三章 名探偵は諦めない
前途多難な一日の始まり
「嘘だろ……」
空は快晴のお出かけ日和の中、俺は待ち合わせ場所の
視線の先にあるベンチ、そこに座ってスマホを見ている
待ち合わせ時間は電車の運行状況から午前八時半で、今はまだ八時十分。あまりにも早すぎる。
真面目な
背後から近づいていくと、足音で察したのか
「
「おはよう。待ち合わせ時間を間違えてないか?」
「ん? 八時半だったよね?」
「分かっててこんなに早く来たのか……」
「早いって言っても、私もさっき着いたから三十分前ぐらいだよ」
「
「人生一分一秒何が起こるか分からないからね。不慮の事態に備えてってやつだよ。他の人を待たせるぐらいなら自分が待ったほうが気が楽だし。ほら私、待つの得意だから」
己を律しつつ、他人を想いやって行動できる優しさが優等生である所以か。
「それにそれを言うなら
「俺にそんな気遣いができるわけない。ただ単に家でやることがなかったから早く来ただけ」
「へぇ、いつも遅刻ぎりぎりで登校するのに今日に限って目覚めが早かったんだね」
「家を出るのが遅いのであって、目覚めは早いほうだよ」
「じゃあ普段その間は何をしてるの?」
「だらだらと準備しつつ、小説や漫画を読んだりしてるな」
「でも今日はしなかったわけだ。なんでかな?」
「……読み終わったものしかなかったんだ」
「そう。だったらみこちゃんの新作ミステリーの感想戦をしよっか。犯人は……」
「読み終わったのは嘘だ! ネタバレだけはやめてくれ……」
「ふふ。やーっと認めたね。やっぱり早く来たのは私のためなんでしょ」
「確信してるならそのまま追及しないでカッコつけさせてくれよ」
「好意は隠せば隠すほど深く捉えられて見透かされちゃうものなんだよ。だから私は初めから正直に言うね。
慈愛のような柔らかい笑みを向けられて、俺は反射的に顔を背ける。さすがにその表情は卑怯だ。
ここで戸惑うとまた小悪魔スイッチが入ってしまうから、人ひとり分を空けて素直に座った。
無人駅に俺たち以外の乗客の姿はなく、辺りは静寂に満ちている。そのせいか今が二人きりだということを強く意識してしまって変な緊張感が湧いてくる。
それにこうも近くにいると、自然と目が
服装に無頓着な俺でも、一見しただけでいいなと思ってしまうほど青と白を基調とした爽やかで清楚さが溢れた装いだ。ベレー帽や、花と猫を象ったネックレスにシンプルな白革バッグなどの小物も合わさり、全体的に落ち着いた雰囲気にまとまっている。
中学生の頃に一緒に出かけていた時はもっとラフな格好だったのに、高校生になってこうも大人びるとは。何も変わっていない自分がより幼く見えてしまう。やっぱり
そんな劣等感を抱く俺とは違い、
「それにしてもまた三人で出かけられるなんて、小学四年生以来だと思うと感慨深いなぁ」
「五年もの間があればそう思うよな。俺に記憶が残ってればその気持ちに同調できたんだけど」
「もしかしたらこのお出かけがきっかけで何か思い出せるかもしれないよ」
「それなら助かるんだけどな。でも五年以上も経てば人も風景も昔と変わってるし、期待はしてないよ」
「消極的だなぁ。変わらないものもきっとあるし、もっと前向きに楽しんで……あ、そっか。
「こういう時だけ疑わずに真面目に受け取るなよ……一昨日のはどう見てもくさい演技にしか見えなかっただろ」
「じゃあ
「えぇ、そんな面倒な話になってるのか……」
たった一日一緒にいただけで、尾ひれの付き方がえげつないな。人気者おそるべし。
「どっちも誤解だよ、誤解。
「まぁそんなことだろうとは思ってたけどね。でも人気な二人と噂されるなんて喜ばしいことじゃない?」
「むしろ困ってる。みんなからの注目をより集めるからな」
「その割にはよく今日私の誘いに乗ってくれたね。もし学校の誰かに目撃されたらみこちゃんとの噂が強固なものになっちゃうよ」
「市外ならそうそう会うことはないだろ」
「甘いね。今日行くショッピングモールには今流行りの洋服専門店が参入してて、結構みんなも休日に行ってるって聞くよ」
「え、そうなのか……じゃあ今日はそこを避ける感じでお願いできれば……」
「私の目的の一つなのでダメです。みこちゃんだけじゃなく、私とも噂になるかもね」
「その時は強く否定してくれ」
