料理の待ち時間の最適解
駅を降りてから徒歩二十分ほどで喫茶店『
時間を距離に換算するとまぁまぁあったが、
今日あれだけ移動したり着替えたりしたにもかかわらず至って元気な
「おぉ! 前に来た時も思いましたが、やっぱりオシャレな外観ですね! 裏通りにあるのが勿体ないぐらいです」
その感想には同感だ。
「これが国道沿いとかにあったら大繁盛だろうな」
「今でも結構な人数が来るから、むしろ裏に引っ込んでてよかったって
「たしかに俺が月二、三回は通うほどだからな」
「えぇ、そうだったんですか!? 行く時は私も誘ってくださいよ!」
「だから今日誘っただろ」
「今度からもです!」
「俺は一人でゆったりと過ごしたい派なんだ。それに
「
「そこは読者のことを考えて仕事を優先しろよ……」
「みこちゃんみこちゃん。
「なるほど。やってみます」
「本人の前で話したら意味ないからな。……ったく、冗談を言ってないで早く中に入るぞ」
と言いつつも、念のために行く日時をずらそう。学校でも付き纏われて大変なのに休日の癒しタイムさえも奪われたらストレスで頭が狂う。
俺が先頭に立ってお店のドアを開けると、中から珈琲のコク深い香りと仄かにスイーツの甘い匂いが漂ってきて、それだけで(頻繁に通って脳が学習しているらしく)心が落ち着き、空腹を刺激する。
店内は天井が高く広々とした造りで、アンティークなテーブルや椅子を使って和の趣を演出しながらも、ガラスシェードのペンダントライトで幻想的に照らし出された様は見事にレトロとモダンが調和している。
席はカウンターとテーブルがあり、テーブル席のほうに一組の老夫婦がいるだけで他には誰もいない。やはり休日のこの時間帯は空いているようだ。
すると厨房で食器を拭いている黒髪の女性──
「お、三人とも来たな。いらっしゃい」
屈託のない笑顔を浮かべて出迎えてくれる。
三人でカウンター前に行く。
「
「おう。
「色々と懐かしさを感じてますよ~。でもやっぱり
「それは似合わないってことか?」
「い、いえ! ギャップがあっていいなぁと思っただけです! 似合う似合う!」
「ならいい」
今ではサラサラのロングヘアで清楚然とした
と言っても、悪事に手を染めたり迷惑行為を働いたりしていたわけでなく、どんな場面でも己の意志を貫き通す性格なため、周りから素行が悪いふうに捉えられていただけだ。知り合いの俺たちからすれば悪というよりもカッコいい感じ。口より先に手が出るタイプなのはいただけないけど。
この店を手伝う過程で身嗜みや言葉遣いに気をつけるようにしたとのこと。ちなみに
「
「べつにうちは予約制ってわけじゃないし、電話せずともいつでも来ていいからな。ほらほら、突っ立ってないで好きなとこに座りな」
促されるまま俺がカウンターの椅子を手前に引き出すと、
「カウンター席にするの? テーブル席のほうが喋りやすくない?」
「三人なら横並びでも距離が近くなるから大丈夫じゃないか。ほら、料理を運ぶ手間も減るし」
「ああ、たしかにそうだね」
「べつに私のことは気にしなくていいぜ。それとも
「違うって。素直にそう思っただけだよ」
「照れるなよ。いつもはあの角の席に行くくせに。
「…………」
「まぁまぁ
俺は釈然としない気持ちになりながらも、電車での過ち(帰りでも俺の両側に居座ってきた)を繰り返さないために素早く一番端っこの席に座る。案の定、画策していたらしい
「わぁ、レパートリーが多いですね。これ全部
「じいちゃんに叩き込まれたからな。栄養士の資格も持ってるからそっちもばっちり」
「ほぅほぅ。これだけあると悩みますね~。こよちゃんと
「私はお腹ぺこぺこでがっつりしたのが食べたいから、ハンバーグプレートにしようかな。種類はたっぷりチーズとトマトソースでお願い!」
「俺はそうだな……今日はタルト&ピザのカフェプレートにするか。タルトは抹茶で、ピザはマルゲリータで頼む」
「二人ともメニュー表を見ずに……これが常連と一見の違いですか……」
「
「試食! 今度機会あれば私もぜひ!」
