いつかの小森詩(こもり うた)

スロ男

小森さんは傷つかない

 ちっちゃいからって舐めてんじゃねーぞ!


 と、アタイはいつも心の中で叫ぶ。

 ちっちゃい頃からちっちゃくて、15になってもちっちゃいままだった。そして立派な大人になった現在いまでもちっちゃいままだ(当たり前)。

 平均年齢四〇の女だけの職場は、今日もかしましい。旦那がどこそこに勤めてるだ、息子が甲子園に行っただ、アタイにはまったく興味のない話題が花盛りだ。

 非正規のパートの奥様方より、本社から来る正社員のお姉さんのほうが歳は近いが、上司だし、そもそも現場にいないことも多い。

 そうしてアタイは、今日も職場で浮いている。


 流石さすがにアラサーにもなって自分のことを「アタイ」などとは人前では口にしない。そのぐらいの分別ふんべつはある。けれども、ケ、とやさぐれる時、アタイはいつもアタイなのだ。子供の時からの習い性。

 お菓子教室で友達になった同世代の子はキラキラ女子で、婚活にいそしんでいるらしい。

「ねえ、うたちゃんも今度一緒に行こうよ」

「いやだよ、興味ないよ」

 仕事モードでないアタイは、ほんの少しだけ素の自分に近い。そもそもたしなみとかのためにお菓子作りを習いにきてるわけではないので、嫌うなら嫌いやがれコンチクショウと思っているので、愛想笑いは必要ない。

 ところがどっこいしょ、アタイは婚活パーティーに出ることになった。森ちゃん(前述のお菓子教室の子)にどうしてもと頼み込まれて、折れた。

 なんでも一緒にいくはずだった友達が、彼氏に婚活パーティー行きがバレて、断念したのだという。お金は払ってあるし、タダでいいから、というので、まあそれなら、となったのだった。

 そもそも本気でないのだから、アシスト役に徹してくれるだろう、という魂胆が丸見えだったので、テキトーにはアシストしつつ、ほとんど手のつけられない料理と酒をひとりでせっせと片付けてた。

 害のなさそうなお兄さんを相手に指名したら、なぜかカップル成立になって焦った。だってアタイはその人と話してもいないのに。

 森ちゃんは不成立だった。

 なんか、すまん。


 アタイは本当はお菓子職人になりたかった。けれども父親が大怪我を負って仕事を休職したのと、ロクに働かずふらふらしてる兄のことを考えるとお菓子学校に行きたいなんて、到底いえなかった。

 お母さんは、ダブルどころかトリプルワークをして家を支えた。アタイだけ、のうのうとしてるわけにはいかなかった。

 言えば、きっと応援してくれただろう。それがわかってるから、余計に。

 アタイはライン作業の仕事についた。トロい自分には致命的に合ってない仕事だったが、なんとか続いた。八年。よく持ったと思う。親父が復職し、兄貴もようやく稼げるようになって、アタイはやめた。お母さんも、いまは喫茶店のパートをしているだけ。

 反動のように2〜3年フラフラしたあと、いまの職に就いた。そろそろ季節が一巡りしようとしている。いまの日本に、季節感なんてないけれど。


 後任の部長(本社からの出向しゅっこうさんは、部長と呼ばれている)がやってきた。なんでもいまの部長は、親の介護だかで一時休職するらしい。

 学校のHRホームルームよろしく皆で部長達の方へ体を向けて、部長のお別れの挨拶と、新部長の挨拶を聞く。まるで転校生がやってきたかのようだ。

「初めまして、大森といいます。……小森さんという方がいらっしゃるとか」

 集まる皆の視線に、いつもなら縮こまるところだったが、アタイはそれどころではなかった。

 新部長は、ゆるふわカールのキラキラ女子だった。少し眠そうな目で、柔らかくにっこりと微笑み、こちらにまっすぐな眼差しをむける姿にアタイは恋に——は、落ちてはいないが、似たような衝撃を受けた。

 アタイが男だったら、立ち上がって「大森から小森になってください!」と手を差し出していたに違いない。


 昼休み、職場に残ってるのはアタイだけだった。奥様方は連れ立って、最近出来たというオサレなレストランのランチを食べに行った。誘われなかったわけではないのだが、アタイは愛想笑いをして断った。

 こちとら金がねーんでゲス。てやんでい!