「んー、もちろん事実じゃないから肯定はしないけど、否定もしないかな」
「何でだよ……どっちつかずの態度が一番噂を加速させることになるだろ」
「だってそうまでしないと
「この性格は演技じゃなくて元来のものだよ」
「つまり家族への想いやりある接し方のほうが演技なんだ。自慢のお兄ちゃんだって思ってる
「……
「
「なら放っておくことが一番だぞ。注目されればされるほど仮面を被りたくなるからな」
「お断りします。それに今の
「諭してるふうだけど、本末転倒だからなそれ」
「あ、バレた?」
まったくこの幼馴染は油断も隙もない。その頭の良さをもっと別のことに使えばいいのに。
「俺は消極的で結構。何があっても今の態度を変える気はないよ」
「頑固だね」
「それはお互い様。いつになったら諦めてくれるんだ」
「諦めないよ。だって私、
「また失うかもしれないのに?」
「その時はその時でまた新しい記憶を作っていけばいいんだから、何も問題なし」
「自分のことを忘れたやつの相手をするのは悲しくならないのか?」
「そう思うんだったら今私はここで
「…………」
少しの迷いも見えない明瞭な励ましは、いつだって俺の心を支え、いつだって迷わせる。
このずっと変わらないスタンスの根拠はどこから来るのだろうか。訊く勇気はないけど。
つい黙ってしまうと、
「────というわけで、明日から私もみこちゃんを見習って積極的に行動してみようかな。うんうん、そうしよう」
「……それだけは止めてくれ。
「二人だけ仲良しズルい」
「急に子供っぽく拗ねるな。あれが仲良しに見えるのか?」
「超見えるし、今日だってみこちゃんが来ると知った途端、掌を返したように誘いを承諾したし。やっぱり
「ないから。俺と
「──二人とも、おはよーです!」
不意に聞こえたその声に振り返ると、いつの間にやら
俺は挨拶をするのを忘れるほど目を惹かれてしまった。
いつもはストレートの髪を今は黒のヘアリボンでローポニーにしており、ストライプのシャツにふんわりとしたスカートを合わせた様相は大人の上品さが醸し出されている。普段ふざけた探偵服に身を包んだやつと同じ人に見えない。
俺の視線に気づいたのか、
「久しぶりのお出かけですからおめかししちゃいました。キュートじゃないですか?」
「みこちゃん、おはよー。めちゃくちゃ可愛くて時期に合ったコーデだね! 前に会った時も思ったんだけど、みこちゃん服のセンス良すぎない?」
「私自身はどちらかと言うと服合わせは下手なほうで、すべて家政婦さんの案です。そう言うこよちゃんも清楚な装いでばっちり可愛いですよ! 小物の合わせ方が洗練されてます」
「悩みに悩んだからね。そのフレアスカートって『Grace(グレイス)』のやつだよね?」
「そうですよ。ここの服って可愛いのが多いので私は好きなんです」
「どこで買ったか訊いてもいい?」
「これは通販で購入しましたね。このメーカーは店舗に置いてあることがかなり稀ですから」
「あー、やっぱりそうだよね……私もサイトを見て欲しいやつがあるんだけど結構なお値段するし、ネット購入は着心地とか似合うかどうかとか不安で、なかなか手が出せないんだよなぁ」
「であれば、これ以外にも何着か持ってるので今度私の家で試着会しましょう。私とこよちゃん、背丈やスタイルはほぼ同じぐらいですし」
「え、いいの! ぜひ着てみたい!」
キャッキャと楽しく服装の話を始める二人。
そしてその様子をただ横から眺める俺。明るい性格の二人とお出かけの時点で予期していたことだが、やっぱり場違い感が半端ない。
「じゃあ来週の土日あたりはどうでしょう。休み明けには中間テストもありますから、万全を期してこよちゃんに勉強を教えてほしいです」
「おっけー、勉強のことなら任せて」
「
「しれっと俺も行く前提で話を進めないでくれ」
「
「服に関して無知な俺には荷が重すぎる」
「大事なのは知識よりもファーストインプレッションだよ。例えばさっきみこちゃんの服装を見た時の
「え、本当ですか? なんかそこまで褒められると恥ずかしくなりますね」
「俺はまだ何も答えてない」
「じゃあ私にこの服装は似合わないと思ってるんですか?」
「いやそういうわけじゃないけど……」
「図星だね」
「図星ですね」
