走って文句を言いながら僕の隣にやってきたのは、緩くウェーブした髪をポニーテールに纏めた顔立ちの良い女性──倉内だった。


「なんだ倉内か」

「いつも扱い雑くないですか?」


 不満そうに肘で脇腹の辺りを小突いてくる。


 妙に距離感が近いが、勘違いしてはいけないのは、倉内コイツは誰に対してもということだ。


「ダサ男に何の用?」


 投げやりに言うと、倉内は口元を押さえてワザとらしく驚いた表情をつくる。


「えー、まだヘコんでるんですか?しつこい男はモテないですよ」


「しつこくなくてもモテねぇよ」


 それを聞いて倉内はフッと吹き出し顔を背けて口元を隠す。


「今日は、ありがとうございました」


 ひとしきり笑って気が済んだのか、倉内は僕の方を向いてそんなことを言ってきた。


 普段は見ない倉内の殊勝な態度に、ちょっと面食らってしまう。


「実は、ちょっと怖かったんです。ああいうお客様直接相手するの、地味に初めてだったんで」


 苦笑いする倉内だが、気持ちは痛いほど分かる。


 っていうか実際に痛い。恥ずかしくて、胸が。


 怒りに身を任せた結果痛い目を見たのを思い出し、静かに悶絶する。


「そう言えば、最後何か言ってた?」


 一連の出来事を思い出していたら、気になることを思い出した。


「最後?」


 倉内は「何か言ったかな」と首を捻っている。


「ほら、洗い場から出るとき」


 何かしら聞こえたが、ホールの盛り上がりに掻き消されて聞こえなかった。


 もし重要なことだったら……と思って聞いてみたのだが、この様子だとそうでもなさそうだ。


「あー……忘れました」


 妙な間を開けて倉内が答える。


「そっか、まぁ忘れたんならしゃーないか」


 少し言外の含みも感じたが、本人が語らない以上どうしようもない。


 これ以上掘り下げるのは色々と無駄だろう。


「……あ、そうだ、今月弟の誕生日なんです」


 話題の方向を、これでもかと分かりやすく曲げる倉内。


 とは言え他に話すこともないので話題には乗っかってやる。


「へぇ、何歳になるんだっけ?」

「15です」

「……ってことは中3か?」

「ですね」

「おめでとう?」

「ありがとうございます?」


 何と返すのが適切か分からなくて、変なやり取りが生まれる。


 他愛もない話で、だけど何だか楽しかった。


◇◆


 結局、駅までの数分間は倉内と話しながら歩いた。


 改札を通ると、上りの倉内と下りの僕で使う階段が違うためにお別れだ。


「先輩」


 軽く手を振り階段に向かおうとしたところを、呼び止められた。


 振り向くと、倉内は真剣な表情で僕の方を見ている。


 その眼差しに、心臓が高鳴るのを感じた。


「今日は、ありがとうございました」


「何もしてないけどな」


 何となく気恥ずかしくて、目線を逸らす。


 辺りには、時間もあってか人影はない。


「謙遜も、過剰なら嫌味ですよ?」


 そう言って倉内はいつもの笑顔を浮かべている。


「事実だからセーフ」


 そう言って目線を倉内に戻すと目が合い、それが気まずくて僕はまた目線を逸らす。


「本人が言ってるんだから素直に受け取ればいいのに」


 倉内は不満そうに口をとがらせ、ワザとらしく肩をすくめる。


「倉内が素直だと、何か怖いな」


 駅構内に流れる妙な空気を紛らわせたくて、軽口を叩いてみた。


「じゃあ、もっと怖がらせていいですか?」


 倉内は、小首を傾げて問いかけるように言う。


 そんな仕草が、やけに似合っていた。


「なに、どういうこと?」


 質問の意味が分からず問い返すと、倉内は深く息を吐いて「全くこれだから」なんて呆れ顔だ。


──ごめんね?何か。


 なんて、心の中で謝ってみる。


 心の声が聞こえたワケではないだろうが、そのタイミングで倉内は顔を上げ、笑顔で言った。


「先輩、ちょっとカッコよかったですよ」


──え?


 ニシシとイタズラっぽく笑う倉内の耳は、少し赤くなっていた。


「じゃぁ!」


 それだけ言い残して、彼女は階段を駆け下りていく。


 到着メロディーが流れているから、多分ちょうどのタイミングだったのだろう。


 駅には、混乱した僕だけが残された。

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