 お母さんの作ってくれたおむすびを頬張っていると、爽やかな風が入ってきたように思った。

 大森(新)部長だった。

「あら小森さん。お昼、行かなかったの?」

 片手にコンビニのレジ袋をげ、いい? と軽く聞かれ、うなずくと部長はアタイの向かいの席に座った。

「部長は行かなくていいんですか?」

「ホラ部長のお別れ会も兼ねてるみたいよ」

「くっ、あのバ——あの人、あたしには何にも。これじゃ、あたしがとんだハクジョーもんじゃないか!」

 やべ。地が。

 恐る恐る顔を向けると、部長は肩を震わせていた。

「面白いのね、小森さん」

「面白くなんかないです。お育ちが少々悪いだけです」

 にやにやしながら部長、

「あら、美味しそうなおにぎりね」

「ええ、母のおむすびですから。一番、美味うまいです! 部長はそんだけですか?」

 カップラサラダとなんだか健康そうなドリンク。キラキラ女子は、食うもんが違うな、とアタイは感心した。

「ほんとはもうちょっと食べたいんだけどね……眠くなっちゃうから」

「眠そうな目してますもんね!」

 言ってから、しまった、と思った。失言にも程がある。

 部長はびっくりしたような目になって、見開かれると思った以上のべっぴんさんだった。

 怒るかな、と思ったら部長は爆笑した。

「あー、可笑しい」

 目元を拭いながら、

「小森さんっておいくつ?」

「もうすぐ三〇です」

「あら、一緒! なんか、こういうの意味なくうれしくなっちゃうよね。仲間意識?」

「もっとお若いかと思いました」

「それはこっちのセリフ。誰かが娘さんを連れてきたのかと」

 あ、という顔を今度は部長がした。

 ちっちゃいからって舐めんなよ、とあたしの中のアタイが一瞬出てきたが、そこは愛想笑いで乗り切った。

「目」

「へ?」

「小森さん、いつもにこにこしてるけど、目、笑ってない」

 ぎくっ。

「もったいないんだ、もっと地を出せばいいのに。その方が魅力的、よ」

 ダメだ。この人は、天然のたらしだ。アタイの性的指向を歪めようとしてやがる。負けるな、詩! 屈するな詩!