勝ち誇ったような笑みと照れるような笑みを同時に向けてくる。
この二人が同じ場にいたらこんな厄介極まりないコンビネーションを発揮するのか。昔の俺ってどう対処してたんだよ……。
「はぁ。分かった、来週の件は考えとく」
「お茶を濁したね」
「あれ絶対、当日に用事ができたとかでドタキャンする流れですよ」
「どんだけ信用ないんだよ……ったく、こんな話に巻き込まれるぐらいなら早く来なければよかった……」
「偶然に三人は早く集まり、再び会う約束を交わす。きっと私たちの絆が導いた運命でしょう」
「しみじみ語ってるとこ悪いけど、ただ単にみんなの気が早かっただけだからな」
「でもみこちゃんが早く来たのは予想外だったよ。前に、夜な夜な小説を書いては寝坊するって聞いてたから朝に弱いイメージだったけど」
「今日のために昨日は早く寝ましたからね。あと、こういう三人で集まる時はいつもこよちゃんが一番に着いて私たちを待ってたことを思い出しまして」
「そんなに小さい頃から早かったんだな……」
「ね、変わらないこともあるでしょ」
「……
「ん? 変わらないって何の話です? そういえば私が来る前に私の話をしてませんでしたか?」
「何でもない。それよりも、そろそろ電車が来る時刻だからホームに移動しよう」
島式ホームに立って待っていると、しばらくして電車がやって来た。
入口の発券機から整理券を取り、座席のほうを見ると(ワンマン電車である所以か)乗客の姿は人っ子一人ない。
テキトーな座席に腰を下ろし、ショルダーバッグを膝の上に置く。
あとに続いた
「……なんで俺を挟むんだ?」
『え? なんとなく』
「ハモるな。あと二人とも近い。窮屈だからもう少し離れてくれ」
「公共の場ですから他のお客さんのために空けておかないと」
「そうそう。詰めるのはマナーだよ」
乗客もいないというのに二人してテキトーな言い訳を……。肩が密着しそうなほど両側から接近されては他人に無関心な俺でもさすがに照れる。
「今は俺たちしかいないんだからマナーも何もないだろ……それとも何か理由でもあるのか?」
「と言われましても。本当に何も考えずに座っちゃいましたね」
「みこちゃん、たぶんアレだよ。小さい頃もよくこうして
「あー、思い出しましたっ! 推理手帳ですね」
「推理手帳? なんだそれ?」
「そのままの意味だよ。
「懐かしいですね~。
「どれも初耳なんだけど……それって今はどこにあるんだ?」
「
記憶を取り戻す手がかりになればと思ったのだが、やっぱりそう簡単にはいかないか。もし誰かの手元にあればすでに俺に見せているだろうからな。
「助手の私にも渡してくれないほど大事に持っていましたからね。もう見れないと思うとなんだか切ない気持ちになります……」
「まぁでも子供が書いた落書きみたいなものなんだろ? そこまで感情を抱くほど価値はないって」
「本人がそう言うからさらに切ない……自分が何を書いていたか気にならないんですか?」
「そりゃ少しは気になるけど、どうせ想像よりも大した内容じゃないだろうし、無くなった物のことを考えてもしょうがない。昔は昔、今は今。だから二人とも離れてくれ」
「これは一種の癖なのでムリです。ね、こよちゃん」
「うん。癖を治すのは難しいよね」
「ただ横にずれるだけだろ……」
「と言いつつ、
「この状態で別のところに座りに行ったら感じ悪いだろ」
「またまたそんなこと言って。本当は両手に花で嬉しいんでしょう、顔が赤くなってますよ」
「なってない。それにそれを言うなら二人だって俺に近づきたいってことになるぞ」
「そうだよ」
「そうですよ」
二人して口元に笑みを浮かべ、両側から俺の顔を覗き込むように見てくる。
完全にからかわれている。そして一瞬でも羞恥を顔に出してしまった俺のほうが不利だ。
ここは戦線離脱するしかないと立とうするが、両腕をガシッと掴まれて座席に戻される。見事な阿吽の呼吸だった。どうやら何が何でも我を通したいらしい。
この様子では反論すると却って嗜虐心を煽るから大人しくするしかないか……。
まだ今日は始まったばかりなのに、すでに精神が疲れている。先のことを考えると余計に。
前途多難な一日になりそうだな。はぁ。
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