「おう。その時は
「
「なんですか?」
「ラブレターの件はどうなった?」
ラブレターの示した期日は明日の放課後までだ。その切羽詰まった状況にもかかわらず、ここまで一切言及がないことや態度に焦りが出ていないところを見るかぎり何かを掴んでいるのだろう。今どういう考察をしているのか気になる。
果たして、
「また唐突に訊いてきましたね。ここまでその件を話に出さないから忘れてると思ってました」
「俺は鳥頭か。これを話し出すと長くなるしショッピングやコスプレ撮影に水を差すと思ってやめてたんだ。でも今の待ち時間ならちょうどいいだろ」
「たしかに脳を使うことで空腹を高め料理をさらに美味しくいただくのはこの場の最適解です。それにこよちゃんも
「うん。追及して話させた」
「でしたら三人で推理を進めましょう。と言ってもお二人は私の推理をただ聞くだけで終わるでしょうけどね」
フッフッフと笑って探偵節を出し始める。この鬱陶しさはやはり推理が進んでるらしい。
「もしかして差出人が誰か分かったのか……?」
「はい」
「……教えてくれ」
「いいでしょう。私が匿名のラブレターの差出人と睨んでいるのは────」
俺は息を呑む。
そして
「──
「…………冗談はいいから、早く本当の差出人を教えてくれ」
「冗談じゃないです」
「えぇ……本気か? なんで
「もちろん証拠があるからですよ。一昨日の
「…………」
ラブレター以外の手がかりがない状況で差出人まで迫ったのかと驚きや、まさかこんな頓珍漢な推理が出てくるとは……
「私の推理が凄すぎて言葉も無くしちゃいましたか」
「開いた口が塞がらないんだよ。単純な推理すぎてな」
「むっ。百歩譲って単純な思考だとしても
「いや、
「なぜ言い切れるんですか?」
「
「それは私という恋人が現れた予想外の事態に機が動転したと考えれば自然です」
「それが単純だって言ってるんだ」
このまま誤った推理で物事を進められると、俺は元より
「まず大前提として、あの作戦の目的は部室で話した二つ目の可能性である、俺の恋心が知りたい人間がいるかどうかを調べるためで、その人間は俺と疎遠な人という結論に至ったよな?」
「そうですよ。身近な人であれば匿名のラブレターなんてものを出して確認せずとも、
「それもあるけど、仮に
「私たちのあまりのラブラブさに嫉妬して思わず話しかけてしまったってことも……」
「そのわりに
「そう言われるとそうですけど……」
「そもそもあんなクサイ演技で引っかかるようなやつなんていないしな」
「どこをどう見ても完璧でしたでしょう! こよちゃんも見てましたよね! 百点満点で評価をください!」
「んー、可愛かったからおまけして二十五点」
「低っ! 可愛くなかったら一体何点だったんですか!?」
演技素人の俺でも低レベルだと思ったのに、演劇部の
「以上の点から
「一目惚れの線もあるじゃないですか!」
「俺の学校での態度を見ればその可能性がないのは確定だろ。誰もが羨むイケメンってわけじゃあるまいし」
「
「そうですよ。中の上ぐらいはあります。自信を持ってください」
「なんで慰められてんだ俺…………とにかく、
少しだけ無言の間が訪れたあと、ピザ窯のほうから戻ってきた
「さっきからなんか推理してるっぽいけど、
どうやら先程の俺たちの会話は聞こえていたらしい。やっぱりカウンター席だと筒抜けだな。
「探偵ごっこをしてるのは
「ディテクティ部です! それにこの件は内密じゃなかったんですか?」
「
すると
「なんでも火曜日に登校した時に下駄箱で見つけたらしいよ。そのラブレターには差出人の名前が書かれてなくて、一週間後の放課後までに
「はい、その通りです。ですから私がその差出人を見つけることを請け負った代わりに、
「差出人を見つけたらの話だろ。約束を捻じ曲げるな」
「へぇ…………まぁなんとなくは分かった。お前ら青春してんなぁ」
「俺にとっては厄介の種でしかない」
「そんな悩むことないじゃねぇか。さっきチラッと
その言葉に、鋭い
「あれ? さっきの会話で
「ああ、前に