「……ねえ、小森さん。女性ばっかりの職場ってキツくない?」

「そんなことないッすよ。幸いにもというか、この職場は皆さん穏やかで」

 嘘はない。まあ、一人二人ちょっと殴ってやりたいようなことやらかす奴はおりますが。

「そう? 安心したわ……年上の女性ばかりが部下になるなんて、経験ないから。あ、小森さんは同世代だけど。よろしくね」

 差し出された手を、アタイは手も拭かずに握り返した……おむすび、じかに持ってたのに。ほんと、申し訳ない。


 仲良くやれたらいいな、とは思っていたけれど、そして実際たまにこちらでお昼を食べる時はいつも一緒だったけれど、大森部長はほとんど外を回っていることが多かった。

 部材の搬送に、本社とこちらの行き来、他の職場への応援や、こちら側の社員との折衝せっしょうとやることは多い。

 久しぶりにお昼の時間をともにした時には、部長は少しやつれたように見えた。

 ババ——おつぼね様が退職し、釣られるように二人が仕事をやめて、実際、アタイもだいぶ疲れていた。

 ぬるい職場ではあったのでなんとか回っていたが、これで病気だなんだで更に人が欠けるようなら本格的に仕事が回らなくなる。

 そんなことにならないようにと、新しくバイトを数人雇ったのだが、これがまた使いものにならない。職場の平均年齢は一気に若返ったが、効率面は軽く30%以上低下した。

 バイトの面接を部長が直接やってたなら、こんなことにはならなかったのでは、とアタイは考えている。

 バカは、自分よりバカしか雇おうとしないのだ。そうして組織はどんどんおバカの集団になっていく。くわばらくわばら。

 お局は、あれでも仕事は優秀だったのだな、と今更しみじみした。

「ほんと、詩ちゃん達には申し訳なくて……ごめんね、大変でしょ?」

「いやいや夏菜かなさんに比べたら全然。……食欲、ないんですか?」

「ちょっとね、胃が。寒暖差かな? 急に寒くなって体がついてかないのね」

 笑おうとしていたが、皮肉に唇を歪めただけにしか見えなかった。ゆるふわおなごが、こんな風になるのは、非常に哀しいことだ。

「そういえば」

 部長が今度はきちんと微笑んで、言った。

「さっき詩ちゃん、鼻歌歌ってなかった?」

「ありゃ、聞かれてました?」

 アタイは赤面した。

 てっきり今日も部長は買い出しに行くのだと思って、待ってる間の暇つぶしで鼻歌というには少々大きな声で歌ってしまったのだ。

「あれ、何の歌? なんだか明るくて、愉快な歌だったけど」

「……あれは、自作の『元気はなくともカラ元気のうた』です」

 ぷ、と部長は吹き出した。

 アタイも釣られて笑った。

「詩ちゃんって、あんなにいい声してたのね。歌も上手かったし」

「いやあ、お恥ずかしい」

「ね、今度カラオケ行かない?」

「え、行きます! 歌いましょう!」

「ごはん行こう行こうって言いながら、結局行けてなかったもんね。わたし、社交辞令は嫌いなのよ。なのに」

「アタイもです!」

 思わず出てきた言葉に口元を手で押さえたが、時すでに遅し。あたいって、と部長はバンバンと机を叩きながら爆笑した。

 ひとしきり笑ったあと、

「いつなら空いてる?」と部長。

「あたしは暇なんで、いつでも」

 あ……金……。ま、いっか兄貴も最近は少しは稼いでいるみたいだし、借りればいい。

「じゃあ、今度の週末、どう?」

「あ、じゃあもうひとり連れてっていいですか?」

「え、……いいけど、職場の人?」

「いえ、あたしの友達で、お菓子友達です」

「ぷ。なあに、お菓子友達って? 食べる方、作る方?」

「両方です。で、そいつ森っていうんですよ」

「あら、それはなんというか。意味なく楽しくなるわね」

「仲間意識」

「ふふっ。是非、呼んでちょうだい」

「そいつは中森明菜得意なんですよ! 森なのに!」

「あら、わたしも得意よ」

「実はあたしもです」

 ふたりでニヤニヤしてると、なんだか元気が出てきた。部長の——夏菜さんの顔にも彩りが戻ってきたように見える。

「それでですね、実は森ちゃん、大女なんです。森なのに」

「わたしは大森だけど、普通だしね」

「あたしは『名は体を表す』ですけどね」

「詩ちゃんはちっちゃくて可愛いわよ。うらやましいぐらい」

「うらやましくなんかないですよ! ちっちゃいから可愛いとか、そんなことないです! こないだ彼氏未満の奴、振ってきました!」

「あら、何があったの?」

「ずっと何にもないから振ってきたんです! ちっちゃくて可愛いねえなんて、夏菜さんだから許すけど、ほんと気持ち悪い! 思わずバックベアードになるかと」

 ! また、やらかした!

 怪訝けげんそうな顔で、夏菜さん。「バックベアードってもしかして妖怪の?」

「西洋妖怪です!」

「あー……」

 口元を拳で隠しながら、肩を震わせて、夏菜さんは言った。アタイも気づかれたことに気づいて、思わず言った。

「このロリコンどもめ!」

 声が揃って、余計に可笑しくて、ふたりで机をバンバン叩いた。


 あたしはいつでも、バカにされまいと必死でなんでもやってきたし、嫌われたくないからと笑顔を心がけて、本性がバレないようになるべく余計なことは口にしないようにしてきた。

 いつもニコニコ、ちっちゃくてかわいい小森さん。

 でも、そう思われたいと願ってたはずの言葉をいわれると、いつもなんだか心がクサクサした。

 違うんだよ、ほんとのアタイは違うんだよ。そういうんじゃないし、なんだか息苦しいよ!

 仲がよかったはずの友達もいつしかいなくなり、社会人になるってのはそういうことだと思ってた。

 違った。

 あたしは、そう自分に言い聞かせ、我慢してこそ大人なのだと、ちっちゃい小森詩も、ようやく大人になったのだと思い込もうとしていただけだったのだ。

 社交辞令ではなく、無事開催されたカラオケ決行当日。

 大きな森ちゃんと、普通の大森さんはすぐ打ち解けた。

 なんだろう、ちょっとシャクゼンとしないんですケド?

 とかいいながら、きっとウマが合うだろうというアタイの見立ては、なかなかだったと思う。

 中森明菜を二人で肩を組んで歌う姿をにまにまして見てると、大きな森と普通の森が息ぴったりに空いてる方の手を差し出した。

「おいで、詩ちゃん!」

「あい!」

 といって、アタイはふたりの腕の中に飛び込んだ。

 大森森小森で、サビを熱唱する。

 勿論、アタイが一番上手くて、一番声が大きい。


 ふふ、ちっちゃいからって舐めてんじゃねーぞ。


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