「客観的な感想だよ。まるで俺がそう思ってるみたいに言わないでくれ」
「でも可愛いことに変わりはないんだろ。そんな子に好かれるなんて
「だから同じ図書委員なだけだって」
人気者に絡まれて大変だと愚痴を溢したつもりだったが、どうしてそれを色恋沙汰にしてしまうのか。
「なんにせよ、
「いえ、まだまだ推理する時間はあります。絶対に見つけ出しますよ」
俺の諦めムードにも靡かず、
「それに
「…………」
「まぁそれよりも私が解くほうが先ですけど。今さら約束の反故は無しですからね」
「……上等だ」
その煽りに乗ってやろう。
俺は
「
「私が知る中じゃ、よくつるんでたのはここにいる三人と
「
「うん。『よく』って言葉を付けるならそうだね」
「今さらそんな分かりきったことを確認して何の意味があるんですか?」
「もちろん差出人の候補を広げるためだ」
「……? 詳しい説明を求めます」
「分かった。さっきも言ったけど、俺は自身の消極的な性格から一目惚れの線はないと思ってる。でもラブレターが届いた以上、差出人は俺に好意を抱いているのは確か。だから俺に惚れる要素があるとすれば記憶を無くす前の俺にしかない。聞けば当時の俺は相当な人気者だったらしいからな」
「学校内で
「やんちゃな子から引っ込み思案の子まで挨拶を返すほど人望がありました」
「保護者のほうでもまぁまぁ話題になってたぞ」
「ほんと聞けば聞くほど信じられないな…………でも昔の俺には惚れる要素が十分にあったわけだ。仮に差出人が昔の俺を好いてラブレターを出したと考えた場合、以前から俺のことを知っていた身近な人になる……わけだが、この俺の他人と関わり合わない性格は記憶喪失になってからずっとだ。活発だった昔の俺に好意を抱いたとしても、記憶を失った今の俺は別人だから恋心も冷めてラブレターなんて出さない」
「一途という可能性は追わないんですか?」
「その場合、俺がその人を思い浮かばないはずがない。それだけ強い想いがあって今の今までに何のアクションも起こしていないのは変だからな」
「たしかに好意は自然と言動に表れるものだから向けられた本人は気づくよね」
「ああ。だから普通に考えれば一途はあり得ない」
「じゃあ八方塞がりじゃないですか。なんでわざわざ昔に関わっていた人を訊いたんです?」
「俺が真に知りたかったのは経歴だよ。具体的に言うと、小学校の頃の転校だ」
「転校……」
「まだ俺が事故に遭う前に一度地元を離れて再び高校生になって戻ってきた経緯だと、一途の恋も成立する。物理的に離れていれば恋のアクションも起こせないし、再会して間もないわけだから今の俺を知ったとしても恋が冷めるまでには至らない。誰かさんのようにな」
そう言って
「わ、私はまた
「……いやそれは分かってるよ……昔の俺に拘って激しく勧誘してくることを揶揄したつもりだったんだけど……」
「~~~~!? ま、紛らわしいこと言わないでください!」
明らかに羞恥に染まった赤い顔をプイっと背ける。
若干居た堪れない沈黙が流れたが、すぐに
「つまり
「……ああ。俺は昔の記憶が無いから転校した人がいても分からないからな。それで改めて
「んー、私の記憶に思い当たる人はいないね」
「……私が在籍していた頃に転校した人は全て覚えていますけど、この高校にはいません」
それはつまり俺の推理が外れていることを物語っていた。
俺は肩を落として見せる。
「どうやら俺の推理は的外れらしいな。結構いい線いってると思ったんだけど…………この推理でも前進しないなら、やっぱり明日までに相手を特定するのは難しいな。差出人に対しては心苦しいけど諦めてもらうしかないか。あと俺の入部も」
最後の言葉が
「────ぜっったぁいに意地でもラブレターの差出人を見つけて入部させて一緒に楽しい高校生活を満喫させてやりますから! 覚悟しててください!」
俺にビシッと指を突きつけてそう高らかに宣言した。
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